2018/08/17 “Stay Gold”

15:10

面会の受付票。
惰性で「ICU」と書きそうになり、はっとする。
そうだ、もうICUじゃないんだ…!

6階にある心臓血管外科病棟。
少し緊張しながらナースステーションに立ち寄る。亮くんは現在透析中で、「10時に開始しているので、15時半から16時くらいには戻ってくるかと。」
ほんの最近まで、24時間常時透析をしていたのだ。着実に回復してきている。

若い看護師さんに「娘さんですか?」と聞かれる。え?っていう顔をしていたのだろう。「いや良く分かっていないからなんですけど、…奥さん?」と聞き直される。「はい」と答えると、あたふたとフォローしてくれた。

11歳の歳の差に、ここ数週間を経ての亮くんの状態か。少し切ない気持ちになる。

15時半を過ぎた。ナースステーションをぐるっと囲むように通路を進んだ一番奥が、亮くんの個室だ。名前を確認して、アルコール消毒をして、ノックしてからドアを開ける。

「久しぶりじゃん」

亮くんが、開口一番に言った。

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「サーフィン。とにかくサーフィンがしたい」

「退院したら、したいことある?」と聞いた私に、亮くんは即答した。

静かな沈黙。

わかんない、まだ全然わかんないけど、でも、血圧が上がってしまうことは、今後きっとNGになる。…サーフィン…。

反射的に思った途端、自分の深いところから、涙が溢れ出てきた。だめだ、絶対にだめだ。亮くんに見られたら。
横目で亮くんをさっと盗み見る。

亮くんの目からも涙が流れていた。
とても、静かに。

そこには空気が流れていただけだったのに、ふたりとも、ただ静かに涙を流していた。

言葉がなくても、言葉以上に、通じ合うものがそこにあった。

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亮くんの携帯に、中学からの友人、ケイスケくんからLineが来たのは、悪性高熱症で体温が42度を超え「ピーク」にあった5日のことだった。

「一宮で海入らない?」

亮くんの代わりに、ごく簡単に状況を伝えた。以来、時折やり取りがあり、14日には、亮くんが目を覚まし人工呼吸器が外れたよ、という報告をしていた。

安堵の言葉と共に、YouTubeのリンクが送られてきた。Extreme の ”More than words”。「俺から亮へ」とある。

ふたりは若い頃、米サンディエゴで一緒に生活していた。当時の亮くんはこの曲が好きで、弾き語りも良く練習していたらしい。これを聴いたら意識が戻るんじゃないか。そう考えたケイスケくんが送ってくれていたのだった。

「ケイスケくんからだよ」

ベッドに横になる亮くんが見やすい位置でiPhoneを持ち、動画を流した。

動画が終わると、不意に亮くんが口にした。

「ビッケとケイスケに、 “Stay Gold” を」

YouTubeで “Stay Gold” を検索する。Stevie Wonder が歌うもの、これだろうか。確認のために流して見せる。

このとき、亮くんは何を見ていたのだろう。
何を思い、何を感じていたのだろう。

画面を見つめたまま、亮くんはまた静かに涙を流していた。

たまらなくなって、頭を胸に抱いた。
亮くんの生命を維持しているいろんな管の妨げにならないよう、できるだけ、そっと。

少ししてからゆっくりと体を離すと、亮くんが言った。

「神かと思った」

どんなことがあろうと、私があなたを守るし、いつだって側にいる。
ずっとずっと、これからもずっと。

19:17

この日、亮くんの「お腹が空いた」を、何度聞いたことだろう。

前回の「食事」は、16日前、8月1日のお昼頃のこと。背中の激痛を堪えながら、薬を飲むために買ったおにぎり。口にできたのも少量だった。
以来、「食事」は鼻からのチューブで胃へと直接運ばれる栄養のみだ。
それがどれほどの空腹なのか、想像もつかない。

連発ワードは他にもある。

「どっか行く?」
「そろそろ行く?」
「帰りたい」
「買って帰るものないの?」

異常な状況から発せられる日常の言葉に目眩がする。

未だに意識が醒めていないようなこの状態。
W先生の見解としては、小さくとも脳梗塞があったこと、そして、腎不全の影響、この2点が原因として考えられるようだ。

悪性高熱症の合併症として引き起こされた急性腎不全。腎臓の主な働きである老廃物の体外への排出、これが正常の30%以下に低下した状態が腎不全であり、発症から2週間ほどが経ったが、未だに透析が欠かせない。
これによって鎮静剤の体外排出に時間がかかっており、意識が明瞭とは言い難い状態に繋がっているのだろうと。

繰り返される「そろそろ行く?」「帰りたい」。状況説明も通じない。そのやり取りが何度も繰り返される。
一難去ってまた一難。なかなかの心労だ。

それでも。

たとえ辛くとも苦しくとも、一緒の時間を過ごせれば、やっぱり私は満たされる。一緒にいられればそれで十分なんだ。そう思える。

「澪にゆっくり会いたかった」

今日、亮くんにもらったこの言葉が、どれほど嬉しかったことか。

感情のローラーコースターで忙しい。
その瞬間にあることが真実で、ただそれだけでもうそれで十分なんです。そう思える賢者モードの時もあるけれども、振り回されている時がほとんどだ。

「Stay positive」「Believe in him」。
体に刻みたいレベルだけど、とりあえずは腕の目に入るところにペンで書いてみた。よし。

明日も会いに行く。
会いたい。手を握りたい。

亮くんが少しでも早く日常に戻れるよう、できる限りのことをやるのみだ。

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