見出し画像

モノローグ





   君の 8周年(仮)

まずい。大変だ。

こんなおめでたい日に投稿する文章くらい、綺麗なことだけを書くつもりだった。
なんとなく誕生日よりも祝う気が起こらないけど、何もしないのは気が引けるので、体裁を保つために書く文章のはずだった。

私が普段ちまちまと考えているようなことは、きっとこんな日に似つかわしくないし、さとみさんの考え方を否定しているような部分もあるし、そもそも私の思想なんかには
誰も興味がないと思う。

でもいつの間にか筆が乗ってしまった。

どれもこれも、君の活動記念日とされている5月16日に(仮)がついてしまうせいだ。
「8周年(仮)」。

本当に今日が8周年なのか?
真の活動記念日はいつなんだと、毎年フォロワーとの間で話題になっているんだが!!!


とかいう茶番はさておき。

これは、私が〈さとみ〉という存在を見てきた中で得た思考を、出来るだけ忠実に文章として書き起こしたものだ。

なぜ書き始めたのかと聞かれると、
さっき言ったように体裁を保つため?
クソデカ独り言?思考整理?

私がいつも思っていることを、
割と赤裸々に書いている。
誰に宛てたつもりもないのだけれど、
たぶん誰かに見て、知ってほしかった。

いや、ただみんながnoteを書いてるから、
便乗したかっただけでもある。

まあ理由はなんでもいい。
とにかく書きたかった。

(数人のフォロワーに触発されながら
書き上げた文章でもあるので、
似たようなこと言ってたらごめんね。)



誕生日に明るくない曲を
歌ったりするさとみさんだから、
私はそんな君のリスナーだから、
今日という日にこんな文章を世に放つことを
許されたい。ホントに許して。頼むから。


そして、自負している。
私は激重拗らせ厄介オタクであると。
(字面最悪)

どうかここから先は、
真の物好きだけが読み進めてほしい。





   君の エンターテインメント

私は、さとみさんのことを、
エンタメとして捉えている節がある。

初っ端からこんなんでごめん。
君を好きでいる人間として、なかなか酷い発言をしている自覚はあるが許してほしい。
(許されたがりや)


例えば君が、活動を続ける中で密かに
放浪して、涙が出るほど傷付いたとき。
もともと弱音を零すのが苦手であろう君は、
周囲に吐き出すことも少ないだろうけど
表立って発信することはまずしない。

もし君がその事実を発信することがあれば、自分の中で、ある程度の整理や踏ん切りを
つけてからなんだ。
さらなる楽しいへと昇華させられるくらいに。

まあ、大勢の人間に対して自分の弱さを明かすなんて、私だって嫌だけどね!

私も、長年君の活動を見てきているから、
変化をなんとなく感じることはある。
でも、決してそれを表に出すことはしない。

これは"君の闘い"だから。

答えなんて言ったって、
何も解決しないと分かっているから。

そして"表舞台に立つ君"に、
そんな綻びは似合わないと知っているから。


ただし、君がしてきた苦悩を否定したいわけではない。
むしろ肯定したい。感謝している。
君がこうして成り立っているのは、裏での苦悩があったおかげに他ならない。 

きっと私達は、互いの苦悩に寄り添うことや
分け合うことはできない。

だから、君も私も、
どんなに愛や幸せを感じても
どこかに寂しさや虚しさが居座ったりする。

それでも、愛や幸せが
寂しさや虚しさを凌駕していてほしいし、
闘う君をそっと認めて、
その戦果を讃えることが、君の原動力に
なっていたら嬉しい。



話が逸れたぜ!

