4連休初日に美術館で黄色いワカメを見つけてきた
特に予定があったわけではないのだけど、目覚めるともう「美術館に出かけたい」という気持ちがあった。カーテンの外の雨足は強かったけど、午後には雨は柔らぐという天気予報を信頼し、折り畳み傘を持って部屋を出た。
傘の上で波打つ雨音を聞きながら駅へ向かうと、チノパンをはいたアメンボがスニーカーを濡らさないように、恐る恐る水たまりの上を移動しているのを見た。
なにもこんな雨の日によそ行きの服を着て出かけなくてもいいのに。
電車に運ばれ、わたしは初めて訪れる街に降り立った。マツモトキヨシやNewDaysに混じってなにを売っているのかわからないお店があった。そこかしこに異世界への扉が開いている。
人はデザインによって文化の枠組みを認識していて、その中でも非日常を渇望している。あとは未知の世界踏み入れるという選択をするか否かだけども、わたしは目的地を目指すことを優先させた。
美術館に着く。人の姿はまばらだった。やはり自粛ムードだろうか、それとも祝日とはいえ水曜日の客入りはこの程度のものだろうか、などと考えながら鑑賞をはじめた。
断っておくと、わたしには美術史や芸術史の教養がない。
印象派だとかキュビズムだとか、言葉としては記憶していてもその本質を理解していない。
だから、わたしはわたしの感覚を頼りに作品を鑑賞する。
半年ほど前に高校生の作品展を見に行ったことがあったが、芸術の大家であろうが無名の高校生の作品であろうが、わたしが「良き!」と思れば良いのだ。
ふと気づくと館内に多くの人がいた。年齢層は30代から60代といったところだろうか。ひとりで来ているポロシャツ姿の男性が多かった。もしかしたら、最初から彼らはいたのだけど、わたしが必要としていなかっただけなのかもしれない。
皆一様に物音を立てずに絵画を鑑賞している中、話し声が聞こえてきた。
若い男女だ。女は20代半ば過ぎといったところか。ロングスカートと黒い長袖でどこか上品な印象だ。華奢な腕でいくつもの書類を抱えていた。男の方はもう少し若く感じられる。見た目が、というよりも話し方や佇まいから学生のようだと思えた。彼は大きな黒いリュックを背負い、そこにカメラがひっついていた。肘の辺りには腕章があった。
どうも、カップルという感じではない。
会話は漏れ聞こえてくる。女が男に展示作品について教えているようだ。女は作品や作者について詳しい様子で、男のほうは改まって聞いていた。先生と生徒のようだった。
学芸員同士の交流、あるいは研修に近いものなのかもしれない。
わたしとしては美術についてレクチャーを受けるチャンスである。しかし、声を掛ける勇猛さはわたしに備わっているはずもなく、それがあまり褒められた行為ではないと自覚しつつも、女の言葉を拾い集めながら作品を見ていた。
男「都鳥(ととり)も印象派なのですか?」
女「う〜ん、そもそも日本の芸術家の作風に印象派をそのまま当て嵌めるのは難しいです。印象派『風』といった感じですね」
なんてことをお話になっておる。先生、わたしにも教えてください!
しばらくすると彼らは消えた。
わたしは千載一遇の好機を逃したような気持ちで、他の展示コーナーへと足を運んだ。
そして、そこで黄色いワカメを見つけた。
縦の寸法が2mを越えるおその作品は『晨』という。音読みは「シン」であるが、訓読みはよ「あした」や「よあけ」などがある。
青を基調とした世界。水面のそばにいくつかの木が立っている。その木々は暗い色調のものと、黄色やピンクのものが重なりあう。絵画全体が靄に包まれているような淡く描かれているため、大変幻想的に見える。作品のサイズが大きいこともあってわたしは釘付けになった。
グイと近寄り、目を凝らして見るとその作品は非常に精緻に描かれていることがわかった。これはなんの木だろう、どこの風景がモチーフになっているのだろう。幸か不幸か作品についての解説が見当たらなかったことで、わたしの好奇心は大きく刺激された。ピンクの色は桜だろうか、いや花の在り様は梅のような感じもする。そして黄色のはなんだろう‥…。
そうしてわたしは黄色い葉の輪郭をよ〜く確かめ、気づいた。
これはワカメである。
黄色いワカメが描かれている。