「遊歩者」『パサージュ論』(ヴァルター・ベンヤミン)について

「遊歩者」『パサージュ論』要約と考察

1,「遊歩者」とは

まず、ヴァルター・ベンヤミン(1892―1940)が言うところの「遊歩者」(flaneur)には次の三つの性格がみられる。[1]

i)   遊歩者は群衆に紛れるが、一方で群衆の一人ではない。そうして集団とは一段違う立場から批判的な視線を周囲に向け、思考に耽る。

ii)   遊歩者は自在に群衆の中に溶け込み、都市の中に自由に入り込むことが出来る。

iii)    遊歩者は街中のあらゆる事象を観察し、解釈し、その断片的な情報を意味のある関連として再構築していく。


これら一つ一つを「遊歩者」本文と照らして解し、関連する断章を引用しつつ、その性格をみていこう。


i)              

遊歩者と野次馬との奇妙な違い。「とはいえ遊歩者と野次馬とを混同しないようにしよう。微妙な違いがあるのだ。……純粋な遊歩者は……いつも自分の個性を十分に確保している。反対に野次馬にあたっては、外部世界によって熱狂し陶酔するほどに刺激されるので、彼らの個性は吸収され消えてしまう。……野次馬は公衆であり、群衆である。……」[M6,5]


遊歩者の弁証法。この男は、誰からも注目されていると感じていて、まさにいかがわしさそのもの。他方では、まったく人目に触れない、隠れこもった存在。おそらくは「群衆のこの男」が繰り広げているのはこの弁証法なのだろう。[M2,8]


遊歩者に独特の優柔不断さ。じっと動かずに瞑想に耽っている者にとっては待つことがその本来的状態であるように、遊歩者の本来的状態は疑念を持つことのようである。シラーの悲歌[2]に、「蝶の疑念を抱いた」とあるが、これは翅をもって飛ぶこととハシッシュ[3]の陶酔に特徴的な疑念の感情との間にある関連を暗に指している。[M4a,1]


以上の引用からは、まさに群衆の中にあって群衆ではない、批判的な視線を周囲に投げかける姿が見て取れる。


ii)            

「群衆の人」について、バルザックないしはイポリット・カスティーユの筆とされている『ラ・スメーヌ』紙1846年10月4日号の次の記事(メサック『「探偵小説」と科学的思考の影響』パリ、1929年、424頁に引用)。「新世界の未開人が爬虫類や、猛獣や、敵の部族の間を進んでいくように、社会の中で法律や、罠や、共謀者の裏切りを突破していくこの人物から目が離せない。」[M12a,2]


遊歩者の姿の中には探偵の姿があらかじめ形成されている。遊歩者にとってはその自らの行動スタイルが社会的に正当化されることが重要とならざるを得なかった。自分の無関心な様子をうわべだけのものに見せるのが彼にはきわめて好都合なことであった。実際、そうした無関心さの背後には、何も気づかずにいる犯罪者から目を離さない監視者の張りつめた注意力が隠されている。[M13a,2]


これらの引用には、探偵めいた姿、隠れつつも神経をとがらせている姿が現れている。


iii)             

遊歩者が町を徘徊するときに耽っているあの追憶(アナムネーシス)としての陶酔の素材となるのは、彼に感覚的に見えるものだけではない。この陶酔はしばしば、ただの知識を、いや埃をかぶった資料さえも、自ら経験したり生きたものであるかのように吸収しつくすのである。……[ハシッシュによって生じる、二つのものが同じに見える重層現象を、類似性の概念によって捉えること。ある一つの顔が他の顔に似ていると言う場合には、他の顔のある種の相貌が、はじめの顔の中に現れているということであるが、その場合このはじめの顔は、もとのままであって何ら変わることはない。しかし、このような形で別の顔の相貌が現れ出る可能性には、いかなる基準もなく、したがってその可能性は無限にある。目覚めた意識にとっては、類似性というカテゴリーはきわめて限定された意味しかもっていないが、ハシッシュの世界にあっては無限の重要性をもつ。というのもハシッシュの世界においてはすべてが顔なのだ。そこではすべてが身体的な迫真力をもって現れ、その度合いは非常に強いため、顔の場合と同じく相貌が現れ出るのを探し求めることが可能となる。そうした状況の下では一つの文章すらも顔をもっている(個々の単語はいうまでもないが)。この顔が、当の文章と正反対の文章の顔と似て見えるのである。それによってどんな真理もその反対物をはっきり指示し、こうした事情から疑念というものが説明される。真理は何か生けるものになるが、このように真理が生きるのは、命題と反対命題が相互に入れ替わることによって、相互に思考の対象とし合うようなリズムの中でのみである。[M1a,1]

街路はこの遊歩者を遥か遠くに消え去った時間へと連れて行く。遊歩者にとってはどんな街路も急な下り坂なのだ。この坂は彼を下へ下へと連れて行く。母たちのところというわけではなくとも、ある過去へと連れて行く。この過去は、それが彼自身の個人的なそれでないだけにいっそう魅惑的なものとなりうるのだ。にもかかわらず、この過去はつねにある幼年時代の時間のままである。それがしかしよりによって彼自身が生きた人生の幼年時代の時間であるのはどうしてであろうか?アスファルトの上を彼が歩くとその足音が驚くべき反響を引き起こす。タイルの上に降り注ぐガス灯の光は、この二重になった地面の上に不可解な[両義的な]光を投げかけるのだ。[M1,2]

