苦手だった母を今は心から愛していると実感している💛
私の母は、今87歳。
愛する夫(私の父)を天国に送ってから3年目になった。
2年前に義父母も天上へ行ったので、両親4人のうち、生きているのは母だけだ。
母の生き方
母は、教員をしていて、仕事には精一杯取り組む人だった。
生徒や保護者を大切にしたので、生徒からも保護者からも慕われていた。
周りからも素晴らしい人、尊敬される人だったと思う。
実際、行動力や能力は抜群だった。
人への貢献も尊敬に値する。
母の人生から影響を受けて自分の人生が始まったことを書いたのが下のnoteだ。
読んでいただけたら、母の生き方がわかる。
母のことが苦手だった
でも、私は母があまり好きではなかった。というより、苦手だった。
私は母に愛されていると思えなかった。
他人のためには尽くすのに、私は愛されている実感がなかったのだ。
仕事に忙しい母は私のことは基本無関心なんだと思っていた。
教師という仕事柄仕方ないかもしれないが、学校の行事には出てもらったことがなかった。
小学生の頃は「かぎっ子」だったし、お弁当も自分で作っていた。
(それも以前noteに書いた)
ただ、何か母の気になることがあると、「私の言う通りにしていれば、あなたも幸せになれる、私の言うことは正しい」という態度で私に接してきていた。
私はそれが嫌だった。
私が結婚しても、子どもを育てていても、いつもずっと私は母の子どもだった。
だから、私は、母のような母にはなりたくなかった。
仕事よりも家庭を大事にする母になりたかった。
でも、私も母と同じく「共働き」になった。
それも、母の影響で、福祉や保育・教育の道に進んだ。
仕事をしながらの子育ては、子どもに手をかけてあげたくても出来ないことも多かったし、心に寄り添えないこともあった。
子どもの人格を大切にしようと思ってはいたが、私の思いを子どもに押し付けようとしてしまうことも・・。
母も同じだったのかもしれないと今は思える。
いや、今よりもっと労働条件も悪かった昔はもっと切なかったのかもしれない。
最近の母
母も年を取った。87歳だ。
歩くのも昔のようにシャキシャキ歩けないし、目も不自由になった。
車の運転も出来ないし、無理も出来ない。
それでも母は、私に迷惑をかけないようにと、毎日散歩をして、体操をして、脳トレに励んでいる。
私が庭仕事や畑仕事をしていると
「まるで天国にいるようだよ、お父さんも喜んでいるよ」と涙する。
私が仕事や私用で帰りが遅いと、
「遅かったねえ。お母さんが帰ってくるのを待つ子どもの気持ちになっていたよ」と言ったり、
「今、あなたに倒れられたら、私は生きていけないよ」
「あなたが頼りなんだよ」
と言ったり、
毎日、寝る前に電話をしてきて
「今日もありがとう、お世話になりました」
と言ってくる。
そして
「子育てしている時は、自分のことが精いっぱいで、あなたに手をかけてあげられなくてごめんね。」
「あなたにいろいろ指示ばかりしてごめんね」
とも言うようになった。
そしてこうも言う。
「あなたは私が手をかけなくても、こんなにいい子になってくれてうれしいよ」
「あなたは素敵な子育てをしているね」
「夫婦仲良く、それが一番だよ。あなたたちが幸せそうにしているのが本当に嬉しいよ」と・・。
母からの言葉で、母の気持ちが伝わってくる。
やはり、愛はただ心に思っているだけではなくて、相手に伝えることも大切だと最近の母の姿を見て思う。
相手の人格を尊重することは、ただ何も言わないことではなく、私の思いとして伝えることは大切なことだ。
私も、私の愛する人たちに伝えたいことがあったら、決して押しつけではなく、これからも私の思いとして伝えていこう。
私は愛されている
最近思う。
母は母なりに私を愛してくれていた。
「私の言う通りにしていれば幸せになれる」というのも、私の幸せを願っているからこそ出る言葉なのだ。
私の幸せを母なりに精一杯考えていたのだろう。
退職して、丸一年。
母との関係でも、本当に退職してよかった。
母もまた、私が退職したことを喜んでくれている。
それは、私に頼りたいという気持ちだけでなく、一緒にいる時間が多いことを喜んでいるようにも思う。
そして、私もあんなに母が苦手だったのに、今は「私も愛されていたんだ」「今も愛されている」と感じることにより「私も母を愛していたんだ」と実感できるようになった。
母が生きていられるのは、あとどのくらいだろう。
今は母を失うことに耐えられるか、心配だ。
だから、残された時間を笑顔で平和に暮らしたい。
母の笑顔を沢山見たいと思うし、沢山の会話を積み重ねたい💛
苦手だった母を今は心から愛していると実感している💛
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