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2018/09/27「生も死も日常。生きている人が元気でいることが大事。」

10:10

奏くんの部屋に置かれた後飾り祭壇には、遺影に遺骨、そして白木の位牌(仮位牌)が飾られている。戒名ではなく「小西奏」がそのままに記された仮位牌。

「仮」と名のつく白木の位牌は、四十九日法要の際に故人の魂を抜くという「閉眼供養」を経てお焚き上げされる。抜かれた魂は「開眼供養」を経て、黒塗りの立派な「本位牌」となって仏壇などで祀られる。

本位牌を作るのには二週間ほどかかるらしく、葬儀社から「そろそろですが、どうしますか」とリマインドが入る。本位牌を作るのか。そしてそれは、仏壇を新たに作るのか、という問いでもある。

自宅にも、奏くんの実家にも、仏壇は置いていなかった。

義父母の意向を聞いてみる。どちらも重要視しておらず「形式に過ぎない」と考えていた。義父が付け加える。「零がやりたいようにやる、それが一番良い」。このスタンス、全くブレない。義母が続ける。

「実質が大事。写真があるほうが良いし、物ではなくて、ずっと、心で大事にしていたほうが良いじゃない?」

そして「…良いこと言ってる?」 と笑ってから言った。

「生も死も日常。あとは生きている人が、元気でいることが大事」


義父母宅をあとにしての帰り道。なんだか妙に寂しくなって、流れはじめた涙が止まらなくなった。車を停めたほうが良いかな。でも、一度停めたらもう、進めなくなってしまうかもしれない。まだ一〇分くらいしか進んでいないのに。

電話が鳴る。義母だった。

どうやら忘れものをしているらしい。Uターンをして取りに戻る。着くまでには涙を止めないと。

義母は戸外で待っていてくれた。笑顔で手を振るその姿に、一度おさめたはずの涙はあっという間に溢れて出してしまった。もうさっぱりわからなかった。どんな心の持ち方をすれば良いのだろう。

「奏は、零ちゃんの中にいるから。ここにいるから。半分奏だって言ったでしょ」

義母は言った。その優しく凛とした笑顔を崩すことなく。


力付けられ再び見送られて、泣きの笑顔でアクセルを踏んだ。首都高に入るという頃に、やっと泣き止むことができた。

アクアラインに乗る。横浜を離れ、川崎を離れ、海を渡って千葉へと向かう。ひとり、千葉へ向かう。ひとり。

圏央道をひたすら走る。ここはいつでも交通量が少なくて、まるでひとりだ。

宇多田ヒカルの「花束を君に」を聴きたくなって、少し口ずさんでみた。聴きたい気持ちに抗えずに、恐る恐る、流してみる。案の定、最後のほうの歌詞に泣いてしまう。歌詞のある曲を自分から聴いたのはあれ以来初めてだった。少しずつだけど、変化がある。変わって行っている。もう一度最初から再生した。

20:21

世界はずいぶんと静かになった。

奏くん。

あなたは私の太陽だったよ。

奏くんがいないって、猛烈に寂しい。欠けている感が半端じゃない。


夕方のスナフィー散歩中に、電話があった。「お義母さんです」。曇り空が晴れ太陽が射す。今日の涙涙で、心配させてしまっていた。地元の友人である池神さんから、夜ご飯のお誘いがあったことを伝える。中学生の娘さんも一緒にと。義母はふたりに会っていた。病院から自宅へ戻った奏くんとの最期のお別れに、ふたりは来てくれていたのだ。

「最高じゃない」

義母の明るい声が、耳に、身体に残る。「最高」は、義母が、そして奏くんが、良く使っていた言葉だ(義母の双璧は「とびっきり」だ)。散歩から戻った身体は、軽く温かになっていた。


着ていた黒いTシャツを脱いだ。

その黒いTシャツを着始めたのは、八月九日だった。緊急手術から一週間が過ぎても急性期を脱しない、意識は戻らず、車で一時間の下道を毎日ICUに通っていた。九日目の朝、奏くんのクローゼットで、何枚も並んだ黒Tに手を伸ばした。180cmに100kgあった奏くん。サイズはどれもLLアップだ。奏くんに包まれていたかった。LLサイズの黒Tを着て、裾は結んだ。ビッグTにデニムを履いて、それが私のユニフォームになった。普段着として、これを着ない日は今日までなかった。

しばらくの間、クローゼットにかかった洋服を眺めていた。選び方を、すっかり忘れてしまった。池神さんと中学生の長女。ふたりを思い描いて、やっとのことで手が伸びた。白い刺繍入りのブラウス。ボトムスはいつものデニム。大ぶりな濃いめピンクのピアスをつけて、赤い口紅もつけた。

心配し続けてくれている池神さんに、前向きな姿勢や姿を見せたかった。

そして何よりも、奏くんが愛してくれた私でいたかった。義母が繰り返し言ってくれた言葉が効いていた。

「零ちゃんは素敵な女性だから(これほど素敵な人はいない、くらいのレベルで)、だから大丈夫。なんて言っても、奏が選んだんだから」

奏くんが、私を選んでくれた。私を愛してくれた。その事実が、私を支えてくれている。私をここまで連れて来てくれている。

ありがとう。

こんなに、こんなに、こんなに思っているのに、それを伝えることができないだなんて。これだけ伝えるチャンスはあったのに。

ずっと、一緒にいたのにな。

一〇年間の歳月をも、一緒にいたのに。

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