遊歩者が町を徘徊するときに耽っているあの追憶(アナムネーシス)としての陶酔の素材となるのは、彼に感覚的に見えるものだけではない。この陶酔はしばしば、ただの知識を、いや埃をかぶった資料さえも、自ら経験したり生きたものであるかのように吸収しつくすのである。……[M1,5]

ここでは、様々な事物に敏感に反応し、独特の、そして彼独自の類似性をそれらに見出す姿が立ち現れている


2,遊歩者を生んだ「パリ」と、彼の「陶酔」

 前章にて、三点を遊歩者の性格として挙げたが、これだけでは彼を解するに当たって不十分である。遊歩者の存在を大きく支える「パリ」という街、また彼の重要な側面としての「陶酔」。ここではこの二点について、前章と同じく引用をもとに解釈していく。

i)       パリという都市

遊歩者というタイプを作ったのはパリである。それがローマでなかったというのは奇妙なことである。それはどうしてであろうか。ローマでは、夢さえもお決まりの道を行くのではなかろうか。そしてこのローマは、神殿、建物に囲まれた広場、国民的聖所があまりに多いので、一つ一つの舗石や店の看板ごとに、階段の一段ごとに、そして建物の大きな門をくぐるたびごとに、歩く人の夢の中にこの町はそっくり入り込みにくいのではなかろうか。また多くの点ではイタリア人の国民性によるのかもしれない。というのもパリを遊歩者の約束の地にしたのは、あるいはホーフマンスタールがかつて名づけたように「まったくの生活だけからつくられた風景」にしたのは、よそ者ではなく、彼ら自身、つまりパリの人々なのだからである。風景――実際パリは遊歩者にとって風景となるのだ。あるいはもっと正確に言えば、遊歩者にとってこの町はその弁証法的両極へと分解していくのだ。遊歩者にとってパリは風景として開かれてくるのだが、また彼を部屋として包み込むのだ。[M1,4]

つまり、関心をよせすぎる事物が多いローマではなく、あくまで細々とした生活、商店の品物、ひいては人間を観察対象とする遊歩者にとって、人々の生活が作り上げた都市であるパリは格好の街なのだ。というより、そうした性格の街が遊歩者を生んだのである。また、ベンヤミンは次のようにも述べる。

「パリの街路の道徳的雰囲気について」ヴァレリー・ラルボー[20世紀仏の作家]はこう述べている。「交際はいつも平等とかキリスト教的友愛と言った作り事の中で始まる。この群衆の中では、下層民は上流人士のふりをし、上流人士は下層民のふりをしている。道徳の面ではどちらの階層も偽装している。他の首都では偽装はほとんどうわべのものにすぎないし、人々は、はっきりと目に見えるように、互いの違いを強調するし、異教徒や野蛮人からはっきり自分を区別するように努力する。ここパリでは、人々はできるかぎり違いを消し去る。ここからパリの街路の道徳的雰囲気の心地よさが出てくるし、この群衆の俗っぽさ、無頓着さ、単調さも多めに見る気にさせる魅力が生まれるのである。それがパリの優雅さであり、隣人愛という美徳である。徳をそなえた群衆……。」(ヴァレリー・ラルボー「パリの街路と顔 シャ=ラボルドの画集のために」『コメルス』8号、1926年夏号、36―37ページ)。この現象にまったくキリスト教的色彩を認めてしまうのは正しいのだろうか。それとも、ここで働いているのはひょっとしたら陶酔における類似化、重ね合わせ、同類化であって、それが、この町の街路において社会的な自己顕示欲よりも上回っているのではなかろうか。…… [M1a,2]

換言すれば、筆者が考えるに、パリの群衆の穏やかさ、遊歩を可能にする雰囲気とは、他者を慮る「キリスト教的友愛」によって成り立っているものではなく、群衆は個々の事情に、遊歩者自身は夢の中に沈み込むことによって生まれる他者へのある種の無頓着さが生み出しているものなのではないだろうか。少なくとも、ベンヤミンはそう考えていたと思われる。


ii)      陶酔

これに関しては前章で述べたiii.の性格に大きく関連する。適宜そちらの引用文も参照して頂きたい。さらに重要と思われる断章を引用する。

「何に強制されるのでもなく外出して、まるで右や左に曲がるだけでもう本質的に詩的な行為となるかのように自分の思いつき(インスピレーション)に従うこと。」エドモン・ジャルー「最後の遊歩者」(『ル・タン』紙、1936年5月22日号)〔M9a,4〕

遊歩者における感情移入の陶酔について、フロベールの見事な一節を挙げることができる。『ボヴァリー夫人』に専念していた頃のものだろう。「今日、たとえば、男性かつ女性であり、両性の恋人である私は、秋の午後、黄色い葉の下を通って、馬に乗り森を散歩したが、私は馬であり、木の葉であり、風であり、人の語る言葉であり、恋に溺れたまぶたを半ば閉じさせる赤い太陽だった……。」アンリ・グラパン「ギュスターヴ・フロベールの詩的神秘主義〈と想像力〉」(『パリ評論』1912年12月15日号)〔M17a,4〕

