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【第63回】『ランビエの絞輪』〈管理栄養士・宇田川 舞が解く栄養ミステリー〉


第63回『ランビエの絞輪』終章 オートファジー10

 優子の眼を凝視すると、舞は枕を背に、楽な体勢に座り直した。情報元は伏せ、荒垣や喜多川から聞いた話を、搔い摘んで話した。
 一九九五年一月の阪神淡路大震災まで遡った。震災の直後、優子の夫が研究室に閉じ込められた事実、当時の研究内容、優子の妊娠などだ。優子は表情を変えず、時折り首肯した。だが、一言も発しなかった。皺になったシーツを見詰めながら、舞の話を聞いていた。
 話しにくい内容もある。しかし、DNA鑑定の結果、佐伯桐花が優子の実の娘である事実や、義理の従姉に娘を託した推測も話した。桐花が、サナトリウム病院で、錦城の治療を受けていた内容を話すと、優子が顔を上げた。
「舞さんは、錦城先生が亡くなった日の昼休み、怒鳴り声を聞いたのよね? 私が錦城先生を問い詰めて、怒鳴らせたと思っているの?」
 舞は、優子の眼を見て、ゆっくりと首を横に振った。
「最初は、そう思っていました。優子先生は、錦城先生から交換条件を出されていたと、推測しています。錦城先生は、桐花さんが優子先生と仁川祐司先生の娘だと、気付いていました。その事実を黙っているから、新薬《モーニスコプラ》の原案が仁川祐司先生の研究だった事実を公表しないよう、錦城先生から圧力を懸けられていませんでしたか?」
 優子が寂し気な表情で、微笑んだ。
「おおむね、そんなところね。実の娘が、よりによって亡き夫が考案した薬の副作用で、殺人を犯した。口封じのために、事情を熟知している錦城先生を亡き者にしたい、と思った。そう思われても、不思議じゃないわね。けど、舞さんは、錦城先生を怒らせたのは、私ではない、と思っている訳ね?」
「はい。優子先生は、ご主人が考案した新薬は、この世に出したらいけない、とお考えですよね。ご主人も考案したものの、強い副作用の危険を察して、新薬の開発は止めようとしたのではないでしょうか?」
 優子が、諦めた表情で頷く。
「夫は、信頼のおける薬学博士に、新薬の化学式のデータを託したのよ。危険性が強い事実を、証明してもらうためにね」
「その薬学博士は、荒垣政勝先生ですよね?」
「そうよ。荒垣君のお父様よ。あの方も亡くなったわね。神経衰弱だったと。私の夫も、直接の死因は、震災時の逃げ遅れだった。だけど、その前年から、神経が衰弱していたの」
「震災時、錦城先生は、わざと仁川先生を研究室に残して、立ち去ったのではないでしょうか? 当時の防犯カメラの映像に……」
 舞が最後まで言い終わらないうちに、優子が遮った。
「今さら蒸し返しても時効だし、夫が帰ってくる訳でもない。それより、夫が目指していた、精神疾患を完治させる方法を、違う角度から研究したかった。薬を使わない方法でね」
 舞は、優子の顔を覗くように見て、訊ねた。
「お祖父様の研究ですよね? 私の憶測ですが、芦屋医大の創設者、茂森立樹先生は、優子先生の母方のお祖父様ではないでしょうか?」
 優子の目が、一瞬、泳ぐ。フッと笑みを漏らした。
「そこまで知っていたのね。幸い苗字が違うから、学生時代から話題に出さないようにしてたの。祖父は大学の創立は果たしたけど、自身の研究課題は、志半ばで他界したからね」
 優子の表情は、憂いに満ちていた。
 舞は首肯しながら、脚を動かした。麻痺が軽減されているように、感じた。
「優子先生には、錦城先生を亡き者にする動機がありますね。荒垣先生も、お父様と錦城先生の確執で、動機があると思いました。ですが、命を奪うほどの動機になるとは、思えませんでした。以前、噂で、酒造会社の佐伯一族が甲神学園の創設者一族でもある、と聞きました。その直系に、隠し子説が囁かれている、とも」
 舞は、動けるようになった両膝を布団の中で、そっと立て、先を続けた。
「噂話は、事実でした。現、白嶋酒造の社長は、佐伯隆介氏。奥様は、仁川祐司先生の従姉です。このお二人が、桐花さんの育ての親です。それと……。佐伯隆介氏の実の娘が、芦屋医大に勤務しています。薬剤師の北島楓さんです」
 優子は、この事実を知らなかったのか? 舞が眠っていたベッドに両肘を突くと、両手で頭を押さえて、下を向いた。大きく息を吐いている。
十秒ほど経つと、大きく息を吸いながら、顔を上げた。

(つづく)

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