2018/09/26 「幸せ」
8:14
良く眠った。この感じ、一体いつぶりだろう。鍼、いや、先生すごい。
10:15
「幸せ」ってなんだろう。
阪急京都線で淡路駅を通過する。二〇一五年に行った淡路島へのキャンプを思い出す。
シルバーウィーク中に誕生日を迎えるようになってから、時期をずらしてお祝いをするようになった。「混雑するならやめとこう」レベルに混雑耐性が低い。その年も、十月に入ってから誕生日旅行に出かけた。淡路島は洲本にあるビーチ沿いのキャンプ場、First class Backpackers Inn.、通称「FBI」に、スナフィーを連れての、結果一週間(あまりに良すぎて延長)の旅だ。シルバーウィーク後の平日はまるで貸切。このために買った真新しいキャンプグッズに囲まれて、旬のいちじくを食べ、名産の玉ねぎを買い、ビーチを散歩して、海を渡って大塚国際美術館や鳴門海峡を見たりした。夕刻に丘に登り、ともに眺めた夕焼け空の瀬戸内海に沈む夕日。あの誕生日は、あの旅行は、紛れもない幸せのときだった。
車窓を流れる京都の街の景色。向かいの座席に座る人々。
「幸せ」って、なんだろう。
大好きなひとと、たくさんの時をともにして、その日々を、日常を、愛し、慈しみ、味わうこと。
好き、大好き、愛している。湧き上がる想いを、音や言葉にして届けること。そうして届いた言葉はそれ自体が贈り物で、受け取った人を支え、生かしてくれる。
愛するその存在に、たくさん触れること。その身体を、温かさや雰囲気や視線といった発せられる気やエネルギーにも、たくさんたくさん触れること。そしてそれを味わうこと。
そしてできれば、その日常を、その「幸せ」を、写真としてたくさん撮れると良い。
阪急線はもうすぐ梅田に着く。京都、大阪。知らない土地に来れて良かった。
今この瞬間も、奏くんを心から愛している。
その身体がすでに喪われているとしても、遺されたものや思い出やそのすべてとともに、心の底から愛している。この「愛」と、この「愛」から教えてもらっていることを、決して忘れたくない。
梅田の駅で阪急線を降りる。
鍼を受けて眠った身体が昨日までのそれとは違うのを感じる。地に足をつけて、歩く。
11:08
九月が終わりに差しかかる。
一ヶ月という、時のひとくくりが遠ざかる。奏くんのいない世界で、私の時間は進み、奏くんの知らない出来事が増えていく。
ただそれを眺め、認め、受け止めるのみ。
そう自分に言い聞かせる。
21:11
無事に仕事が終わる。責務を果たせてよかった。
疲れた、スタミナはギリギリだった。でも、ちゃんと機能したし、結果も出せた。とにかく安堵。
友達家族から、バースデーパーティへのお誘いがある。断る余地をふんだんに残した優しい誘い。それでも、気持ちが落ち込んだのを感じる。とてもとても、行ける気がしない。幸せな家族を見たり触れたり、…想像することすら、今はもう辛いかもしれない。
23:30
がんばってシャワーしよう。今日は落ち込んでいる。
たぶん、これまで支えてくれていた家族や友人たちが、日常に戻って行っているから。私だけが、取り残されてしまっているような気が、しているから。
そして本当は、私の時間すらも、「日常に戻って」いこうとしているから。心はこんなにも、取り残されているというのに。
シャワーしよう。
24:25
わー、落ち込んでる。
これから本当の向き合いがやってくるのかもしれない。急性期を過ぎて、「日常」に戻っていくところで。これまでとはまた違ったキツさがやってくるのかと思うと、怖くなる。
先生が言っていた通り、昨日今日とお腹の調子が悪い。お腹がゆるくなることなんて、人生初かもしれない。
奏くんの旧友、真子ちゃんがくれた、奏くんの写真アルバムを眺める。
私の知らない、出会う前の若い(そしてしゅっとした)奏くん。仲間と、海と、サーフィンと、ビーチと、アメリカと。捲る手が止まる。車椅子に乗った元気いっぱいの奏くん。出会った頃の写真だ。出会って一ヶ月で、スケボー中の右の脛骨を粉砕骨折で手術、入院。退院後にはリハビリが始まる。歩くことや車の運転にも苦労して、以来、サーフィンからは完全に遠ざかってしまった。
心がざわついてくる。
私と出会ってからの一〇年、奏くんは幸せだったのだろうか。
太陽のような奏くん。月のような私。陰と陽。同じく太陽のような義母は「零ちゃんに楽天的なところを分けてあげたい」とまた明るい笑顔で言った。つい、自分と比べてしまう。
私は、奏くんを幸せにしてあげられていたのかな。
奏くん、幸せだった?
「この家があって、零がいて、スナフィーがいて、本当に幸せ。もう他に何もいない」って、そう言ってくれていた。…そう言ってくれていた、よね?
疲れているのかもしれない。いや、疲れているのは確実だ。不安が覆っている。
出張から義父母宅へ戻った私を、スナフィーが大喜びで迎えてくれた。「良い子だったのよ。お散歩もたくさんしたし。ね、パパ」。ひとりになった今、スナフィーを家に置いて数日間も出張に出ることはできない。義父母は快く、スナフィーを預かることを引き受けてくれていた。
食卓の席で、つい、「ずっと一緒にいた奏くんがいなくなって、やっぱり辛い」って、口にしてしまった。…だって、そうなんだもん。どうしようもなくそうなんだ。
今夜もまた、義母のラジオは朝まで小さく音を流し続けるのだろう。朝まで眠っていたい。ぐっすりと穏やかに、朝まで目を覚ますことなく。