覚悟して眼前の現実を超えていく~日本講演新聞

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noteでは特にファンの多い社説をご紹介しています。

 「なぜ?」という日本語は物事の原因を究明しようとする理性的な言葉だが、「なんで?」は質問ではない。
「気持ち」である。

 目の前で起きている現実を受け止めきれない気持ちが「なんで?」という言葉になる。 
苦しみや悲しみが伴う現実に直面した時はその言葉で自問し、他人に向けて発せられる時には叱責の気持ちが含まれている。 

 昨今、予期せぬ災害がもたらすつらい現実に「なんで?」と叫びたくなるが、向ける相手はいない。
気持ちを切り替え、前向きに考えられたらいいが、連日連夜の報道にそれは阻まれる。

 こういう時は、何事にも動じない、肝の据わった静かな境地をいかにつくるか、ではないか。
関大徹著『食えなんだら食うな』(ごま書房新社)を読みながら、そんなことを思った。

 有名なプロ野球監督の話が載っていた。文脈からその人は、9年連続日本一(V9)を成し遂げた読売巨人軍の川上哲治監督だと思われるが、実名での記載ではなかった。

 その年、球団の成績は全く振るわなかった。
世間の非難は監督に集中した。シーズンオフに監督は一人、岐阜県美濃加茂(みのかも)市にある禅寺・正眼寺(しょうげんじ)にこもった。

日課は常軌を逸していた。
起床は午前3時半。寝るのは夜の11時。
その間にトータルで9時間、坐禅を行なう。
雪が降る日も裸足で掃除をした。

 翌年、球団はリーグ優勝し、日本シリーズで日本一に輝いた。
その後、「V9」という偉業を成し遂げていくのだが、最初に話題になったのは監督が禅寺にこもったことだった。
ちょっとした「禅ブーム」が起きた。
当時、大徹老師が住職を務めていた福井県の禅寺・吉峰寺(きっぽうじ)にも参禅者が押し寄せたという。

 しかし、大徹老師は言う。「思い違いをしてはいけない。あの監督は球団を強くしたくて禅をしたのではないし、禅をしたから優勝できたのでもない」

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