周囲を気にすることなく、また同時に世界の細やかさ、空間に満ち満ちた謎、物語、そうしたものすべてに感情移入し、酔いしれること、この陶酔こそ遊歩において実行される行為である。それは詩的といっても、芸術的といっても、美的といっても、文学的といっても、他あらゆる人間の真率な思考の発露になぞらえることができる行為だろう。そう筆者は考える。


3.考察

 以上、ベンヤミンがいうところの遊歩者について引用を多用しつつも概観してきた。彼は群衆の中にあって群衆ではなく、研究者・観察者であり、またそれに陶酔する者であるといえる。ここでは遊歩者についてまとめつつ、細やかな筆者の考えを付け加えていきたい。

まず、前章までで見てきた概観から導き出されるイメージは、有閑の男性である。『群衆の人』において、ポーはこう記述している。


……さては日暮れおそく、長い一日の労働から、冷たい家庭へと帰る内気そうな娘たち、じろじろと眺めてゆく無頼漢どもの視線にたいして、腹を立てるというよりは、むしろ泣き出しそうに顔をそむけて通るのだが、それどころか、雑沓の中では直接身体と身体が触れることさえ避けられない。……『群衆の人』[4]


生活にのみ生きざるを得ない人々が遊歩を成し得ないのは当然として、またさらに、女性が街路において遊歩することは可能だろうか。筆者の経験的なものからくる偏見であるともいえるかもしれないが、この疑問が頭をかすめる。遊歩者において人々は見る対象だが、人々にとって(男性にとって)女性も見る対象なのではないだろうか。当時のパリ市民について、また様々な階級の女性の実態について筆者は明るくないので、疑問にとどまった細やかな事項だが、脳裏の片隅に居座るこの疑問をここに記しておく。またこの疑問を日本の近代において考えれば、さらに「女性の遊歩者」というものは想像し難くなる。樋口一葉(1872―1896)は「見られる者」であった女性から「見る者」としての女性として作品を残したが、『たけくらべ』(1895-1896)では人々から向けられる大人に近づいた女性への視線、そこで受ける恥辱を描いていた。「遊歩」について自身と繋げて考えてしまったとき、筆者の胸からはあの少女の心持が離れないのである。

また、ベンヤミンが他の断章で触れている引用文において、都市の発展と共に安全に「遊歩」出来なくなっている現状を嘆く一節がある。単純に、行き交う馬車が増えれば(また現代のように車が走るようになれば)、ぼうっと思案しながら歩ける場所は限られてくることは容易に推察できるのだ。となれば、パサージュという空間がもたらした特異性のある行為ともいえそうである。

さらに付け加えると、観察者と陶酔者は一見相反する存在に思える。確固とした自己を保持し批判的な視線を周囲に向ける観察者。自我が解かれ世界と融解するような感覚を味わう陶酔者。今の筆者には、これを遊歩者とは両義的な存在なのだと解することでしか結論づけられない。だが、ベンヤミンが繰り返し「陶酔」の重要性をこの断章群で述べている以上、その体験は遊歩者の性格から無視してはいけない肝要なものであると考える。そこで筆者はこう解する。遊歩とは実は、迷子と似通った体験なのではないだろうか。周囲の細やかな事物が生々しく迫り、迷子はその迫力に圧倒され恐怖し、また強く惹かれる。観察するというより、観察してしまうのである。そうしてそれに没頭するのだ。子供の時分に感じていた、今よりももっと謎めく世界、迷宮と化す町の恐ろしさと胸骨を打つ拍動をもたらす興奮……筆者は遊歩に「迷うこと」という能力を見出すのである。ベンヤミンがいう遊歩には、この能力(技術と換言しても良い)が必要であると思われる。ネガティブな文脈で用いられがちな「迷う」という行為だが、これを積極的に行おうとするには、ある種の技術が必要だろう。まるで素面のままハシッシュに酔うように。

以上をまとめると、遊歩者とは単純な存在・行為に見えて、実は様々な条件が絡み合い可能となるものといえる。都市が生み出した一方で、現代の都会で実行することは難しい。また簡単に行えるものでもなく、ある種の修練が必要なのではないだろうか。ベンヤミンが言及するところの都市の中の遊歩者とは、移り変わる時代の中で一時瞬いた存在なのかもしれない。



[1] なお、ここであげる三つの性格については近森高明著『ベンヤミンの迷宮都市 : 都市のモダニティと陶酔経験』(世界思想社、2007)を多分に参考にしたことをここに注しておく。

[2] フリードリヒ・シラー(1759―1805)『Der Spaziergang』=『逍遥』(1795)

[3] マリファナのこと。ハシシュ。ハッシッシ。ハシシ。(デジタル大辞泉)

[4] エドガー・アラン・ポー/中野好夫 訳「群衆の人」『ポオ小説全集2』p.384

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