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いつか胸が痛まない日が来たら
4ヶ月前、私はnoteの世界に飛び込んだ。
これはそのあとすぐに書いた記事。
感情のままに書き殴った記事だから、いつもに輪をかけて読みにくいし、楽しい話でもない。
つい先日、2回目の延期の決断をした。
今度は母からの遠回しな連絡を受けての決断だった。
気持ちを切り替えて今度こそはとダイエットや準備を始めたすぐ後のこと。
希望を持ったと思ったら、また奪われる。
結構、心が折れた。
また泣くことしかできず、次の時期は怖くてまだ決められない。
皮肉にも家の近くには結婚式場があって、毎週末、カランカランと鐘の音が聞こえてくる。最寄りの駅には着飾った人たちが引き出物の袋を下げて歩いているのとすれ違う。
もちろん、結婚式をやる側も参加する側もいろいほと悩んで決めているのは理解している。
おめでとうと思う反面、我が身を振り返ってしまうのはあまりに卑屈だろうか。
私がnoteを始めたきっかけはきっと吐き出す場所が欲しかったからだ。
辛いことや腹が立ったこと。
誰に読まれなくてもいい。
抱えているには気が滅入って、知り合いの誰かに話すにはあまりにも自己中心的なこの気持ちを吐き出す場所として、私はnoteを選んだ。
おかしな病気が蔓延して以降、私のように、誰のせいでもないけれど、誰のせいでもないからこそやるせない、理不尽な現実を突きつけられた人もたくさんいると思う。
かつてなら絶対に必要なかった選択を迫られた人も。
でも、そのおかげで私にはこの優しく新しい世界が始まった。
新しく繋がりを持ってくださる人、繋がりたいなと思える人と日々出会う。
顔もどこに住んでいるのかも知らない方たちばかりだけれど、きっとそれでいい。それがいい。
でも、だからといってあの病気に感謝はできないし、しない。
振り返ってもいい思い出にはならないし、したくない。
たぶん、懐かしくも思わない。
私はこの気持ちを上手に消化できない。
しょうがないしょうがないと言い聞かせて、それは我儘よと叱りつけて、じゃあどうする?という問いかけにはどんな答えもどこかに後悔がつきまとう。
私には自分の気持ちの落とし所が見つけられないままだ。
きっとずっと。
せめていつか、胸が痛まなくなればいいと今は思っている。