やりたいことだけやるのが自分らしい生き方じゃない。
例えば、
いつもだったら聞き流してしまうようなドラマ内の台詞が、その時の自分にはやけに響いて聞こえることがある。もやもや考えていたところにぱっと光がさして視界がひらけるような感覚だ。
そんな風に、
ドラマや本で偶然に出会い、前向きにさせてくれた言葉のひとつを今日は共有したい。
今の世の中、
"自分らしく生きる"とか、
"やりたいことを仕事にする"とか、
個人の生き方を尊重するような言葉を聞くことが多い。
自由でとても良い時代に生きていると感じる一方で、その言葉に縛られて、
逆に身動きができなくなってしまうことがある。
新卒で入社した会社を辞めたあと、
ハローワークで失業給付をもらいながらしばらく自由な時間を過ごした。
興味のあった食生活アドバイザーの資格をとったり、
WEBデザインの学校に通ったり、
動画編集や趣味のハンドメイドに没頭したり、
ひととおりやりたい事をやった。
いざ再就職しようと動き始めたときに、
やりたいことを一つに決められず毎日毎日、
求人を探しつづける日々がつづいた。
美容や健康に関連する仕事も興味があるし、WEBデザインだってやってみたい。もくもくと作業するのも好きだからIT系の仕事も気になるし、人の相談にのるような仕事も楽しそう。
興味があるものは色々あるけれど、
どれが一番”自分らしい仕事”なのだろうと頭を抱えた。
そんな風に答えを出せず、
もやもやもやもや前に進めないまま過ごしていたある夜のこと。
夕食を食べながら「おいしい給食シーズン3」第4話を見ていた。
中学教師演じる市原隼人さんと、
新任の女の先生が校庭で何気なく会話しているシーンだったのだが、甘利田先生(市原隼人)が唐突に放った言葉がその時の私にぐさっっっと刺さった。
すとんと腑に落ちた気がした。
どんな仕事を選択したっていい。
自分らしいやり方で、
その仕事に向き合ってみればいいんだ。
そう素直に思った。
これまでの人生を振り返ってみると、
”やりたくないこと”に向き合った結果、そこで得たものが後に自分のやりたかったことに生きてくることがあった。
中学時代の吹奏楽部では、事の成り行きで演奏会の司会をやることになり、それは自分にとって”やりたくないこと”だった。楽器の練習をする時間が少しでも減ることは自分にとってデメリットしかないと考えていた。
けれど結果的には、スポットライトを浴びて観客の前で1人で話すという経験は、後に大会でソロ演奏をすることになったときのマインド作りに大いに役立った。
中学時代の話は極端な例かもしれないが、
要はそういうことなのだろう。
一見無駄に思えることも真剣に向き合えばどこかで生きてくる。
もちろん、できないことを「NO」と言える勇気も大事だし、
強いストレスを感じることを無理やりつづけるのも違うと思う。
愚痴の多い職場の飲み会だって断っていい。
だけど、何か物事を始める時に
”これは自分らしくない”とか”やりたいこととは違う”と最初から完全遮断してしまうのは、自分の新しい可能性も排除してしまうことになる。
そもそも程度の差はあれどんな仕事にだって、
”やりたくないこと”というのは少なからず存在するだろう。
趣味でやっているYouTubeの動画編集でさえ、面倒でやりたくない作業工程が一部ある。
”自分らしくやりたいことを―”
という言葉はすごくかっこいいけれど、
それを盾にして目の前の課題を”やりたくないこと”とくくって最初からやらないのは勿体ない。
とにかく1度は真剣に向き合ってみて、
自分なりに考えて仕事をしていく先に、
本当にやりたいと思うことを叶えられるような気がする。
やりたいこと、挑戦したい事が見つかるまでは、
今の職場で自分らしく向き合ってみようと思う。