語尾が上がりがちな日本語使いだった幼少期
私はタイで生まれた後、中学生になるまでタイと日本を行ったり来たりして育ちました。
今でも時々ふとした瞬間に、幼少期の自分が話す日本語はタイ訛りだったなあ~と思い出すことがあります。
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幼少期の私は、日本語が苦手でした。
タイ人である母は、父と結婚した当時、日本語能力はゼロだったそうで。結婚してから、一から日本語を勉強し始めたと聞きました。
当時一番良く耳にした日本語は、母親のカタコトの日本語。日本にいる時は、とにかく母親と過ごす時間が長かったと記憶しています。
子供って、まずは親が発する音から真似していくものなんでしょうか。
私はその線の専門でないし子育て経験もないので分かりませんが、今思えば当時私が発していた日本語は、母親由来のものが多くあったように思います。
子供なので、自分の親がカタコトなのかどうかなんて気が付かない、というか分からない状態である訳ですが、
日本の幼稚園に通い出してから、自分の日本語の発音がどうやら正しいものではないと知ることになります。
そう、周りのクラスメイト達が親切によく教えてくれました。笑
”バドミント↑ン” じゃなくて ”バドミントン” だよ。
とか、
”ハンバーガー↑” じゃなくて ”ハンバーガー”だよ。
とかとか。
え!わたしずっと違ったの?そうなのか~!!!目から鱗!
って感じでした。
以来、母が話す日本語は必ずしも正解とは限らず、場合によっては自分が教えてもらったように母にも教えなければならない、
と子供ながらに認識し、ある種の義務感が芽生え始めるきっかけとなった気がします。
(結局、母の発音矯正は難しくて放置することになるのですが。爆 意味は通じるし、いちいち会話が途切れるのも不便だしね。)
あとは、日本語の単語も、ほぼ日本人オンリーの幼稚園に通うことでもの凄いスピードで覚えた気がします。
家ではタイ語で済ませてしまっていて日本語を知らない単語や(”ヤーン”という単語は知っていたけど、”ゴム”と言う単語は知りませんでした)、
家では出てこないような、自分にとって新しい日本の言葉をたくさん知りました。
きっと、大勢の日本人の中で過ごすことが、良い日本語修行になっていたんですね。当時関わってくれた多数のキッズ達に大感謝です。
そんなこんなで、私の日本語は少しずつブラッシュアップされていきました。
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幼い頃の出来事って、案外覚えているものですね。
特にハンバーガー↑は自分の中でよっぽど衝撃的だったのか、未だにクラスメイトに指摘されたシーンがそのまま脳裏に焼き付いていたりします。笑
決して嫌な思い出という訳ではないです。ただただ、びっくりだったんでしょうかね。指摘された、というよりも、教えてくれた、という表現の方が良いのかも。
日本に行かずに、小学校途中くらいまでずっとタイの実家にいたらどうなっていたんだろうなあ。なんて妄想してみたりすることもあったり。
ちょっともう、その場合は日本語習得はあっさり諦めていた可能性大だったと思いますw
今はオンラインで気軽に色々勉強出来そうだし、20数年前と比べたら大分ありがたい環境になりましたよね。
今の子達、良いよな〜。いつでもどこでもYouTubeで何でもみれるなんて!
それにしても、子供の言語教育ってどうするのが正解なのなかな。いや、正解とかないのか・・。
いつか真剣に悩む時が訪れそうです。
☺︎ขอบคุณค่ะ☻