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写真について深く考えてみた

私にとって写真とは何?いい写真って?今まで写真について悩んだことは数しれないけれど、改めて文章にまとめたのははじめてかもしれません。
頭の中に細切れに存在していた写真へ対する想いをここへ集めました。
これは所属するまなざしフォト部で課されたものです。
とりとめのない文章ですが最後までお付き合いいただければ幸いです。

私にとって写真とは

私にとって写真とは、表現のツールであり記録のツール。

子どもが生まれる前、趣味として写真を撮っていた私にとっては表現としてのツールが大半を占めていました。
自分の目に写る光景をポストカードの様に切り取り、カメラ友達を雑誌の1ページのように美しくかっこよく写したいと思っていました。
フィルムカメラの描写や色が好きで、この頃はフィルムカメラでばかり撮っていました。

ポストカードみたいな、雑誌の1ページみたいなを思い描いてシャッター切ってた


ところが子どもが生まれてそれは一変します。
刻一刻と成長する我が子の成長を逃さず記録し続けなくてはいけません。
ヒョロヒョロでフニャフニャな新生児の姿、はじめて笑った顔、離乳食を始めた日、それからハイハイにつかまり立ちに…成長の全てを写真に収めなくては!
という使命感に囚われるようになりました。
失敗の可能性があり、起動性の低いフィルムカメラはいつしか出番が減っていきました。

撮り逃すことのできない成長

子どもが自分の足で歩くようになったら、以前自分の撮っていたような景色に子どもを入れ込んだ写真を撮りたいと思うも、その願いも打ち砕かれることになります。
立ち止まらない・抱っこじゃなきゃだめ・帰りたい〜!!!!
子どもを撮ることの難しさに心底驚かされました。
今思えば、子どもなんだもの。それが当たり前だったのです。

お菓子を与えてご機嫌をとり、私の撮りたい景色の良い場所やオシャレな場所で撮る、という方法で足掻いた時期もありました。
でも、そんな写真を見返すたびにコレジャナイ!という気持ちが積もるばかり。
背景が変わるだけで、子どもはどの場所でもおかし食べてるだけの写真を見るたび、私は何のために写真を撮ってるんだっけ、と思い悩む日々でした。

左:なに写真撮っとんじゃい!抱っこしろや!な息子 
右:お菓子渡すと地上に降り立つ息子


子どもも私も楽しみながら、表現のツールとして写真を撮るためにどうしたら良いのか?を考えました。
その結果徐々に行き着いたのが、子どもが楽しめる場所(例えば電車の見える場所や公園)に行き、その中で "なんか自分が好きな感じ” に子どもを写し、1枚でも撮れていたらラッキー!くらいのスタンスでいることした。

なんか好きな感じ

結論、子どもが生まれる前も現在も、写真とは表現と記録のツールであることに変わりありません。ただし、以前は表現としてのツールが大半を占めていたはずの写真が、現在では記録としてのツールの割合の方が圧倒的に多くなりました。

いつかその割合が逆転する時が来るのも、楽しみとして取っておきたいと思います。(本当は成長を記録しなくなる日を想像したら寂しくてたまらないけれど)

いい写真とは

いい写真って何?その問に、ぱっと出てきたのは
・声が聞こえたり、温度を感じるたり、その時の記憶が瞬時に蘇るような、撮り手の感情が閉じ込められた写真
・素晴らしい景色、カチッと決まった構図、きっちり合ったピント、適切なカメラの設定で撮られた写真
ざっくりこの2通りの答えでした。

そもそも、いい写真が何か、考える必要あるのか?
かわいいから撮った、この瞬間を残したいから撮った、記念日だから撮った、そんな写真たちを、いいかどうか評価する必要ありますか?
ないのでは?うむ。…いや、あるのかもしれません。

例えばアルバムに入れたり部屋に飾る写真。それはたくさんある写真の中から、これが"いい"と思ったものを選ばなくてはなりません。
"いい"の基準は、それが子どもや家族の写真だとするならば、子どもがかわいく写っているか?家族全員写っているか?など。

途中で更新が止まってるアルバム。やらねば…


例えばフォトコンテスト。出す側はコンテストに出す写真を選ばなくてはなりません。審査側は数ある作品から"いい"作品を選ばなくてはなりません。
"いい"の基準はテーマに沿っているか?撮影技術が優れているかなど。