いつだったか君は、エンタメという言葉について、どことない寂しさを漂わせながら
話していたことがあったけれど。

エンタメは、虚構だとか、
外面を装うための嘘だと形容するには
相応しくないような、
大勢の人間から視線を浴びるこの場所で、
きっと誰もが持ちうる感覚の上に
成立するものなんだと思う。


聴衆を楽しませるため、
色々な企画を考えて演出したり、
涙や悩み事を表に出さないようにしたり。

全部をひっくるめて『リスナーのため』と
銘打って活動している君たちだけど、
本当にそれだけで成り立っているわけでは
ないことを理解している。
聴衆を楽しませ、満足させることは、
結果的に君たちのためにもなる。



でも、だからといって
それを悲観したり否定したりすることは、
エンタメに対する侮辱行為だと言っても
過言じゃないと思うんだよ。(思想)

私は、エンタメの裏側にまで思考を巡らせた上でも、全力で楽しんでやりたいと思う。


それが私なりの、君への敬意だから。


それくらい、君のエンタメが好きだから。





   君の ありのまま

私は、さとみさんの人生や性格を、
コンテンツ化して見ているのかもしれない。

これまた酷い発言だな。
今から長い言い訳をします。

君とリスナーは、基本的に、お互いに一方的な関わり方をすることで成り立っている。
例外として、お話会や握手会などの対面イベントでは対話らしいことができる。
Xや他のSNSでは、エゴサこそするものの
対話をするわけではないから、一方的な
関わり方に含まれると思っている。


君がいつも発信すること。
そしてその根源となる、過去の経験たち。
私はそれらを知るたびに、
そのひとつひとつを勝手に考察する。
そして、いくらかの主観を交えながら、
君という存在を解釈する。

でも、私の解釈が君の「ありのまま」であるかと聞かれたら、きっとそうではない。

どうしてもそこには主観が含まれるし、
そもそも君から発信されたものが
正しく君の「ありのまま」であるかどうかもわからないから。


あくまでも、見聞きした事実に基づいて
君を解釈できているとは思う。

私なりに解釈した君の人生から、小説みたく
ストーリー性を見出したりもして。

そして、ファンの創作物にしろなんにしろ、
私の解釈と合わない君を見ると
心底嫌になってしまう。



だからこれは、そのままの君を愛している、
なんて綺麗な気持ちではなくて
うるさい原作厨みたいな感覚なのだと思う。

これこそ私が厄介オタクたる所以だ。
(ほんとうに最悪)





私にとっては、ライブに行くのも、
CDを買うのも、メンシプに入るのも
それら単体を楽しむだけでなく、
君という原作もとい
君という人間そのものを消費している、
という側面がある。

歌って踊っている君を見ては、
可愛い!成長してる!エモい!とか言って
"推し"と呼ぶことで、満たされようとする。

でもこれは、私が異常なわけではなくて
実は全てのオタクに当てはまることで、
何を求めるかが違っているだけだと思う。



原作派がいればアニメ派もいるし、
どんな君が好きかも、解釈も人それぞれだ。


アニメが好きだから原作も買ったけど、
絵が気に入らなくて期待外れとか
原作が好きだからアニメも見たけど、
展開が改変されすぎて許せないとか。

期待して見に行った映画が案外つまらなかったとか、好きだったはずの漫画の結末が微妙だったとか、だったらお金を使いたくなかった、時間の無駄だった、とか。



そんなもので溢れているこの世界で、
大勢からの視線を浴びて活動する君は
本質的に何ら変わりない扱いをされている。

普段の配信で見られる、刺々しい事を言って
暴れるさとみさん(原作)よりも、
すとうぃずなどで見られる、甘い言葉を囁き
キャラクター性がより修飾されたさとみさん
(アニメ)のほうが好き、という人は
たぶん割といると思う。


こうやって"コンテンツ化"されていく君には
『さとみとはこういうものだ』とか、
『さとみとはこうあるべきだ』みたいな
解釈や理想を、みんな無意識に押し付けようとしてしまうものなんじゃないかな。 


