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漫画で都市と建築を考える。ジオラマボーイ パノラマガールたちに送るマンションポエム


どーも、おっちーです。

先日、漫画で建築と都市を勉強してみようと題して、「ハクメイとミコチ」と言う漫画から都市を読み解くお話をしました。読んでいただいた方、リアクションいただいた方ありがとうございました。

前回のnoteの中で予告として「飽きっぽい町」と言うワードを残し、その心情を適切に描写した漫画「ジオラマボーイ、パノラマガール」を紹介しました。今回はこの漫画とともに「飽きやすい町」とそれを払拭するために生まれた「マンションポエム」についてお話していこうと思います。

漫画の紹介

今回紹介する「ジオラマボーイ、パノラマガール」は岡崎京子先生によって書かれた作品で、単行本は1988年に発行されました。昭和の終わりです。
簡単にあらすじを紹介すると

いわゆる公団住宅に住む女子高生「津田沼春子」ひょんなことから、近所に住む男子高校生「神奈川健一」と出会い、一目惚れする。


「この恋は平凡で退屈な日常を変える」そう思って止まらない春子と周囲を取り巻くいろんな人たちで繰り広げるいわゆる「ラブコメ」です。個性的なキャラクター、何かワクワクしていた10代の頃を思い出す描写、そして、全体を通してひっそりと現代に深く根ざした「虚無感」を感じさせてくれる漫画です。
明るく、良い意味で少しふざけながら物語は進んでいくのですが、当時の文化、空気感を絶妙に描いている作品です。

あとがきから引用 「好き」の感情で退屈な街並みをぶっ壊す
この単行本のあとがきで岡崎京子先生は以下のように述べています。(引用)

今やわたくし達のつたない青春はすっかりTVのブラウン管や雑誌のグラビアに吸収され、つまらない再放送を繰り返しています。
そしてわたくし達が出来ることときたらその再放送の再現かまねっこ程度のことです。
とうぜんしらけます。
でも「すき」のきもちはしぶとくあります。
パンドラの箱の残りもののように

昭和の終わりの言葉ですが、平成が終わり令和が始まる今にも通じるものがあります。
特にこの漫画の時代、高度経済成長の名残で多くの団地、アパートが大量に建築され、多くの人がそこに住まう事が一般的でした。そして、それはあとがきの通りで「つまらない再放送」の様な生活だったのかもしれません。
そして平成に入り、むしろSNSなどによって、「しらけ」の空気は加速している。平成はそんな時代でした。しかし、「すき」の感情はなくなるどころか多様化し、膨張しています。
「推し」とか「尊い」と名前を変え、共感する人とコンタクトが取りやすくなり、
「すき」が身近で誇れるものとなりました。とても素晴らしいと思います。


その中で私たち設計の人間が提供する「住まい」はどうなってきたのか?
技術的なものは変わりましたが本質は変わりません。
当たり前です。「飯食って、風呂入って、寝る」と言う生活の本質はいまだにマジョリティを占めており、変わることがないからです。
そして、かつての「ジオラマボーイ、パノラマガール」であったティーンエイジャー達は大人になり、自分の住まいを考えるようになった時、「これまでの画一的だった自分の人生、生活から脱却したい」「退屈な街から抜け出したい」かつての模型のような住まいの中の「添景のような自分」から卒業したいと考えるようになったのではないでしょうか?

そのニーズに応えるがごとく、アパート、マンションを販売、提供するいわゆる「不動産ディベロッパー」は、アパート、マンションという商品の中に「自己実現」と言う付加価値を盛り込もうとしました。
とはいえ建物をガラッと変えることはできません。なぜなら予算に限界があるから。
その中で生まれたのがマンションポエムなのです。

●シティタワー武蔵小杉の広告、もはや何を広告してるかわかりません。

マンションポエムというのはいわゆる分譲マンションの広告に使われるキャッチコピーです。そのコピーがあまりにも詩的で従来の広告のコピーを超越した存在であるため、「マンションポエム」と名付けられています。日本に存在する分譲のマンションの数だけマンションポエムが存在するわけなんですが、数千ものマンションポエムを分析した大山顕さんのコラムで実に秀逸なことが書かれていました。それは「本来選択すべき建物がポエムとは無関係」と言う事です。


