2018/08/01 am 緊急搬送
とてもいやな夢で、目が覚めた。
夏の朝の光と熱。
隣の亮くんのベッドは空っぽで、横には眠るビッケの背中。亮くんいないんだ。サーフィンに行くって、言ってたな。
眠い。目を閉じると、いやな夢を思い出した。そうだ、Aさんが亡くなったと、Josephに告げらる夢を見たんだった。
手を伸ばして、iPhoneを取る。9時過ぎか。FacebookでAさんの動向を確認する。元気そうだ。良かった。安堵して、iPhoneを置いてまた目を閉じる。
夢でよかった。
9:42
カーポートで、車に乗った亮くんが戻ってくるのを待っていた。こんな夏の光からの防備としては頼りない屋根と帽子。起き抜けだから、日焼け止めすら塗っていない。
「背中が痛い」
「もうすぐ家に着くから、車から降ろすのをちょっと手伝って」
亮くんからかかってきた電話で、急いで外に出ていた。数分もせずに、車が入って来る。
亮くんはその足でシャワーを浴びる。シャワーを出てもなお、表情は変わらず相当に痛そうなまま。肩から後ろに引っ張られたように、背中と胸を真っ直ぐにして、カウンターの白い椅子に座り痛みに耐えている。
「背中の肉離れとか、ぎっくり背中かもしれない。」
14才で始めたサーフィン。足を複雑骨折して以来の約10年の長いブランクの後、最近になって精力的にサーフィンを再開していた。まだまだ体が戻らないうちに無理をしてぎっくり背中になった、ということなのかもしれない。
体勢に変えてみても、痛みに歪むその厳しい表情は変わらない。シャワーを浴びたばかりなのに、すでに脂汗もかいている。
近隣の病院を探し始める。この地に引っ越して3年。お互い健康だったので、近隣の病院をまったく知らない。「ぎっくり背中だろうから整形外科」を探す。なんの疑いもなく。
一番近い市立病院のレビューを見る。星3つに満たない。病院は口コミが大事だ。リストアップしてレビューを全部読み比較検討したいところだ。表示されたリスト内に、評価の高い整形外科がある。件数も十分。ここだ。車で25分。…25分か。でも、これだけレビューが良ければ間違いないはずだ。
ビーズクッションに背中を預け真っ直ぐの姿勢で仰向けになっている亮くんに見せる。痛みで苦しいので任せる、と言った様子だった。お財布、iPhone、帽子、鍵。お留守番のビッケのために、冷房がちゃんとついていることを確認して、すぐに出発した。
国道を抜け、青々とした田んぼ道を通り、ようやくたどり着いた整形外科は、驚くほど混んでいた。待合室は人でいっぱいで、数十人と待っているだろうか。亮くんと隣り合って座ることすらできない。空いているところに亮くんは座った。太腿の上でギュッと握った両手から真っ直ぐに伸ばした腕で背中を真っ直ぐに保っている様子で、痛みに耐えている。亮くんは決して泣き言を言わない。この朝も、その猛烈な痛みに、1人で静かにずっと耐えていた。
ずいぶんと待たされて、ようやく診察を受ける。ぎっくり背中では無さそうだ。レントゲンを撮ることになり、再び待つ。少し離れたところにあった空席で私も待つ。手の届くところに本棚があり、さくらももこさんの「もものかんづめ」があったので、手にとってパラパラと見たりもした。どのくらい待っただろう。やっとのことで、名前が呼ばれた。
レントゲンの結果、悪いところは見つからなかった。痛みの原因は判明しない。
薬が処方されるということで、会計を待つ。
「先に車戻ってるわ」
亮くんに車のキーを渡し、私は残って会計と処方箋を待つ。あと3人くらいだろうか。
「痛みが続くようであれば内科に行ってみるように」と、受付で紹介状を書いてもらう。宛先は、先ほど比較検討した市立病院だった。折り畳まれるその一瞬に、「大動脈」という文字が見えたように思えた。
「大動脈」?そんな言葉、診察では一言も出てきていないし、今ここでも話に上がらないのに。
聞く間もないままに封がされた紹介状と、「返しにきてくださいね」とレントゲン写真を手渡される。とにかく急いで外に出た。次は薬だ。
亮くんを車に残し、薬局で薬を待つ。正午頃の薬局は長閑な雰囲気で、5、6人が薬の受け取りを待っていた。
薬を受け取り、セブンイレブンに寄る。薬を飲むためには、何か胃に入れなければ。おにぎりと唐揚げを買う。亮くんはおにぎりを少しだけ食べて、すぐに薬を飲んだ。車内には手をつけなかった唐揚げのにおいが充満している。
