お父さん

私の父と母は別々に暮らしている。もう15年になるだろうか。
ここ5年くらいは、2人で日帰り温泉に行ったり、ラーメンを食べに行ったり、時々喧嘩をしながらもなんだかんだ仲良くやっているようだが、今の関係になるまでの道のりはそう甘いものではなかった。それは2人の子供である私と姉2人にとっても同じことだったのだが。今の距離感が1番心地よい家族関係を構築できているように感じている。
籍が入っているとか、一緒に暮らしているとか、そうゆうことだけが全ての夫婦にとっての幸せの形ではないことを、父と母を見ていて心底実感している。
そしてそのような2人を、私は親としてとても尊敬している。

1つ心配なのは、父の食生活だ。
私の父は一般的な70代の男性にしてはきちんとしている方だと思う。
家の中の整然さや、身なりの清潔感からもそれは伝わってくる。
作務衣に身を包み、草履を履き、白髭を蓄えた父は、娘の私からしてもなかなかのセンスの持ち主だと思っている。
父は今、毎日10km走っている。70歳になった今、トレイルランニング(山の中を走る競技)に出場することが目標だという。もともとアウトドア派で体を動かすことが好きな人ではあり、数年前から筋トレを始めていたことも知ってはいたが、いつの間にかそんなに走れるようになっていたとは…。
毎日10km。今の私には到底走れない。
父曰く、
「最初は数百メートル走るだけでヒィヒィ言ってたけど、毎日続けていると10kmは余裕になるもんだな。」
とのこと。まさに、"継続は力なり”である。

しかし、そんな頑張り屋の父でも料理はだいぶ苦痛なようだ。
私の実家は家のすぐ裏手にセブンイレブンがある。今のコンビニ冷凍飯の企業努力たるや、外食産業を脅かすほどのクオリティーを呈している。
父もその企業努力にあやかり、買い溜めてはストックしているようだ。
それでもできる限り体のことを考えて、納豆や野菜などを摂取しようとしているが、毎日のこととなるとなかなかバランスの取れた食事は難しいようだ。
なので時々、我が家の食卓に父を招く。

「今日、夕飯家で一緒に食べない?」
と電話すると、
「ありがてぇ〜〜〜!行きます!」
と大喜びだ。その反応に、誘ってよかった、と毎回思う。

昨日の献立は
鶏の唐揚げ、根菜の煮物、レタスと水菜のサラダ、豆腐とネギのお味噌汁、そしてご飯だ。
父は
「うまい、うまい!」
と言いながら、ご飯をおかわりした。

「本当に毎日何を食べようか困るんだよなぁ。最近は、人ってなんで食べなきゃいけないんだ?なんで眠らなきゃいけないんだ?って考えちゃってさ。
最近、なんで?なんで?がやたらと多いんだよなぁ。」

そうしみじみ話す父。70歳を超えた今、思考年齢が3歳児クラスの父のそういう心の若さ("幼さ”という表現の方が正しそうだが)が毎日10キロ走る原動力になっているのかもしれない、と思った。

夕飯を食べ終わり珈琲を飲みながら話をしていると、息子が
「何かして遊びたい」
と言い出した。
トランプや知恵の輪を一緒にやろうと勧めたが、今日は嫌だと一蹴された。
すると父が、
「迷路、作ってやる!」
そう言って、息子のお絵かき帳に迷路を描き始めた。

「昔よく描いたんだよなぁ。中学時代友達と模造紙1枚がいっぱいになるような迷路を描いたこともあるんだぞ。」

そう話す父が描く様子を私と夫と息子3人で見ることに。
それが本当に凄かった。
線に迷いが全くないのだ。
息子が、
「なんか、中国のマークみたいだね」
と言った。確かにあのラーメン丼ぶりとかの淵あたりに描いてあるクルクルしたやつに似ている。
それにしても、描く手が止まらない。あっという間に描き終えてしまった。