コラム内では無数のマンションポエムの文章を解析しているのですが、一番言葉で抽出されるのが「街」と言う言葉なのです。つまりマンションと言う「建築物」を語るのではなく、「マンションが建つ都市」をこのポエムでは謳っています。
ちなみに頻出する言葉で次に来るのが「都心」「緑」と言った周辺環境を表す言葉です、それに関連して「優雅」「格調高い」と言った持ち上げる修飾語が並んできいるのです。また麻布、白金台と言った従来の高級住宅地、吉祥寺、武蔵小杉など近年人気が高くなっている街の場合、その「地名」をそのまま載せることもあります。
そして肝心のアパート、マンション自体を指す言葉はほとんどありません。
(興味深いのですが、住居を指す言葉として「邸宅」と言う言葉を多用しています。)

●シティハウス用賀砧公園より、マンションポエムにかかれば世田谷だって「庭」です。


マンションでは無く「物語」を買う時代

このマンションポエムから読み取れる事はかつての「ジオラマボーイ、パノラマガール」達は建物に「関心が無い」と言うこと、そして冒頭に述べた「街は基本飽きやすい」と言うイメージを持っていることがわかります。
そのため、従来の「つまらないマンション」を売る側として「マンションと言う建物の存在自体を消す」「自己実現、承認できるライフスタイルを提供する」と言う事を全力で触れ込むようになりました。
これは、ちょうど「モノ」の消費から「コト」の消費への転換が起きているところと類似しています。
マンション購入は「不動産、住まいの購入」ではなく、「そこで得られる、自分のライフストーリー、シナリオ」を買っているんですね。

飽きのこない暮らしはポエムと街では満たせない。

では、このマンションポエムに描かれている様な素敵な暮らしは必ずしも提供されるのでしょうか?
私の考えではありますが、「提供される」事はありません。
もっとも柏の葉キャンパスの様に「一定のコンセプトを持った都市計画」に寄り添う形で作られた「住まい」などは他には無い生活が与えられるかもしれません。
しかし、そこまで都市づくりがされている自治体はほとんどありません。
ではマンションポエムに描かれている様な「主役となる」ライフスタイルはどうやって得られるのか?むしろ作らないといけないものだと思います。結局人の営みがない限り、マンションもそれを取り囲む街も置物と箱庭です。マンションだろうと個人の住宅だろうと、建築として提供するのは「生活」です。
デザイナーズマンションと言われる様に素敵?なデザインを提供するものもあります、中には「建築家が優れたライフスタイルを提供する」と言ったオシャレな触れ込みもあります。
はっきり言いますがそれこそ幻想です。
建築設計で特に住まいの設計をやっている立場から言わせていただくと、すぐに転居する賃貸ならともかく長期的に住むならデザインの享受に「飽き」はやってきます。そして残るのはデザインという触れ込みによって残された「不便さ」だけです。

本来は飽きる事に飽きるのが住まいの設計の理想形

最後に一言だけ、私の設計のスタンスにもなるのですが、住まいの設計を考える時、
「飽きる事」に「飽きる」様になるのが私は理想形だと思ってます。
人間は因果な生き物なので、「飽き」は必ずやってきます。つまり「飽きない」設計なんて、無理だと思います。奇をてらったもの、不便なもの、いずれ「慣れ」から「飽き」に変わります。そのため「飽きる」事自体も飽きてしまい、その感情自体がなくなるのが住まいの設計の理想形だと思います。それは空気の様なもので存在は感じない、しかし生きていく上では欠かせない。そう言ったものが理想です。じゃあ、どうすれば良いのか?
腰を折るカタチで申し訳ありませんが設計屋としての課題なのかなと思ってます。

後記

今回は漫画の内容というよりは、漫画の世界観、タイトルと現代に孕む住居、特に分譲のアパート、マンションの価値観というものを軸として書かせていただきました。次回はちょっと未定です。リクエストがあれば受け付けます。
漫画を読みながら、建築についてちょっとしてみる、そんな時間をこれからも提供できればと思ってます。興味が沸いたら、紹介したコミックを手に取っていただき、自分の今住んでいる部屋に思いを巡らせていただければ私としても本懐です。

ではでは


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おっちー/とある設計屋
動画も含め、建築を「伝える」「教える」コンテンツ、場を作る事を目標としております。よろしくお願いします。