2018/08/12 目覚め
病院まで1時間の道のりを通い続け、もうすぐ二週間になる。
夏の青々とした田んぼを横目に、八街を抜けて佐倉を通り、国道に入りトラックも増えてくると、いよいよ成田だ。
きっと明日は いい日だから
Don’t give up
きっと明日は 晴れるから
この辺りに差し掛かると、決まってAIと渡辺直美の「キラキラ」をかけた。「きっと明日はいい日だから、きっと明日は晴れるから」と、太陽のように明るく強い2人のエネルギーに、病院で起こっている現実に向かっていく力をもらっていた。
その「テーマソング」が、今日から、Sadeの「By your side」に変わった。
一番好きな歌手は?そう聞かれたら、たぶん「Sade」と答える。
一番好きな曲は?そう聞かれたら、たぶん「By your side」と答える。
そのくらい好きなアーティストのライブDVDを、亮くんも持っていた。しかも違うやつを。
ビーズクッションをいくつも並べて、おつまみを用意して、白い壁にプロジェクターでSadeのライブ映像を流して、「最高だね」ってふたりで飲む夜もあった。
「I’ll be there, by your side, baby」
「そこに、あなたの側に、いるから」
優しくて強いSadeのハスキーな声が、今日も変わらず、病院に向かう私にそう歌ってくれる。
どんなことがあっても、私が側にいる。ひとりロストしたとしても、私が探し出すから。私たちの家に、一緒に帰ろう。
Sade の歌詞が、気持ちと溶け合う。
病院まで、もう少し。
意識が戻りつつある亮くんの元へ。
I’ll be there, by your side.
側にいるから。
午前の面会
亮くんが、目を覚ました。
目を見開いて、「ここはどこだ」という感じで周りを見渡してみたり、苦しそうな顔を時折向けて、何かを言おうともする。
声をかけると、手を握り返しはしないまでも、「反応」として返ってくる。
「亮くん、」と声をかける。
亮くんがこちらを見る。
目が合う。
「亮くんと、目が合う」…!
急性大動脈解離の緊急手術から、12日が経とうとしていた。
呼びかけて、こちらを見て、「目が合う」ということ。
まるで奇跡のように感じた。
のだけれど。
ドラマのように「澪…」(感動)みたいな感じで目を覚ますわけじゃあなかった。
ここまでずっと使ってきた鎮静剤の影響で、夢と現実の狭間にいるようだ。人工呼吸器がまだ口から入っていることもあり、声を出せず苦しそうでこちらも辛い。
それでも、「夕方また来るからね」に、うん、と小さく頷いた。
午後の面会
成田にあるコメダ珈琲で亮くんのご両親と珈琲を飲んでから、夕方の面会に向かう。
「亮くん」と呼びかけると、私を見る。
「手を握って」と呼びかけると、手を握り返す。
午前の面会では出来なかったことが、5、6時間後にはできるようになっていた。
それでも、やはり未だ鎮静剤の影響下。「夢うつつ」状態。
「亮くん」と呼びかけても、目が合わないこともある。
義父母が亮くんに話しかけている時、亮くんの目が私を探していることがあった。私は足元にいて、横たわる亮くんの視界からは消えていた。「亮が澪ちゃんを探しているよ」、ご両親に言われ亮くんの視界に入ると、亮くんの目は安心したように落ち着いた。
側にいられる時は、一秒たりとも不安にさせたくない。
「私はここにいるよ」「側にいるから」。伝わるようにと、足をさすった。
足をさすっていたのには、もうひとつ理由があった。
小さくとも、脳梗塞も起こっていた。どこかに麻痺が残っていないだろうか。大きな不安のひとつだった。
腕の付け根にはタスキ、手にはグローブ。これまで見てきた拘束具が、手や腕が動くことを教えてくれていた。でも、足に拘束具が付いたのは見たことがなかった。「暴れた」時、足を固定する必要がなかったということだろうか。「足は動かなかった」、ということだったら…。
意識が戻った亮くんの足を、事あるごとに触れ、さすり続けた。
亮くんが、それに気づいた素振りを見せる。
足の感覚がある!
なおもさすり続けていると、今度は足に反応が返ってくる。
足も動くんだ…!(感激)
(あとで先生にこれをどう診ているか聞いてみよう!)
午前に引き続き、苦しそうな顔を時折見せる。
口には人工呼吸器。声も言葉も、出すことができない。
「苦しい…?」と聞く。首を縦に振った。
「痛い…?」と聞く。首を横に振った。
痛くはないんだ。少しの「良かった」が広がったのも束の間。亮くんが、私に何かを必死に伝えようとしている。
「なに?なんだろう?何を伝えたいの?」
分かってあげられない。しばらくして、亮くんの視線が私から外れ、反対側を向く。諦めとも、何とも言えない、その目。その表情。
分かってあげることができない。
もどかしくて、苦しい。
痛いくらいに、悔しい。
S先生が入ってくる。すでに自分の呼吸100%だ、と、教えてくれる。人工呼吸器を離脱できるのも、近いかもしれない…!肺に少し水が溜まっており、今夜それを抜くかもしれない、とも付け加えた。
夢うつつの中でのこういったやり取りは記憶に残らない、と教えてくれる。
それでも、しっかり見えてるみたいだし、しっかり聞こえてるみたいだし、何より、意識がある。ここにいる私と亮くんの間には、やりとりがある。
ただひたすらに嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくてしょうがない。
18時〜、帰路
面会が終わり、ご両親と駐車場に向かった。
停まっている車はもうまばらだ。
それぞれの車を前にして、歩みを止める。
義母が、顔いっぱいに広がる笑顔で手を差し出す。握手を飛び越えてぎゅっとハグをした。続けて義父にも。
この時を共有したこと。
言葉にはできない。
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車に乗り込みエンジンをかけ、走り出す。
先週の日曜日、ちょうど1週間前のことを思い出していた。
悪性高熱症で上がり続ける体温がついに42度を超えたその日。目の前にしていたのは、熱すぎる首元とゴムのような冷たい手指と土気色をした顔と少し開いた瞼から覗くどこを見るでもない濁った目。生と死の狭間が、そこにあった。
亮くんを、(失うかもしれない)。
言葉にならないそれは、不安なんてものじゃなくて、もう恐怖だった。
そのピークから、今日で一週間。
人生最悪の日々が、ようやく、終わりを迎えつつあるのかもしれない。
一週間後。同じ日曜日。嬉しくてしょうがない気持ちに浮き立ちながら、夏らしいゲリラ豪雨の中を、ひとり車で帰った。
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新しい章に、移った。
病院から帰宅するタイミングにあわせて、ちえちゃんが夕食を作って来てくれた。グリーンカレー、ローズマリーポテト、ピクルス、オレンジラッシー、食後のミントティーにパイの実。
パイの実は小倉シロノワール味だった。お昼にもコメダ珈琲に行ったのだ。なんということか。亮くんも私もコメダ珈琲が大好きで、在宅ワークのフリーランス同士、サードプレイス的に仕事場としても使っていた。そんな話をちえちゃんにしながら、ご飯を食べる。心を込めて作ってくれた食事は、なんて沁み入るんだろう。たくさん話を聞いてくれて、他にも色々と話もできて、とてもとても、ありがたかった。
明日の病院、本当はビッケを連れて行きたい。
でも、明日はどうしても、お昼も夕方も、どちらも側にいてあげたい。午前と午後の面会の間は5時間以上。夏の車内でビッケを待たせることはできない…。
お留守番が続く。
ごめんね、ビッケ…