きっと原作厨を自称する私だって、
君がいわゆる"解釈違い"なことをしたら
同じような気持ちになってしまうんだろう。




こんな空間の中で、自分の「ありのまま」を本気で見てもらおうとすることは、
間違いなく何よりも険しい道だよ。

ありのままであろうとすればするほど、
飛んでくる言葉の数々に
傷付けられることだって多くなる。

だけど、君はいつもそうだった。
険しい道を、自ら選び取るんだった。


私は、君のそんなところも愛おしく思う、
なんて言っても、許されるんだろうか。





   君の 無償の愛

私は、無償の愛というものが本当に存在するのかどうか分からない。

まあ、愛を受け取る側が『これは無償の愛だ!』と言うのなら、わざわざそれを否定するほどの気概はないんだけど。

愛を渡す側にとって、無償の愛ってなんだ?
無自覚であったとしても、
そこには必ず得るものがあるはずなんだ。

相手からの感謝であるかもしれないし、
はたまた相手の幸福であるかもしれない。
自分の中で等価たるものを得られたとき、
何よりも自分の心が満たされる。

だとしたら、無償の愛とは、
知らず知らずのうちに望んでいた対価を、
得られなかった状態のことを指す。

相手に受け入れてもらえないとか、
何らかの理由で対価を得られなかったとき
確かに無償の愛とも呼べるのかもしれない。

でもそれって、
言い換えたら"押し付け"じゃないか。

大切な愛を用意したのに
望んだ対価を得られなかったこと。
それを美化したいときに「無償の愛」という言葉は、何よりも有用かもしれない。



書きながら自分で思う。
ひねくれすぎだろ。

さとみさんが、Official髭男dismの
〈Subtitle〉の話をしていたとき、
君と同じ曲を好きでいたことに喜びを感じるのと同時に、全く解釈が違っていたから
面白かったしちょっと悲しかった。

〈Subtitle〉は、無償の愛ではないし、
献身的な愛でもないと思う。

救いたい=救われたい
勝手に君のそばであれこれと考えてる

ずっとこう言ってきた主人公にとって、
"君"に言葉を届けるということは
いつかそれが"君"の胸を震わせられたとき、
自分にとっての救いにもなることなんだ。


雪が溶けても残ってる

という最後の歌詞を見るに、
きっと押し付けのようにはならず、"君"の心に何かを届けることができたんだろう。





とか言ってるけど、私はドラマ見てないので
的はずれなこと言ってたら本当にごめん(草)



「無償の愛」の存在は否定するが、
もちろん愛が嫌いなわけではない。


私はこう思うんだ。

愛は無償でないからこそ美しい。
対価を与えているからこそ享受できる。

私たちが与え合うものも、
決して無償の愛なんかじゃない。






   私の 偶像

私にとってのさとみさんは、
希望の権化みたいな存在だ。
Save youに倣って言うとすれば、
君こそが太陽そのもの。

いやさっきエンタメであるとか書いたけど。
決してそれだけではない。
今となっては、
私の人生における唯一無二の光。

君は、時に過度なほど思慮深い。
だからこそ、私なりにしてきた思慮や
それ故に感じてきた生きづらさを、
理屈っぽいとか笑わずに
理解してくれそうで。
そんなところに、本当に勝手ながら
シンパシーを感じたのが始まりだった。

そして、過去の痛みすら、強みに変える君が
それを成功させる君が、本当に眩しかった。

育った環境や考え方には共感できるのに、
君は、私より遥か上の境地に居た。
それがどうしようもなく羨ましかった。
いくら歳が一回り違うとはいえ、
君と同じ境地に至ろうとするには
途方もない時間がかかるような気がした。

でも、そんな君を希望として見据えることで
私は、何度も、私自身を救ってきたんだ。

君は『立ち上がるな』ってたとえ誰に止められたとしても、立ち上がってくれる。
昨日に意味を持たせてくれる。
もう何年も、私が見据えた希望としての君が
確かに在り続けてくれている。
これには本当に感謝している。


たまに、君の苦難を愛おしく思う。
かつて大きな傷を負って、その体を引きずり回しながら、今、ここに立ってくれているんだということを実感するから。
その傷跡こそが、私の希望になる。