薬が効く気配がまったくない。市立病院に電話をかける。午前の診療は午後1時までとのことで、15分くらいで着ければ、ギリギリ間に合いそうだ。車を飛ばす。助手席の亮くんは、ずいぶんと汗をかいている。暑いかな、もっと冷房強めたほうが良いかな。
受付は空いていた。初診受付を済ませると、血圧を測るように言われる。
値は、200を超えていた。測り方がおかしい?もう一度測る。再び、200を超えていた。
血圧の印字された二枚の小さな紙と書類を看護師さんに渡す。血圧の値を見て、表情が変わった。どういう症状か、亮くんに尋ねる。痛い部位と痛みの様子。そこに待っていると思われる人たちがいたような気がするけれど、すぐに診察室に入れてくれた。
気がつけば、亮くんは診察室内のあちらの方で、鎮痛剤の点滴を受けていた。私は、入り口近くの丸椅子に座って、看護師さんが電話しているのを聞いていた。電話の相手は、近隣の循環器専門病院。電話が終わり、「今から救急車で専門病院に移動する」と言う。同乗するか、と聞かれたけれど、車を置いていくわけにはいかない、と、転院先の病院名を確認し、「車で向かいます」と伝えた。
車に乗り込む。
ひとりになった。
完全に動揺していた。完全に。
でも、急いで専門病院に向かわなければいけない。ナビをセットする。車を出す。
Lineで妹のハナにスピーカーで電話をする。ハナはすぐに出てくれた。オフの日だった。なんてラッキーなんだろう。激しい動揺の中で、泣きながら、不安に潰れそうになりながら、運転をしながら、今ここで起こっていることを初めて言葉にした。なんて現実感がないんだろう。ハナと話して、少し落ち着いた。
専門病院は、午後だからか、ガラガラだった。受付で、亮くんを乗せた救急車はすでに到着し診察に入っていることを聞く。初診受付の書類を記入する。今日3回目だ。
真新しい真っ白な誰もいない待合室で待つ。呼ばれて入った診察室には亮くんはいなかった。ひとりで先生の前に座る。
「急性大動脈解離」が疑われる。現在CTで確認をしている。もしそうであれば緊急手術が必要であり、手術ができるところへ転院する必要がある。先生はそう手短に言った。
それだけを聞く。受け取る。そして再び、誰もいない待合室で待った。
14:32
こんなに不安になるものなのか。不安で呼吸が苦しい。
なんて自分は想像力がないんだ。あんなに辛そうだったのに。脂汗までかいていたのに。なんで最初から市立病院に行かず、あんな遠い、あんなに待たされる整形外科に行ったんだ。
後悔で胸が苦しい。
申し訳なくて、潰れそう。
家に置いてきたビッケ。どうしているだろう、大丈夫だろうか…
手術の可能性…。考えてもいなかった。
再び、診察室に呼ばれる。
「急性大動脈解離」が確定した。心臓から出た大動脈が、腹部を通って足の方まで裂けている。重症である。緊急手術が必要であり、成田の赤十字病院を検討中。手術は6−8時間かかる。
妙に静かな時間だった。
再び、誰もいない待合室で、手術する病院が確定するのを待つ。
診察室に呼ばれた。
成田での緊急手術が決まり、今から救急車で移動するので同乗してください、と。
誰もいない待合室で、ハナにLineをして心を整えてから、亮くんのご両親に電話をかける。両親の住む横浜から成田は、高速を使って2時間はかかるだろう。ぐるぐると歩き回りながら、70を過ぎた義理の父の運転に影響しないよう、状況を極めて冷静に伝えられるよう努めた。
救急車に乗り込む。胸元には、レントゲンの入った封筒を抱えて。
診察してくれた先生も、同乗して下さることになった。それが緊急の状況を指し示していると気づくことなく。
救急車で成田に向かう道中、フロントガラスから見える景色を見ていた。
救急車に道を開けてくれているたくさんの車。その中を、ゆっくりと、でも急いで運転してくれる救急隊員、亮くんに寄り添う救急隊員と同乗して下さった先生。皆んなが亮くんの命を救おうとしてくれている。亮くんがんばれ!涙が出そうになるのを上をみてやり過ごした。
1時間ほどあった車内で、鎮静剤で落ち着いた亮くんは、この時、何を思い、何を考えていたのだろう。頭を起こして、一番後ろに座る私を見上げて、「大丈夫?」、そう言ってくれた気がする。
「大丈夫?」は、亮くんの口癖だった。100万回は聞いたんじゃないか。受け取った、と言うべきかもしれない。いつだって、私のことを第一に気にかけてくれていた。
亮くんを少しでも安心させたり、心強くさせたり、そんなことが私はこの時、どうしてできなかったのだろう。
そして、なんで、こんなにも覚えていないんだろう。