ローランド伝統の3回蒸留 度重なる悲劇に耐え続けた【AUCHENTOSHAN】オーヘントッシャン蒸留所
みなさまこんにちは。
本日も様々なお酒をご紹介していきたいと思います。
本日のテーマは「オーヘントッシャン」蒸留所についてご紹介します。
オーヘントッシャンは、スムースな飲み口とはちみつ感ある優しい甘み、スパイシーな後味が特徴。
ローランドモルトの伝統3回蒸留を守り続けているウイスキー蒸留所です。
オーヘントッシャンは、ローランドといわれる地域の中でも北部、ハイランドとの境界付近にある蒸留所。
商業・工業・貿易の中心地として栄えたグラスゴーの郊外、
船交易の拠点クライド湾を見下ろす斜面に建っています。
オーヘントッシャンはスコットランドゲール語で「野原の片隅」を意味だそうです。
オーヘントッシャンは、クライド湾近くということから歴史の大きな流れに翻弄された蒸留所なのです!!
翻弄されながらもウイスキーづくりにはこだわり続けたオーヘントッシャンのストーリーから製造のこだわりなど、その魅力について迫っていこうと思います。
スコットランドのローランドを代表する蒸留所の一つであるオーヘントッシャン、もともと1560年に修道院があったところに建てられたそうです。
オーヘントッシャンの前進はダントチャー蒸留所というところで、1800年にはその存在が記録されています。
その後1823年に公式オープンしました。
オーヘントッシャン蒸留所はローランドモルト伝統の『3回蒸留』を行う蒸留所として有名で3回蒸留はアイルランドに多い製法。
オーヘントッシャン蒸留所の創業者もアイルランド移民だといわれています。
実は、アイルランドではこの頃多くの死者をだした悲劇が起こりました。
それが1845年から49年にかけて起こった「ジャガイモ飢饉」。
ジャガイモの長期不作により、貧困層を中心に大勢の命を奪った出来事です。
この出来事は多くの死者が続出し、また他国へ移住したりとアイルランドの約2/3もの人口を減らしてしまった大事件でした。
スコットランドにも多くのアイルランド民が移り住んだそうです。
その時に交易の中心の港近くにあり、
アイルランドと同じ3回蒸留を行うオーヘントッシャン蒸留所には、職を求めて多くのアイルランド人がやってきたそう。
そしてオーヘントッシャン蒸留所は多くのアイルランド人を雇い、多くのアイルランド人を救ったとされています。
さらに戦争という悲劇もオーヘントッシャン蒸留所にさらなる追い打ちをかけます。
グラスゴーは商業・工業・貿易の中心地で「大英帝国の第2の都市」といわれるようになっていきました。
第二次世界大戦時、大英帝国の一大拠点となっていたグラスゴーは
もちろんドイツ空軍から標的にされてしまいます。
1941年3月13、14日の2日間にわたって総数20万個もの爆弾が投下されました(クライドバンクの大空襲)。
これにより死者528人、重傷者617人以上、そして4万8,000人の市民が家を失ったそうです。
イギリス史上最悪の空襲の一つに数えられています。
オーヘントッシャン蒸留所も甚大な被害を受けました。
蒸留所自体はかろうじて残ったものの、ウイスキーを寝かせておく熟成庫は壊され、大事に眠っていたウイスキーが大量に近くのクライド川に流れ出したそうです。
大量に流れ出たウイスキーで川が琥珀色に染まったといわれています。
その後蒸留所は再建され、また一からウイスキーづくりをスタート。
この空襲により、蒸留所の敷地内には大きなクレーターができ、池になったそうです。
そこの水とハイランド産のカトリン湖の水を、蒸留所は仕込み水にしています。
その後1984年にはボウモアと提携。モリソン・ボウモア社を設立。
モリソン・ボウモア社がビーム社に買収され、その後ビーム社をサントリーが買収。今ではサントリー系列のスコッチモルト蒸留所となっており若年層にも人気な、ライトでスムースな飲み口のウイスキーを作り続けています。
弊社が運営するオンラインストアでは貴重な80年代流通のオーヘントッシャンが限定で発売されております。
5年熟成とは思えないほどの余韻の長さと歴史の深さをこの機会に是非!!