2018/08/16 一般病棟へ
12:38
泣いてばかりでいやになっちゃう。
会いに行きたい。
たとえ亮くんが良く分かっていなくても、少しでも会えるならそれでいい。
一方には、心身ともに疲れ切っている自分がいる。
今日は面会には行かずに、家で体を休めるほうが良い。間違いなく。
ここ数日、亮くんの手を握れていない。
手術以来ずっと、血圧を取るために固定され親指しか出ていない右手。
人工呼吸器や吸入器の管を抜いてしまわないよう、ミトン型の手袋がすっぽりとはめられた左手。
その手首は、拘束されたままだ。
触れたい。
腕、頬、額、頭。
そっと手を伸ばし、その肌に触れてみる。撫でてみる。
あからさまに嫌がられて、
手を、気持ちを、引っ込める。
「帰るね」って声をかける。
でもその目はもう私を見ていない。
感情は見えない。
分かってる。
二週間ずっと鎮静剤を入れていたのだ。
意識が醒めるには、時間がかかるのだ。
でも、やっぱり寂しくて、やっぱり辛くて、
ひとりになれば声をあげて泣いてしまうのだ。
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今日は食欲が不調だ。代わりに、ごはんを炊くことにする。
炊飯器を綺麗にして、少し先の自分のためにと3合を炊いた。
あれ以来、ご飯を炊くのは初めてだ。
会いたい、触れたい、側にいたい。
でもわかっている。今日は、面会に行かないほうが良い。
ご両親と亮くんだけという時間があったほうが良いし、私はひとりで家でゆっくり休むことが必要だ。
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「8月に入ったら休めるから」
体と心と脳の悲鳴をその合言葉で宥めながら、全力疾走を続けていた7月後半。
出張込みのワークショップが続く。しかもやったことないレベルの案件のピークが、この後半に集中していた。フリーランスは仕事の up & down が激しい。8月に入ればパタと収まり、しばらく体を休めることができる。
7月31日。
ワークショップが無事終わり、「やっぱり明日もやれない?」の大変有り難いお誘いを「体がもう限界で」と丁重にお断りして(フリーランスで働く身、基本お仕事は断らない)、帰りの電車に乗った。
やっと帰れる。やっと休める。
駅に帰り着くと、いつものように、いつもの場所で、亮くんが車で待っててくれていた。窓から顔を出してしっぽを目一杯に振るビッケの横で、嬉しそうな笑顔を浮かべて。
週に数回、私が仕事で外出の日はいつだって、車で駅まで送り迎えをしてくれる。付き合い始めからずっと変わらずに、10年間。
そこにいなかったこと、遅れたことは、一度もない。
「お腹すいた?」
そのままスシローに向かった。
あまりに疲労困憊で、亮くんの様子も、話したことも、その後のことも思い出せない。
ただひとつだけ、
「明日の朝、波よければサーフィン行くわ」
亮くんのその言葉だけは、今も耳に残っている。
14:34
携帯が鳴る。
電話を出ると看護師長さんで、一瞬のうちに体が緊張する。
「現在ICUで透析治療中です。終わって午後3時頃には、一般病棟に移る予定です。一般病棟の面会は午後1時から8時なので、もし今日夕方に来る場合は、16時か17時以降が良いかもしれません。」
一般病棟!!!
夢にまで見そうだった一般病棟!!!
一般病棟…(涙)
体が跳ね上がるかと思った(いや跳ね上がっていたはず)。嬉しくて嬉しくて、冷静に会話を続けるのが大変なほどだった。
移る先の病棟はA棟、6階西の心臓血管外科。心臓血管外科の先生はW先生を筆頭に4名いらっしゃって、引き続き診てくださるとのこと。
…ということは、ICUの看護師の方々とはこれで最後か…!
お世話になった看護師さんひとりひとりの顔が浮かんで来る。
「本当にお世話になり有り難うございました」
もっともっと、伝えたい感謝の想いがたくさんたくさんあったのだけれど、もうそれ以上言葉にならなかった。
電話を切って、また泣いた。
でも今度の涙は全然違うやつだ。
集中治療が必要な急性期を越えたという安堵とその嬉しさ。涙涙涙涙涙涙。
亮くんのご両親に電話をする前に、実父に手短に電話をする。あまりの興奮と涙にまみれすぎていたので実父を挟んで一旦落ち着こう作戦だ。
父には昨日の電話で「一般病棟なんてまだ先のことになりそう…(暗)」と伝えていたこともあり、この展開にすごく喜んでくれた。
落ち着きを取り戻したので、亮くんのご両親に電話をする。
彼らにとって、亮くんは大切な大切な一人息子だ。私とは全く違う次元の痛みと苦しみを抱えてきただろうご両親。これでどれだけ安堵したことかと胸が詰まる。
電話を切る。
脱力感。安堵感。
「今日は食欲が不調だ」から一転、お腹が空いてきてランチを完食した。
「フルーツ食べたいな〜」なんて欲まで出てきたら、ピンポンが鳴る。
ドアを開けると、お隣さんがデラウェアを持って立っていた。
…魔法なの!?
神さまありがとう!!
20:54
「やっぱり面会に…」「いや休まないと」を何度も繰り返した結果、今日は家に留まることができた。妙な達成感がある。
面会から戻ったご両親から電話がある。
1人部屋の個室
透析は24時間常時ではなくなった。明日もやる
会話は大丈夫そう
呼吸の補助(吸入器)はまだ当ててる
チアノーゼも良くなって来た
リハビリを開始。まずは足。補助されて、ベッドから足を下に下ろして座る。両足をまっすぐに伸ばせて、足首の前後、つま先の上げ下げができた。本人も「大丈夫」と。一回休憩を挟んで、次は手(違う担当者)。開いて閉じて、右左、チョキもできた
私が安心するようにと、状態を具体的に伝えようとしてくれることが伝わってきて、胸を打たれた。改めて、亮くんのご両親と家族になれた幸せでいっぱいになる。
亮くんに会いたくなり、写真を開く。
驚いた。
…びっくりするほど、亮くんと私、2人の写真が無い!もう全然無い!
私の最近のカメラロールは、仕事絡みのものばかりだった。
自分への怒り、呆れ、恥ずかしさで、体が熱くなっていくのを感じた。
私の目線が、気持ちが、いかに仕事ばかりに行っていたのか、自分ばかりに向いていたのかに、やっと気がついた。
21:34
ビールを掲げて、ひとり乾杯の挨拶をした。
まずは、ここまでがんばった亮くんに。
そして、ここまでがんばったご両親と自分に。
W先生、S先生、そして、ICUの看護師や事務の方々。
市立病院や救急隊や専門病院の方々に。
ハナや私の両親、近くで支え続けてくれている友人たち。
そして、他にもたくさん、要所要所で支えてくれた人たち。
ここまでこれたこと、急性期を脱したことに感謝して、ビッケと乾杯した。
また新しい章に移っていく。