でも君も人間だから、起伏があって当たり前だし、これから先、立ち上がれなくなるようなことがあってもおかしくない。



私はそれがすごく怖い。
恐らく人一倍、怖いと思っている。

何度だって立ち上がって、どれだけ雨に降られようと、最高峰の頂上まで
登り詰めてくれる君が好きなんだ。

君には、道中で転んだまま動けなくなった
過去の私みたいにもうなってほしくない。
あわよくば、そんな私に立ち上がる勇気を、
共に進む活力を、
与えてくれるような存在で居てほしい。

実際に君がなんとなく不調っぽかったとき
『まあそのうち元気になるでしょ!』と
楽観して面白がろうとしてしまったほどに。


そうして、あるとき気がついてしまった。



これって、一種の偶像化では?



偶像化は、君が良しとしないものの一つだ。


君は大衆に推される側の人間だし、
偶像化するなと言われても無理な話だけど。
それに君だって、誰かの希望や救済となれることは、別に嫌ではないはずだと思う。


ただ私は、いつまでも君だけを
心の拠り所にしているわけにいかないから、
この状況からは抜け出したい。

そのために、
君を太陽として掲げることをやめたい。
(活動記念日に言うことか???)

存在しないと生きていけない太陽ではなくて
大きな夜空にぽつりと浮かぶ、
他より綺麗で、よく目に留まる星のように。

なくても困りはしないけれど、
見つけたら少しだけ日々が彩られて
嬉しくなるような、そんな存在にしたい。

そして、思慮深い君だからこそ、
私のこんな願いを肯定してくれると思う。



ところで。
私は、こんなにも君に心を救われてきたのに
それを君に直接伝えようとしたり、
表に出したりすることがほとんどなかった。

たまに思うんだ。
依存先の分散がうまくできないことも、
君という希望に縋ってしまうことも、
私の弱さなんじゃないかって。

たぶん私は、自分の弱さに
触れることが怖かったのだと思う。
君に感謝を伝えるのは、私がもっと
強くなってからでもいいんじゃないか、
ってどこかで思っていた。





いや、シンプルに愛情表現するのが
小っ恥ずかしかっただけかも!!!!!!





   君の 永遠

私は、5月16日を忘れないよ。

冒頭であんなこと書いておいてなんだが、
今日は私にとってちゃんと特別な日だ。

もちろん活動記念日だけじゃない。
君の誕生日だって、すとぷりの結成日だって
いつか訪れる、君が活動を辞める日だって。

そりゃあ、今と同じ熱量で覚え続けるわけではないだろうけど。

私の母親は昔、SMAPの大ファンで
中居正広さんのガチ恋勢だったらしい。

それから数十年が経った今でも、
中居くんの誕生日である8月18日を迎えるたびに『ああ、そういえば今日は中居くんの誕生日だ』ってちょっと嬉しそうにする。

端的に言おう。
私はそれになりたい。


いや嘘だ。
活動記念日は忘れると思う。(え?)
少なくとも誕生日くらいは、私の頭が生きる限り、覚えていたいって思うんだ。

たまに思い出すくらいでいい。
別に祝わなくたっていい。

子どものころ気に入っていた本を、
大人になってからふと思い出すみたいに。

君のアルバム〈Never End〉が、
形として遠い未来まで残り続けるみたいに。

ときどき、あの冒険を思い出して
ドキドキしてみるみたいに。


私の中の君を、
永遠みたいに生かしていたい。





   君の 自己愛

私は、配信者という職業が、
君にとっての天職だったと思っている。

ずっとしていたお芝居の実力を発揮できるのもそうだし、何よりも、君がこうして
「自己愛」を育める場所は、
そして、その過程が強みとなる場所は
他になかったんじゃないかと思うんだ。

自分の中の"正しい"に則って、
アウトサイダーとなってでもここまで来た君が、今や多くの人に希望を与えている。
そうやって、昨日に意味を持たせてくれる。

たぶん君は、根本的には自己肯定感が
それほど高くないと思うから、
時に過剰なほど努力をして、理想を追求して
他人から認められるなどの成果を得て、
ようやく自分を愛せるんじゃないだろうか。

