振り返る53歳
50歳になった頃から途切れ途切れの記憶が時々、ふと思い出す様になった。
何故か私は小3位まで、記憶が曖昧。やなぁと思って生きてた。
それを50歳になった頃から頭の中で繋ぎ合わせる事が多くなった。
23歳に地元の田舎のアパレル店員になった。運良く48まで働けた。お陰で自分の事などろくに振り返ったり考えたりする暇は無かった。もちろん身体の声も聞いた事は無い。小さいながらもセレクトショップ。半年先の商品の仕入れに奔走し、段々と一番の古株になっていて、会社の方針で1店舗1社員の為、毎日、家族そっちのけで盆と正月以外はろくに休まず次のシーズンを追いかけて走り抜けた。
結果、結婚生活は破綻していた。故に夫は浮気夫。夫の事が好き過ぎて、いつまでたっても上手く出来なかった。嫉妬がコントロール出来なかった。コンプレックスも相乗効果を発揮していた。それも認める度量も無く、さらけ出す勇気も無い。娘にも悟られたくない。困った。
48になった頃、社長が閉めると言い出した。
スキルも何も無い中年が社会に解き放たれて、嫁に甘んじればいいものを、離婚しほんとに自分を振り返らざるを得ない自体となった。
アパレル業界に居たくせに人見知りで丁寧な暮らしが苦手。一人娘と愛犬を抱えて中年のシングルマザーとなった。、危うく引きこもりの中年になりかける。
がしかしシングルマザーは引き篭れない。あらゆる派遣パートを渡り歩きポンコツな自分に出会うとお決まりの過去の反省に至る。
ただ振り返ると不思議がいっぱい。
幼い頃からサザエ一家に憧れる様な稚拙で幼稚な私は真逆の家庭環境だった。
結婚は怖い物と思い29まで独身だった。
やめた方が良いと力説したが娘を授かり結婚。
当初は1人で育てるからとも伝えた程怖かった。無駄に心配性。
退職し離婚までの間に脳梗塞で倒れ3ヶ月入院しました。
風邪も引かなかった私の初めての病気。13歳頃からタバコ吸ってたし、身体の声なんか聞いた事無かったし、自分のしたい事は言ったらあかんと呪いのように言い聞かせて、仕事、夫、娘、愛犬、自分として生きてた。
ある日仕事仲間だった子の作ったアクセサリーの販売会してる大阪の福島のカフェに土曜の仕事終わりで家族で車走らせて行きたいと出かけた。
小4頃から近眼で偏頭痛持ちだったのでその日も頭痛薬を飲んで、すぐ治るやろと思いつつ。
そのカフェで膝カックンされたみたいに崩れ、そのまま近くの関電病院に即入院となった。
ここはホテルかと思う様ないい病院で年の瀬の12月。大阪の夜景を眺めながらひと月過ごした。ご飯も美味しく、夫の計らいで個室にしてもらったのに、ご飯不味いと食べず。
人見知りなくせに、ひとりが苦手で仕事以外で1人で行動する事はまず無くて、家じゃないところで寝るのはとてもとても寂しく、。その頃、浮気防止が念頭にあったのも大きく、遠いのに仕事終わりに毎日来てと夫にわがまま言った。夫は車で1時間半程かけて毎日来てくれた。嬉しかったのに言わなかった。
ひと月たち、和歌山の日赤にに転院させてもらえることになった。
大阪の病院でもリハビリはとても楽しく。左半身がやられたので、初めは円形の廊下を左壁に当てながら歩き。
肘から下を数えながら動かしていると、リハビリの先生に、「今、誤魔化しましたね」と本性を見抜かれました。それくらい私を見てくれてると感動もしました。数日はICUだったと思いますが、生死を彷徨って生還という感覚は全く無くて、寂しさもすぐ慣れて、なんなら旅行気分。
何もせんで良いなんて、なんてお気楽なと。
数年ぶり、いや初めて罪悪感から抜け出した感じがしました。
これか、身体の声。
記憶も言葉も不自由無かったためほんとにお気楽さんでした。
空間認識能力は馬鹿になっていたみたいで
転院し、自宅近くになって家に数日帰らせてもらった時、棚に手をかけたつもりが届いてないからスカッと外してコケたり、腕が思うように上がらず背中が拭けなかったりはしました。
日赤は娘の高校から程近く、帰りに寄れると夫は思っていたようですが、吹奏楽部の娘はたいそう忙しく、多分1回来てくれただけだったかと。
日赤で再検査の結果内頸動脈が両方、閉塞してると。
どっちも詰まったら、人としては生きれないと言われカテーテルでステントを入れてもらいました。手術というものはこれだけで、開頭はなしです。
吹部は年末年始はアンサンブルコンクールの追い込みで忙しいのは知ってたので、早く見に行きたくてうずうずしてました。
近くに戻れただけで安心したので寂しくは無く、日赤のリハビリも最高に楽しくて、小学生のドリルみたいな事も沢山したし、言語療法士さんが時々してくれるパズルが楽しすぎて、攻略したくて買おうかと夜な夜な検索してました。その頃はまだ攻略出来なくて、再度リハビリの病院に転院し、そこを出る頃には完全に攻略してました。
またやりたいな。
3つ目の病院は自宅近くでほぼ毎晩、お風呂は家で入ってました。
そこは少々古い病院でお風呂が怖かったので、家に帰れてラッキーでした。
そもそも運動もろくにしない人なのでリハビリで3階まで上がったり降りたりを毎日、理学療法士さんと鍛えてもらいました。
最近、大病をした姉とよくまた入院してぇ。なんて不謹慎な話をします。
それくらい、ゆっくりした3ヶ月でした。
人に心配はかけましたが、末っ子の本能を満たしてもらえて、心も癒したのだと思います。