巨樹としての自然数
樹齢は数百年、地上から「130cm」の位置の幹周が「300cm以上」の生きている大木を「巨樹」と呼ぶらしい。
自然数の歴史は千年を超え、今なお「生きて」いる。そして、自然数の姿は多様で「樹木」の姿を見せることがある。そんな類似点から、自然数を巨樹と呼んでみたいのである。
自然数は直線状に「1,2,3,・・・」と並んでいる。あるいは螺旋状に並び広がっている、などのイメージがもたれている。
そして、具体的に自然数を並べてみると、いろいろな並べ方があることに気が付く。一行に並べるだけではなく、二行に並べると「奇数と偶数」に分かれる。
三行、四行に並べるとどうなるか?とわくわくする。
自然数の中の素数がどのように出現するのか、それらの素数の特性について分かっていることがあるからである。
例えば、四行に並べて一行目に出現する素数「5, 13,17,・・・」
は整数比の直角三角形の斜辺にあたる。
「3:4:⑤」、「5:12:⑬」などである。
ここでは、自然数の姿を「樹木」のように
「主幹」、「幹」、「枝」と呼ぶ方法を示す。
その方法で用いるのが「コラッツ予想」である。
「偶数なら2で割り、奇数なら3倍して1を加える」という操作によって全ての自然数は「1に辿り着く」という予想である。
自然数が「樹木状」に並ぶ姿を探ってみたい。
まず、中央に並べたい自然数は「偶数の中の偶数」である「2」の累乗数である。すなわち、「・・・2^3、2^2、2、1」である。
例えば、「8」は偶数なので2で割ると「4」となり、「4」も偶数なので2で割ると「2」となり、「2」も偶数なので2で割ると「1」になる。
すなわち、「8→4→2→1」と「1」に向かって真っすぐ下降する。
これを、「1」から見ると、「・・・8←4←2←1」であり、「2^n」は限りなく高く伸びる基幹であり「主幹」になることが分かる。
その「主幹」から「枝」が出る。
例えば「5」は奇数なので、「3倍して1をたす」と偶数の「16」になる。それで「5」は「16」から枝分かれさせる。
そして「5」の2倍の「10」は枝分かれした「5」の先に位置し、「10」の2倍の「20」は「10」よりなお枝先に位置し
新しい「幹」である「5→10→20→・・・」ができあがる。
同様に、「3」は奇数なので「3倍して1をたす」と「10」になるので、「3」は「10」から枝分かれさせる。
そして、その枝には「6」、「12」、「24」、・・・という自然数が枝先に向かって伸びる。
ここまでのことを樹木状に示すと前図のようになる。
「16」からの枝分かれは、方程式「3x+1=16」の解として求めることができる。同様に「32」からは枝分かれしないことが分かる。→(「3x+1=32」には自然数解が存在しない。)
2の6乗である「64」からは枝分かれが存在する。「3x+1=64」の解は「21」であるから、「21―42―84―・・・」と続く枝である。
ところで、「7」はどこに位置しているのか。辿ってみると次の通りである。(左の矢印を逆に進んでみるとよい。)
7→22→11→34→17→52→26→13→40→20→10→5→・・・
自然数の樹を少し伸ばしてみると次のようになる。
「14以下の自然数」の位置は上の樹木図に示されていて、それ
以上の自然数は飛び飛びに示されている。
この不完全な樹木図を見て、「すべての自然数はこの樹木図のどこかに位置している!」という主張に、あなたはどう応えるのだろう。多くの数学者は「たぶんそうだろう」と肯定している。
しかし、だれにも確信はない。証明できないからである。
これが1937年にロータ・コラッツ(一九一〇~一九九〇)が提示した「コラッツ予想」である。
ここで、樹木図を、縦と横だけに伸びる次図のように変形してみる。
中央の縦に伸びるのは「2^n」の数字で、そこから横に伸びているのが「枝」のように見える。
その枝は、「n=4,6,8,・・・」の数字から伸びている。そして、枝の先にある奇数(ここでは「5」、「21」、「85」)は、それぞれの「2倍」となって限りなく上に伸びていく「幹」となる。
上に伸びるだけではなく、それぞれの「幹」からは、次のようにさらに「枝」が出る。
「5」の「2^n」倍に伸びる「幹」を見ると、「n=1,3,5,・・・」と幹から「枝」が出ることが分かる。
しかし、「3」の「2^n」倍に伸びる「幹」からは「枝」は出ず、真っ直ぐ上に伸びるだけである。
これらの「幹」と「枝」の一部を描いてみると次図のようになる。
この図に描ききれない自然数の配置を想像すると「まさに巨樹」とでも呼びたい衝動に駆られる。
幹周はともかく、「幹」から「枝」が四方八方に伸び、その広がりには限りがない。「枝」はその先端が見えないほど伸びていて、樹高は限りがないのである。