さぁ、正義について話そう
想像して欲しい。
あなたは社宅に住んでいる。
上司の家族が引っ越してきた。
子供達の年齢も近い。
あなたの家に上司の子供達が遊びに来るようになった。
勝手に家の収納を開ける。
「そこにはおもちゃはないのよ。」
そういってもやめない。
それどころか反論してくる。
卒園した幼稚園の友達数名と遊園地に行くことになった。
待ち合わせの場所に行くと、上司の子供がいる。
「どうしたの?」と聞く。
「遊園地行くんでしょ?」
慌てて上司に電話する。
「出発しないといけないんです。」
「連れていってくれてもいいじゃない。
お金は持たせてるし。」
置いていくわけにもいかず、連れていく。
周りの友達は知らない子に気まずそうだ。
上司の子供を家に送った。
「仲間はずれにされた。」
世の中には生まれながらに恵まれた人間がいる。
そういう人間は自分が優遇されている状態が当たり前だ。
しかし大多数の人間は譲り合いながら、折り合いをつけながら生きている。
人間は完璧ではない。
だから間違ったことをする。
間違ったことを指摘されることもある。
反省して、経験を活かしていく。
だが、恵まれた人間の中にそう思わない人がいる。
指摘やアドバイスを素直に受け入れられない。
なぜなら、周りの人間を見下しているから。
そして指摘やアドバイスを嫉妬と受け取り、
自己を正当化する。
ちくちく言葉とふわふわ言葉
「正義」に考え始めたきっかけがある。
百田尚樹チャンネルのコメント欄だ。
百田尚樹氏が他の言論人を攻撃していて揉めすぎだという。
ちくちく言葉とふわふわ言葉を子供が小学生の時知った。
同じ趣旨の言葉でも心が傷つく言葉と温かい気持ちになる言葉がある。
ふわふわ言葉を使いましょうと指導しているそうだ。
百田尚樹氏は確かにちくちく言葉が多いと思う。
しかし、指摘しなければならないことを指摘していると私は思っている。
社宅の例えを考えて欲しい。
間違いは指摘して改善できたとき、良好な関係が築ける。
だが世の中そんなに単純ではない。
上司の子供はどんな大人になるのだろうか。
官邸で息子がトラブルを起こす。
親も子も自分の立場を理解していなかった。
周りの人間が指摘しずらいことを。
たまに指摘する人間のことを見下していたのだろう。
自分の行動を顧みず。
百田尚樹氏は私たちがうまく表現できないことを言語化してくれる。
生活していて指摘した方がいいなと思うことがある。
だが、うまく表現できず黙ってしまう。
政治家で失言と言われる場合があるが、
言いたいことはわかる。
でも言葉が足りなかったり、表現が誤解を受ける言葉だったりする。
百田氏は本当にうまい。
だからこそ指摘された人間には抜けない矢になるのだろう。
ふわふわ言葉では問題は解決できない。
ただ、仲良くしているだけでも何も見えてこない。
問題を隠しているだけ。
それが自民党という組織が表している。
「正義」って本当に難しいと改めて思う。
うまくまとめることができなかった。
みんな自分が正しいと思って生きている。
でも、人間だから間違いだらけ。
自分を顧みる謙虚さと、
人を見下したり、誰かに服従しない。
そこから正義が始まる。