人の恨み 2/29
音ゲーマーが集まるサーバーにいるのですが、まあなんとも人間関係の問題が多すぎて、一難去ってまた一難の繰り返し。なろう小説もビックリのペースで問題が起きる。金の貸し借り、恨み、恨まれ...見苦しすぎる!おまけに音ゲーマーはすぐメンタルブレイクするの扱いにくいことこの上ない。巷で話題のジョージさんが危機感持ったほうがいいよと言うのも納得である。
そんな日常を過ごしながら、僕は最近、恨みの感情を持つことすら馬鹿馬鹿しいなとおもっていて、それはなぜかというと、所謂”復讐”だとかって空想上の物語だからこそのものであって、現実だとこうも上手く行かないと思っているからなんですね。ましてや、ネットでの誹謗中傷などが社会問題化したのもあって、開示請求という概念を多くの人が知るようになったし、誹謗中傷への厳罰化も進んでいる。今の世の中で復讐が成功する確率なんて、限りなく低いし、ましてやそれを成し得たとこで代償は免れないはず。
中島みゆきの”空と君の間に”の「憎むことでいつまでも あいつに縛られないで」という一節が今でも強く頭に残ってる。彼女は1994年の時点で恨みという邪念を捨ててその境地に到っていたわけですね。確かに、わざわざ脳の限られたリソースを嫌いな奴のために割くの嫌だ。それならとっとと忘れたほうがいいって事でしょうね。睡眠と良い生活リズムさえあれば、人間大抵のことは忘れられる。
でも一番怖い恨みって飯ですよね。いざ、自分の雪見だいふくの片割れが取られてしまったら、僕は自分の衝動を抑えることができるのだろうか。憎むことなく、相手を赦し、忘れることができるだろうか。
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