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朝食の一コマから。
今朝、ピザトーストを家族3人で食べていた時のこと。
「お母ちゃん達のは、なんでウィンナーが入っているの?」
今朝のピザトーストは、玉ねぎ、ピーマン、トマト、チーズのみ。
ハムもウィンナーも入っていないはずだ。
と次の瞬間、
「あ。指か。」
指をウィンナーと見間違えられました。
こういうどうでもいい不意の発言って、時に笑いのドツボにハマることないですか?
音も出ない爆笑に口の中の物をどう処理しようか悶絶する私と夫。
それを不思議そうに見つめる息子。
そりゃ意味分からないでしょうな。お父ちゃんとお母ちゃんもなんでこんなに笑っているのか、よく分からないのだから。
ここ最近は、ちょっと不調気味だった。
気圧の乱れとか、女性特有の月1デトックス期間とか、そうゆう時に限って仕事が立て込んだりとか。色々な要因で心と体のバランスはグラグラと不安定に揺れ、時にガタガタと崩れてしまうのだ。
調子がいい時の自分を「これが自分!」と思い込んでしまうと、調子が悪くなった時に「頑張れてない…」とか「なんでうまくできないんだろう…」とか無駄に落ち込む。
でも、実際にはその全部が「自分」
元気に動き回れる時もあれば、鉛のように重くて動けない時もある。
やる気に満ちて一気に片付けられる時もあれば、靴下1つ片付けられない時もある。
アイディアが次々湧き上がってくる時もあれば、何も考えられない時もある。
人といて楽しい時もあれば、誰とも会いたくない時もある。
白いご飯が大好きだけど、無性にパンを貪り食べたい時だってあるのだ。
抗わず。
悩む時はとことん悩み、
泣きたい時はひとしきり泣いて、
怒りたい時はしっかり怒る。
自分の感情に戸惑いながら、それらをしっかり自覚して、一旦受け入れてみる。
それが私の今の所のやり方。
感情の消化不良が1番良くない。
腸内環境と一緒。
しっかり噛んで、飲み込んで。出してバイバイ、さよーなら。
でも考えても考えても抜け道が見つからない時だってもちろんある。
そんな時に私を救ってくれるのは、いつだって"しょうもない笑い”だ。
これだけの情報社会。
"有益ですよ”の顔をしたもの達に囲まれた世の中。
もちろんそれらに助けてもらう時もある。
でも、たまにその有益性に疲弊する。
私の周り、そしてきっとこの文章を読んでくれているあなたの周りにも、どうしようもないほどにくだらなくて、しょうもないものがコロコロと転がっているはず。
それに気づけた時、肩の力が急に抜けて、自分が何かに囚われていたことに気付かされる。
"指がウィンナーに見えた。”
単なる息子の見間違え。冷静になると何がそんなに可笑しかったのか。あんなに笑った自分が意味不明なんだけれど。
でも本当に可笑しくて仕方なかった。
ひとしきり笑ったら、小さなイライラがちょっとだけ消えていた。
ピザトーストも、さっきよりちょっとだけ美味しくなったような気がした。
こんな単純な自分、結構悪くない。