ここには、君の努力を『よく頑張ったね』と褒めてくれる人がいる。

日々の中で散見される、君の些細な"頑張ったアピール"を、可愛いって言ってくれる人がたくさんいる。いや私も可愛いと思ってるよ。

他人からの好意に甘えようとしない君は、
いつだって努力を欠かさない。
そうすることで自己愛を深めていく。

そしてそんな君の性格は、可愛さは、
ここでは大きな武器になる。

現に私は、
自分のことを誇らしげに語っているときの
君が一番好きだ。

たまに度が過ぎて腹立つこともあるけど。

リスナーを愛し、愛されることで、
結果的に自己愛も高めていく、
君の姿が大好きなんだ。


だから、8年前の君に。
それよりもっと前の君にも。

ありきたりだけど
この道を選んでくれてありがとう。



諦めないでいてくれてありがとう。



自分を愛そうとしてくれてありがとう。




でも私は、
君に本当の意味で自愛してほしいとも思う。
無理があるほどの努力で、
何かに打ち込む君が好きである反面
沢山食べて沢山眠って元気でいてほしい。

これだけ多くの物に触れてきたのに、
コンビニ弁当やフルグラで心から感動できる
君の純真さが大好きだ。
いつまでもそんな君でいてほしい。



たまに思うんだ。
『よく頑張ったね』も『生きてて偉い』も、
それは甘えとか、甘やかしって一蹴するには惜しいような、続いていく明日をまた生きるための、互いを励まし合える言葉なんだと。

誰に宛てるでもなく、独白さながらの文章を書いてきた私だけど、もし君に宛てる言葉があったとしたら。

それは、君からもらった言葉を同じように
お返しするみたいな、こんな言葉だと思う。


君も私も生きてて偉い!

活動8周年おめでとう。
どうかこれからも、毎日健やかに🍻


モノローグとは、映画や演劇などにおける演出手法で、登場人物が誰に向けて話すでもなく、自らの心境などを吐露すること。または、終始そのような心境の吐露だけで構成された劇(ひとり芝居)や小説の形式。

出典:Weblio(実用日本語表現辞典)







   追記 君を愛する私の話

いつか、自分の人生を
小説みたいな物語にしてみたい。

どうしようもない捻くれ者の私とか、
その原因となる恥の多い過去とか、
そんな私が抱いている思考とか。

それら全部を乗り越えられた私が、
それまでの自分を脚色して
誰かに面白がってもらえるのなら、
そんなのって私の人生そのものに
価値が生まれる、最大の救いだと思うから。


君の人生に、
ストーリー性を見出していると言ったよね。

もし、そんな君という物語と共に、
私の人生のうち数ページを
描いてもいいんだったら。

自分だけの色で、自分なりの形で
君という存在が好きだと、
ただ語ることが美徳であるのなら。

こんな長ったらしい文章も、脳内に留めず
ネットの海に投げ入れて、

これを見た誰か、あるいは君が、
君を好きでいると言う私のことを
それだけで肯定して、認めてくれるのなら。


私は、心から
この場所に来て良かったと思える。

そして君が居なかったら、
踏み出すことはなかったと思う。

こうして発信する勇気をくれて、
こんな私がそうしたいと思うくらい
素敵な君で居てくれてありがとう。
君が輝いていればいるほど、
私はこの気持ちに自信を持てる。



君を好きでいることは、
経歴などを語るよりよっぽど
私の本質的な部分を表せると感じる。

そんな自分を肯定されると、
まるで自分の人生そのものを
肯定されたみたいに錯覚できる。
私は、それが心地いいんだと思う。

つまり、君はとっくに
私の人生の一部なんだ。





そうやって、私の人生の数ページに、
確かに君の名前を刻んで。


これを、私のモノローグと呼ぼう。
2024.5.16



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?