アウトプットにつながる行動の選択基準
わたしの行動の選択基準からは大事なものが抜け落ちていた気がする。それは『シェアする価値』といった視点ではなかろーか、というお話。
1:合理的に趣味を消費する
最近わたしは週に1、2本映画を観ている。おもしろい映画もあれば、それほどでもない映画もある。途中で観るのをやめる場合も多々ある。
映画について熱く語れるほどではないけど、誰に指示されるわけでもなく映画を観ているので映画を観るのは好きなのだろう。
でも、わたしはもう3年近く映画館に行っていない。映画の内容に関心は寄せても、映画館での観賞にはあまり価値を感じていないのだ。
この場合、わたしの価値観に基づいた損得勘定は以下のようなものだ。
スクリーンや音響の迫力は映画館ならではの体験だけど、「1800円払って映画館で観賞」と「自宅でのんびりAmazonプライム視聴」を比べた時、わたしは100%の確率でAmazonプライムを選ぶ。
動画配信サービスなら上映時間を気にする必要がないし、サブスクリプションに加入しているのだから対象作品は見放題、ハズレを引いたと思ったら途中で観るのをやめればいい。
代金、拘束時間、体験から得られる楽しさの期待値といったものの総和がおうちでアマプラのコスパに抗えない。
これが合理的だと思っていた。
2:趣味をアウトプットする時の付加価値
わたしは時間とお金の消費量を気にするばかりで、行動選択の基準がひとりよがりになり過ぎていたように思える。
趣味や近況を聞かれた際に、それが他者にとってどれほど価値があるのかほとんど考えてこなかった。
別の言い方をすると、わたしの趣味はわたしを刹那的に悦ばせるだけで、そこに広がりはなかった。
個人の趣味だからひとりよがりでもかまわないのだけど、他者と情報を共有した上で成り立つコミュニケーションが楽しいこともあるのだから、そういったことを一考してみる価値はあるのではないか?
これは自分の好みを追求することと矛盾しない。
他人の趣味の話を聞くのはおもしろい面もある。その人の世界観が伝わってくるし、彼らの世界がわたしにとって未知であれば新奇性に溢れているからだ。
そういう「おもしろい趣味の話」を聞かせてもらった経験は誰にでもあると思う。わたしはそれが特別ディープやマイナーな趣味でなくとも、「なぜその趣味に情熱を注ぐのか」という部分を大いに聞かせてもらうのが好きだ。
でも、自分が趣味を話す側になるとひしひしと感じるのは、人はそこまで他人の趣味に興味がない、ということだ。
例えばわたしが、「先週の日曜日にAmazonプライムで『第9軍団のワシ』を観たら、なかなか面白かった」と言ったとして、誰がこの話を聞きたいだろうか。
他者の興味を惹くのは難しい。個人の嗜好が尊重される代わりに、他者に無関心になることも求められているようにすら感じる。
ただ、人にはある程度共通して興味を持つものもある。例えば、新しいものであったり、秘密になっているもの。いわゆる一次情報と呼ばれるオリジナルの情報。
映画でいえば、最新作は映画館でしか観られないがそれだけで価値がある。地上波とプライムビデオで広く視聴可能になった時点で情報としての価値は相対的に下がる。(そういう意味では映画『劇場』はとんでもないことをしたのだと改めて思う‥…)
おしまいに。
お金や時間的コスト、あるいは自分の嗜好だけでなく、「他者にとって有益な情報への加工のしやすさ」とでもいうか、そういうアウトプットへ繋がるかどうかを行動の選択基準に取り入れてみようと思った次第です。
てか、今までそういうのがすごく嫌だったんだけど、たぶん程度の問題だと思うんだぁ。
おしまい。