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私たちは「罪人」だ。〜誰もが受け入れ合う世界〜

私は先日、「罪の意識」を誰が持つのかについて考えさせられる映画を見る機会がありました。

三島有紀子監督の『一月の声に歓びを刻め』、2024/02/09(金)に公開予定の「性暴力と心の傷」について描かれた作品です。

2023/12/07(木)、青山学院大学エリックゼミにて、特別に映画『一月の声に歓びを刻め』を公開して頂きました。公開前の映画を鑑賞させて頂ける大変貴重な経験でした。

約2時間ほどの映画鑑賞を終え、エリックゼミでのディスカッションを行いました。ディスカッション内容としては、映画から感じられる社会課題は何か?罪を感じているのはマイノリティなのか?彼らは何故罪を感じているのか?エリックゼミらしく社会課題をテーマにしたものから、映画の登場人物の発言に対してどういった意図があるのかなど映画の内容についてまで、一人一人の意見が述べられました。
そして、なんと三島監督御本人もディスカッションに参加して下さり内容の深堀をして頂けました。

三島監督が参加してくださったディスカッションの様子

「罪」は誰もが感じるものである

私は授業日前、当日の授業と計2度鑑賞させて頂きました。1度目の鑑賞では、大きなテーマになっているであろう「性被害」について考えることができました。被害を受けた人からどこまで(誰に)その影響が作用しているのか、また、「性被害」を受けた人がなぜ苦しまなければならないのかの生きにくくても生きていかなければならない息苦しくさも感じるものでした。
しかし、2回目の鑑賞をするとまた違った見え方がしてくるものでした。1度目はどちらかというと性被害を受けた登場人物の気持ちになれるはずないのになろうとする感情移入がより働いた気がします。2回目は、性被害に受けた登場人物の身近な人(家族・友人)のように本人からは少し離れた感覚で見ることが出来たのですが、なぜ性被害を受けた登場人物が苦しむようなケアの仕方をしてしまったのだろうか、と実際は被害も何も受けていない私が、被害を受けた人を目の前に、何も出来なかったことから罪の意識を感じました。凄くむず痒いものがありますが、私たちは簡単に罪を感じることが、罪の大小に関係せず、日常生活にもたくさん存在すると感じました。些細な発言や行動から自分自身が被害者であるのになぜ自分を責めてしまうのか。例えば、学校に向かう際にいつもと違う歩道からいくことにし、向かっていた時、交通事故に逢えばきっと私たちは「なぜ、今日あの道を通ったのだろう。」と自身を責めると思います。このように私たちは罪の心を常に持っているのかなと思いました。

「映画」との向き合い方

映画は何度も見ればその表情を変えてくれます。私が誰の立場で見たいかを鑑賞する前に唱えれば比較的簡単にそのキャラクターに感情移入することができると思います。たくさんの登場人物がいて、たくさんの背景を持っていて、映画でなければその気持ちに気づけないかもしれません。どの立場の登場人物で鑑賞していても他の登場人物を受け入れらることができるようになるトレーニングができるコンテンツなのかもしれません。

最後に

性被害を受け生きにくさを感じている方、マイノリティを感じている方に私たちができることは、「受け入れる」ことだと思います。
じっくりゆっくりと信頼関係を築き、一人一人のペースに合わせていく、そういった順序を経て、心理的安全性を確保していく。これをまずは、エリックゼミで引き続き実践していきたいです。

最後にこのような学びの機会の提供と貴重な公開前の映画を特別に公開して下さった三島有紀子監督はじめ関係者の皆様、そして、授業実施するにあたって企画して頂いたエリック教授、アドバイザーの細田友美さん、ありがとうございました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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