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インドコブラの雲と、おばあさん。
「今日、学校行かなきゃだめ?」
とある朝の息子の第一声だ。
息子は、はっきりと「行きたくない」と言わない。
これは頭では「行ったほうがよい」と理解しているからだと思う。
親とすれば、本当は学校に行ってほしい。
友達なんて上手に作れなくてもいい。ただ、どうしたって勉強は教えてあげることはできないのだ。
"勉強なんて二の次だ!”
そう言えたらなんかかっこよく聞こえるんだけど。
私には、それは口が裂けても言えない。
やはり基本的な学習は欠かすことのできないものだと思う。
息子は私より遥かに頭がいい。それは人間的にも、知能レベル的にも。
彼のこれからの可能性を私の短絡的な「勉強なんかクソくらえ」精神に付き合わせるのは申し訳なさすぎる。やっぱり勉強はしておくに越したことはない。
しかし、ここ最近私自身も仕事が忙しく、息子とのコミュニケーションが不足しているのは自覚していた。
「学校に行くのが寂しい。」
ポロポロと泣きながらそう溢す。
偶然かな、前日の夜、店の予約のキャンセルの連絡があったので、この日の予約はなくなっていた。
私も店を休みにして息子と1日過ごそう。
そう決めた。
「今日はお母ちゃんも休むから、1日一緒に出かけようか。」
「…いいの?じゃあ、電車に乗って出かけたい!」
5歳ごろまで生粋の電車オタク、駅オタクだった息子。
毎週末、どこかしらの駅に連れて行けとせがまれ、駅をはしごしながら1日を過ごしたりしていた。全く電車に興味がなかった私にとっては、駅で電車を眺める時間の何が楽しいのかさっぱり分からない。
そして駅のホームは、夏は暑いし、冬は寒い。意外と過酷な環境だ。
しかし、入場料の150円だけでテーマパーク並みの興奮を見せてくれるので、コスパは最強なお出かけではあった。
それに、息子が電車に興味を持ち始めてから、私と夫も鉄道知識がつくのも楽しかった。貨物列車が通ると、
「あっ!EFだよっ!」
と、合ってるのか定かではない情報を大声で叫び、息子に報告してしまうようにもなった。息子よりも興奮してしまう自分に驚く。
私鉄とJRの路線の違いも分からなかった私が、息子のおかげで違いが分かるようにもなった。
そんな息子も、ここ最近はめっきり電車への興味は薄れていたので、彼の口から「電車に乗りたい」という言葉が出たことが、なんだか懐かしく、嬉しかった。
せっかく休んでお出かけするのだ。学校のことは忘れて、今日は思い切り楽しもう!と約束し、電車で1時間半ほどの街までの電車旅がスタートした。
彼は電車に乗っている時に外の景色を眺めるのが好きだ。
「ここは何駅?」
「あの山、めっちゃ綺麗だよ!」
「見て!あの雲、インドコブラみたいだよ!」
インドコブラて。
と思って見上げてみると、本当にインドコブラみたいだった。
4人がけのボックス席に向かい合って座っていると、私の隣に白髪のちょっとお洒落なおばあさんが座った。
ボックス席での相席って妙に緊張しませんか?
普段、車移動が主なので、電車のような他人と同じ空間で移動すること自体にも緊張感があるのに、ボックス席での相席はかなりハードルが高い。
怖がりな息子は顔を強張らせ、おばあさんをチラチラ見ながら、不安を拭うためか「手を繋いでほしい」と手を伸ばし求めてきた。
子連れだと年配の女性は話しかけてくることもある。
ゴールの駅まであと30分。
仮に自分から話かけたとしても、話を打ち切るタイミングがよく分からなった場合、何だか微妙な空気が流れたまま30分を過ごさなければならないことになる。
このまま話しかけられずに到着できるか…。
そんなことを考えながら、息子と何気ない会話をしていた。
私
「駅でよく言われる"黄色い線の内側にお下がりください”ってやつ。あれって、人によって内側と外側の概念違うから、言い方変えたほうがいいんじゃないかってずっと思ってるんだよね。むしろ、黄色い線の黄色の中(線の上)にいなきゃいけないんじゃないかって子供の頃思ってたわー。」
息子
「内側がホーム側ってことなんだよね?ってことは駅舎の外の信号も黄色い線の内側ってことだね。」
おばあさん
「すごいねー!そうだよ!合ってるよ!」
おっと。ナチュラルに会話におばあさん参入だ。
おばあさんは息子をしきりに褒めてくれる。
「こんないい子、今まで見たことない」なんていう、そんなことある?な褒め言葉までくれた。
それを受けて、私も息子もおばあさんへのガードが一気に緩んだ。
すると突然息子が
「どこの駅で降りるんですか?」
と質問したのだ。
どうした息子よ。
すごいコミュ力(りょく)じゃないか。
「〇〇駅だよ。」
と答えるおばあさん。すると
「どこからきたんですか?」
「〇〇市に住んでいるんですか?」
「〇〇市っていいところですよね。」
などと、息子がおばあさんと次々に会話を交わしていく。
息子はおばあさんへの興味を臆することなく言葉にし、7歳の知りうる最大限の敬語を使って年配の方へ敬意まで払って会話をしていたのだ。
おばあさんと話すことに警戒していた自分が恥ずかしくなった。
終点駅に着いた。
「またね。」
そう言っておばあさんとさよならをして、私たちも電車を降りた。
(この時間を過ごせただけで、今日休んでよかった。)
そう、思った。
その後は一緒にカフェに行き、駅のそばにあるお城に上り、街中をいっぱい歩いた。そして、いっぱい笑った。
息子は終始、
「楽しい!」と私に伝えてくれた。
多分、私の方が楽しんでいたんだと思う。
この日以来私の中で、彼が人として、ひと回り大きくなった。
息子は翌日から、学校に通い始めた。
きっとまた彼の心に雨雲が立ち込める時もあるかもしれない。
その時はまた一緒にいっぱい笑って、美味しいものでも食べようと思う。
いつかあなたが大きくなった時、この日の出来事をきっと思い出すのかな。
移り気の早いあなたはきっと忘れてしまうかもしれないけど。
一緒に見たインドコブラの雲も、
おばあさんとの会話も、
一緒にカフェで食べたちょっと甘いワッフルも、
帰りの電車でずっと手を繋いでいたことも。
お母ちゃんは全部きっと、ずっと、忘れない。