私は元結核患者です【追記あり】
タイトル通りです。
結核でも色々種類がありまして、私の場合は肺結核です。
最初に異変を感じたのは、小さい頃から走るとすぐ息があがるんです。
なのでマラソンは大嫌いでした。
走った後の私の息づかいは、周りの人から見ても異常でした。
プールも嫌いでした。
体育の時間が終わると、次の授業にものすごく響く。
大学に入ってからは、咳が止まらなくて
咳止めを規定量以上に飲んでいました。
微熱の日々。
3回生の最後の試験の時はインフルで大変でした。
これで4回生の過ごし方が変わるので必死でした。もちろん誰にも言わずに試験は受けました。
就職してからは、痰と咳が止まらない。
微熱の日々。
肺の前と後ろが、キリで刺されているような
チクチク感で、いつも痛いし不快。
肩こりも激しかった。
これまで何度も数えきれない程、病院に行きました。整形や整体やカイロプラクティックやら。
一見、関係の無さそうだけど。
ドクターショッピングをしていた。
レントゲンもいっぱい撮りました。
風邪の診断なんです。
薬を飲んでも治りません。
ずっと誤診され続けていたのです。
発覚したのは、就職から1年後の4月。
新年会の次の日(休み)です。
新年会の時も具合悪く、家まで会社の人に運んでもらいました。
玄関で嘔吐し、そこからどうやって寝たのか覚えてない。
朝、咳で目が覚めた。
もう、今までにない激しい咳で
枕も布団も何もかも赤く染まりました。
咳がなかなか止まらなく、すぐさま取ったゴミ箱も赤い液体で、いっぱいに。
【私、死ぬのかな。ずっと体がしんどかったし、
怠けてるって言われた事もあって、心もたくさん傷ついたし、これで死ねたら本望やな】
と考えてました。
これから死ぬんだから、色々恥ずかしいものは捨てないと!と思い、断捨離。
これから死ぬんだから、前歯くらい綺麗にしとかないと!と思い、予約していた歯科へ行く。
帰宅がお昼になり、この赤いモノ達を片付けなければいけない。
かかりつけ医に見てもらう用に、ゴミ箱から赤い液体をプラスティックですくいました。
午後診が始まるまで、お昼寝。
16時頃、かかりつけ医。
もちろん、赤いヤツを提出。
レントゲンを撮る。
先生から
「肺がんかも。すぐに大きな病院に行ってきてほしい。病院とお母さんには電話しておくから、今すぐ行って」と言われました。
そして、大きい病院で診察を終える頃に、仕事に行っていた母が到着していた。
先生から「今から入院してください。
熱が39度あるし、肺炎を起こしてます」と。
看護師さんも「先生はなかなか入院してくださいって言わないよ?それくらい、ひどいって事」と言われました。
先生に仕事の引き継ぎだけはしたいので、1日だけ待ってほしいとお願いして許可が出たので、希望通りになった。
入院してから、初めて痰の検査をする事になった。
結核と確定診断がくだったのは、入院してから1週間後でした。もちろん、すぐさま結核病棟のある病院へ転院しました。
結核は空気感染です。
主の免疫力がしっかりしておれば、発症しないで過ごせます。
そう、私は弱りきっていたのです。
そして遺伝も関係があります。
私のおじいちゃんが結核で亡くなったと、その時教えてもらいました。
私が知っている、おじいちゃんではなく、前のおじいちゃんです。
おばあちゃんは、結核旦那さんと死別して、おじいちゃんと再婚した形です。
入院してびっくりしたのが、本当に若い患者さんが多いということ。男女問わず。そして、皆さん繊細な性格です。
喧嘩だったり脱走だったり…。夜中に色々…。
今は、結核はもちろん治っていますが
年を取った時に再発するリスクはあります。
退院時指導で、走る事はできない。
お風呂にはつかれない。(胸が圧迫される)
不便はありますが、とにかく呼吸器に絡む病気にはなりたくないと強く思っています。
結核なんて戦時中の話でしょ?と
思っている方が多いと思うのですが、
フタを開くとそうでもないんです。
皆さま、ご自愛くださいね。
【追記】
結核の後遺症で、話をするのが好きだけど、
肺が苦しくてハァハァしてしまうので、
話すのが苦手になってしまいました💧
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