「やってごらん!」
出来上がった迷路を夢中で解く息子。

「やったー!ゴールできた!ジジ、こんなの作れるなんてすごいね!!」
孫が喜んでくれて嬉しくなった父は、さらに細かい迷路をもう1枚描いてくれた。

迷いのないペン運びが、何十回と迷路を描いてきた経験値を物語っていた。
必死になって描き続ける父。その姿を見ていて、思った。
そうだ。
この人も子供だった時があるのだ、と。


仕事から帰ってくるといつも不機嫌な父が、嫌だった。
父の乗る車が帰宅すると、実家の前に敷いてある鉄板がバタンッと鳴る。
(帰ってきた…!)
ドキドキしていた。今日はどんな顔をして帰ってくるのか、それが気がかりだった。帰ってきた父に少しでも笑顔になってもらいたい。私はわざと隠れたりして、父を驚かすということをよくやっていた。隠れると言ってもこたつの中とか隣の部屋とか、すぐにバレてしまう場所しか選ばないのだけど。

「いないなぁ〜…ここか?!」
毎回バレバレですぐ見つかったけど、それで少しでも父が笑ってくれることが嬉しかった。

どうして父はいつもイライラしているのだろう…子供心ながらにそう思っていた記憶がある。

それから2、30年が経ち、私は結婚し親になった。
そして今、当時の父の気持ちが手に取るように分かる自分がいる。


実家の押し入れを開けると、懐かしいものがたくさん出てくる。
運動会のプログラムや、書き初めとかもあったかな。とにかく、「こんなものまで?」と思うようなものが綺麗に残されている。父は思い出をきちんと残す。
昔のビデオを再生すれば、
「今日は〇〇に来ました。遊んでますね。」
みたいに、ちょっとした実況中継をする父の声が入っている。
因みに今でもスマホで撮影しながらよく実況中継をしていて、その姿に
"父だなぁ”といつも思う。

本当は怒りたくなんかなかったし、イライラしたくなかっただろう。
でも、どうしても無理な時が人にはあるのだ。
きっと父も、すごく必死だった。


今父は、すごく優しい。お腹が空くと少しイライラするくらい。
私の息子はジジ(おじいちゃん)が大好きだ。
私の2歳の甥っ子なんて
「ジジ、かわいいねぇ〜」
とか言ってるし。私と姉は「お父さんが可愛いとか信じられん」と父の変貌ぶりに戸惑ってすらいた。

いや、本当は、変貌したわけではないのだ。
きっと父はもともとこういう人。
遊ぶことが大好きで、好奇心が旺盛で、冗談を言いまくる。
それが父だったのだ。

仕事を退職し、子供達は手を離れ、親の介護も終わった。
色々あった母とも良い関係で過ごすことができるようになった。
晴れた日は愛車の白いフォルクスワーゲンでドライブをし、
健康な体で毎日好きなだけ走ることができる。
年末年始は娘(長女)が年越し旅行に連れて行ってくれた。

父の心には、余裕ができた。
他愛もないことに「なんで?」と思いを馳せられるようになった。
父は長い間、すごく頑張ってきたのだ。(もちろん同じくらい、いや、それ以上にと言っても過言ではないくらい、母も頑張ってきたことは百も承知である。)

迷路を描く父は、父親でもなく、ジジでもない。
1人の少年であり、1人の人間だった。


父の子供の頃の通知表を見たことがある。もう50年以上も前の通知表が綺麗に残されていることにも驚いたが、その内容に思わず笑ってしまった。

「人の話を聞きましょう」

小学校1年から中学3年まで、一貫してこう書かれていた。
そして今でも父はあまり人の話を聞いていない。約束していた日付も間違えることがよくあるので、事前に何度か確認する必要もある。とにかく、自分の話したいことや好きなことで頭がいっぱいなのだろう。

それが私のお父さん。

私はそんなお父さんが、大好きだ。




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