母と暮らす
中学生になり母と暮らし始めた。正確には母とハーゲンと姉と4人で暮らし、マンションの2件隣にハーゲンの離婚後引き取った娘(小4)が1人で暮らしていた。当時、ハーゲン娘はうちの母を嫌っていて、とても一緒に住めないとの事だったが、生活とか家族とは無縁の空気。
父の家でそれを知らされた時は部屋でひとり号泣した。
姉がやってきて「お前はアホやな」といった。
その頃母は大阪で毛皮商をしていて居ないことも多く、家政婦さんが居ました。
ハーゲンはマルチで仕事?をしていていわゆるネズミ講というやつで、夜になると我が家には20代のお兄さんお姉さんがいつも数人やってきてました。
当時通っていた中学はマンモス校と言われる程生徒数が多く隣の小学校の旧校舎を取り込んでやっとの人数だった。よくある田舎のヤンキー校だった。
当時姉は日曜になると大阪にせっせと通っていた。何をしに行くのか気になって、私もと着いて行っていた。
姉はコミケに通っていた。
今でこそ有名なイベントですが、当時は関西だと大阪の中之島の中央公会堂という歴史ある建物で開催されていた。
会議用の長テーブルひとつがひとブースみたいな感じで同人誌を売る人達が中にいて建物の前ではコスプレのお兄さんやお姉さんが居て、全く知識も無い私でも誰かしらと話が出来たし、居場所も作れた気がしてた。
地元開催のコミケも小さいながら商工会議所で開催されてそこでハーフの様な宇宙人のような女の子の様な少年と姉が友達になった。
当時はアニメが好きとか漫画が好きとか公言出来ない空気が有り、学校で確実に浮いた存在の様な人ばかりが居たので気負わず居心地もとても良かった。
とはいえ中学生、毎週大阪となるとお金もかかる、母の財布からお金を盗み、それでも無い時は電車は入場券で入り入場券で出るなどをして捕まり車掌室で親に連絡されてみたり。姉(15)と私(13)、その宇宙人はタカシ(14)、タカシの従兄弟でヤクザの娘のまさちゃん(13)と4人の事が多かったような。
現地に行くと思い思いに解散になる。姉はその頃大阪に沢山居たヘヴィなメタル風のお兄さんの軍団と仲が良く、タカシはコスプレイヤーの可愛いお姉さん達と仲が良く、私は迷彩服を着た軍団のお兄さん達に可愛がってもらっていた。まさちゃんはひとり本気で同人誌を漁っていたかと。
私も時々中で遊んでいたら京都の大学生のブースのお兄さんが似顔絵を描いてくれた。何となく仲良くなり、文通を始めた。
特に好きとかそんな感覚は無かったものの、優しい年上の男の人と話せるのは嬉しかった。全く内容など覚えていない。
そう言えばタカシが初めてうちに来た日門限が6時だったうちは、姉が駅まで送ってなかなか帰って来ないので、母が激怒。私に車に乗れと駅までかっ飛ばし。
駅前の暴走族やヤンキーが大勢居る中、車を颯爽と降りた母は公衆の面前で姉とタカシを平手打ちした。
私は車の中で傍観するしか無く、その後姉を連れて帰った。
その頃、現実世界ではやさぐれた中学で幼なじみが放課後の教室にヤンキーに呼び出された。
ひとりは可哀想と着いて行って2人でボコられた。
ホウキで殴られて蹴られた程度だったけど、帰ると母にスカートについた足型を見つかり大事になった。
母は即学校に連絡、即捕まり後日その子らが親を連れて謝罪に来た。
中には同じ小学校で話した事のある子も居た。
次の日学校では既に噂になっていて、1番強いとされていた小学校の同級生の女子が安心しなと耳打ちに来た。何故か守ってくれるとの事だった。感謝。そして、かっこいい〜。
その子とは高校まで一緒だった。後日話を聞くと、小学校の時いじめが流行りだして、女子は1人ずつ、順番に無視され始めてた。
始めたのはその子だったかもしれないが、その子にも順番が回ってきた。
その時、私がKY全開で助け舟を出した事があるらしい。
それを覚えてくれていたらしく。お返し的な事だったのかと。
現実世界でも何故か私はヤンキーにも(男子ばかり)ウケは良く、程よく仲良しでした。
中学も高校も学校の近くに住んでいたので、私より先にヤンキーの男友達らが何故か家に居て母や姉と遊んでいた。
タカシも良くうちに来ていた。母とも結果仲良し。タカシも誰とでも仲良く出来るので皆ごちゃごちゃといてた感じで放課後を過ごしていた。
コンビニもカラオケも無い時代だったなぁ。