じゃあね
夜更けの大通り、振り返らずに、駅に向かって歩く。
最後の言葉、声が震えてなかったかな。
九段下の桜の中で、入学を祝う家族連れの群れから離れ、ひとり、佇むあなたを見た瞬間、恋をした。
あわやストーカー、よく言えば探偵。そんな行動力と観察眼を発揮していった結果わかったのは、別れが待ってる恋なんだ、ってこと。
あのさ、初恋なんだけど。あんまりじゃない? 終わりが見えてる恋、だなんて。
だから私は開き直った。
終わる恋なら、とてつもなく綺麗で、美しい想い出になる恋をしよう、って。そう決めた。
あなたの出身が横浜なのを知った私は、
「水平線って見たことないの。見てみたいな」って言った。
街の喧騒に飽いていたあなたは、その週末、バイクで横浜の海に連れてってくれた。
タンデムシートでぴったりくっついてたら、あなたはココにいない人なんだって確信できた。
あなたのココロは、帰るところを忘れちゃったのかな。人波にのまれて自分が見えないのかもしれない。
だから、いくところを探して、いなくなっちゃったの?
そんなあなたが、ココロを見せてくれたのは、海を見ている時だった。
残念そうな顔で、『水平線を見るには、冬の寒いときじゃないと、ダメなんだよな。ごめんな、見せてやれなくて。また来ような』って。初めて、まっすぐ私を見て言った。
それから何回も"水平線チャレンジ"したね。
葉桜の下、紫陽花の中。アスファルトの熱気を浴びながら、金木犀の香りに包まれながら。降りしきる銀杏の黄色いハートに染まりながら、あなたのバイクに乗って、「くっきり見える水平線」を探しに行った。
あなたのココロを動かそうと躍起になっていた私は、あなたが困ったように慌てて、「危ないだろ」って言うのがおもしろくて、そんなあなたに触れていられるのが嬉しくて、目的地に着いちゃうのがもったいなくて、いつも後部座席でわざと体をゆらゆら揺らせて、バイクの速度を落とさせた。
空気が冷たく澄んでくるのとシンクロするように、あなたのココロも澄んできた。繊細な自由さを発揮して、サークルの仲間に囲まれながら大声で笑ったり、意見を言い合っていたりする様子を見ることが増えた。
もう少しでおしまいの日。そう思いながら、下がっていく気温を追いかけるように、マフラーを編んだ。
年が明けて、雪が降りそうに凍える夜。海に向かった。
見たかった水平線は、それはもう、びっくりするくらい、くっきり、綺麗に見えた。
終電に乗るために駅へ戻った。
あなたをしっかり覚えておきたくて、ぴったりくっついてバイクに乗った。
がらんどうな大通りの信号はグリーンで勢ぞろいして、選んだ道は正解だよ、と告げているようだった。
編みあがったマフラーで顔を隠す私に、寒かったろ、って渡してくれた缶コーヒー。一息で飲み干して、たくさんの優しい想い出をありがとうって、空き缶に詰めてあなたに預けた。
「送ってくれてありがとう。帰り、寒いからこれ巻いていって」って、強引にマフラーをぐるぐる巻きつけて、駅に向かって歩き始める。
いらないよ、っていいながらマフラーに顔を埋めて、わずかに表情をゆるませるあなた。
それ、嬉しい、ってことよ。あったかい、ってことよ。
もう、伝えてあげないけど。
私の想いは空き缶に詰めてあるから。
ここでバイバイするよ。
じゃあね。
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この掌編は廣野ノブユキさんの「やじろべえ」を聴いてできた作品です。
たくさんの気持ちを感じる声でお読みになっているストーリーを聴いていたら、たまらなくなって失礼を承知で書き上げました。
ご本人の許可をいただき、投稿しております。
「やじろべえ」は下記から