まなざしフォト部のフォトコンテストに出した写真
左:テーマ「ひかり」
右:テーマ「まなざし」


例えば写真を仕事にした場合。この人に依頼して"よかった"と、満足してもらう写真を取らねばなりません。
その"よかった"の基準は、被写体が人物であっても物であってもその被写体がはっきり写っているか?クライアントの要望に応えられているか?など。

数少ない、私がお仕事として撮った、靴下の写真


いい写真は何か?という問に対し、私なりに導き出した答えは、被写体の対象や、写真を取り扱う場面によって"いい"の基準は共通するものもあれば、全く異なることもあるということでした。

つまりは、あれこれ考えてみたものの答えは見つかりませんでした。
しかし、いい写真とは何か?それを考えてみることに意味があったのかもしれません。
写真について考えることで、撮りたい写真と見せたい写真が少し明確になった気がします。

今私が撮りたい写真、見せたい写真

写真についてとことん考えてみて、今、私が撮りたい写真はこれでした。
①子どもの成長記録
②私の目に写る世界

①子どもの成長記録
子どもが小さい今は、とにかくたくさん子どもの成長を記録しなくては。
今しか見せない表情や、体の大きさが分かるような写真を逃さず残しておきたいです。
これに関してはカメラの種類や背景、綺麗に撮れたかどうかは二の次なのかもしれません。
余裕がある時だけ、フィルムカメラを取り出します。
でもまずは、途切れることなく残したいです。

全部、全部、残したい

②私の目に写る世界
ここには①も含まれるかもしれないです。
その他にも季節の景色だとか、ただただ目についたもの、光が綺麗と感じた瞬間、これ好きだな、と思ったものです。
写真を始めたばかりの頃、カメラを覗くとそれまで見ていた何でもない光景が、全く違う世界に見えました。
私が写真を始めたのは10年以上も前のことだけど、今でもそのことをよく覚えています。
そんな世界を私好みなカラーのレタッチや、フィルムカメラで残したいです。

ただただ目についた、なんか好き


今の私が人に見せたいと思う写真は、ほぼ②の私の目に写る世界です。
(ここでいう見せるとはSNSです)
正確には、”私の見る世界にの中にいる息子たち”かな。
飾らない写真より、少し気取った写真になるのかもしれません。
フォロワーやいいねの数も、そりゃ、それなりに気にしますよ。
だって、できるだけ沢山の人に写真を見てもらいたいんだもの。
いいねの数が多い=いい写真 でないことはもちろん知っているけど、専業主婦の私が、誰かに褒めてもらえる。そんな嬉しいことないんです。

なんでもない、ありのままの日常写真のアカウントに憧れ、真似したくなる時もありました。
私の場合、それを人に見てもらおうと思うと、もっとこう撮りたいと欲が出てしまいます。
だから、ありのままの日常を人に見せるのはフィルム写真をフィルムアカウントにだけ。と決めました。

フィルムカメラで写す日常


これを気がつかせてくれたのは、まなざしフォト部の顧問である相武えつ子さんでした。
フィルム写真ってすぐに見返せないから、もう1回!もっとこうしたい!と欲が出ないことを教えてくださいました。
さらにフィルムカメラでありのままの生活感や散らかった部屋を写しても、フィルターがかかって雰囲気が出てきませんか?それもまた魅力です。
フィルムカメラとデジタルカメラの使い分けに悩んでいた私にとって希望の光のように感じました。

やっぱりフィルム写真が好きだからずっと続けたい

話はフィルム写真に外れてしまったけど、週末のお出かけも、ただの日常も、雑誌の1ページみたいに切り取ることが、今の私の理想です。
それができた時、人に見てもらえればいいなと思います。
(フィルムアカウントは別として)
作品撮りもしたい、というのが本音だけど子ども相手には至難の技。
子どもも私も頑張らず楽しく撮る!のスタンスが今の私と家族には合っているんだな、と行き着きました。

どんな場面も雑誌の1ページみたいに残すのが理想

さいごに

私は文章を書くのが大の苦手です。これを書くのも何時間かかったかわかりません。もう書くのやめちゃおうかなって何度も諦めかけました。
それでもどうにか最後まで書けたのは内容が写真だったから。大好きな写真のことだから。
人付き合いもめっぽう苦手な私。そんな私が大人になってからも友達が増えて行くのは、写真が好きなおかげです。
家族がいるのも写真のおかげ。(旦那さんとは写真を通じて出会ったから)
写真が大好きで、本当に良かった!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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