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この自粛期間に考えたこと。変な話編

変な話

この歳になって子どもも高校中学になるまで、
子供を成人させ自立させることが私の人生だったような気がします。
その後の人生も私にはまだあるということがずっとリアルに感じずこの十数年来たのだけれど。


今回の自粛期間は、何かの拍子にいつも脳裏に自分の人生?ってモヤモヤしたものが浮かびます。


子を社会に送り出した後、自立してるおばあちゃんになる。
今の私には、途方もない大きな問題が浮かんできたということなんです。

進学とかなんとかはなんとかなります今の時代。不安に思ってたけど、親に無いものはないが、本人次第でどうにでもなる。お金のかかることをしたがらない子たちのおかげでそう腹を括ってしまったダメ親になりました。

でも、親自身の人生は子どもが作ってくれるわけでもない。鮭のように産んだら死ぬわけではなかった人生。〈私は子供を産んだ瞬間にもう自分の役割は終わった感覚になってしばらく周囲に鮭のように森の栄養になってしまいたいと漏らしていました。今考えれば産後鬱か?と思う発言ですが、本気で明るく言ってました。多分自分が子供を鎌様から預かり物だと思う感覚があるので、そこから派生した言葉だったかな、、、カッコが長すぎるのでこの話はまた今度)

これから一段二段と進んだ先の人生は、余暇でもなんでもなく、きちんと用意されてるものである。そう、人として生命を持つものとしてとても幸福であるのでその幸福に報いなければならない。

のですね。
なので、大事に過ごさなきゃバチが当たる。
やりがいもなくとにかくがむしゃらに生きて何もなくなったら、私はきっと早く死にたいと思うでしょう。そう、思わないためにどう生きるのか。

老後、稼がなくても遊んで暮らせるような生活には今のところなれる予定はないから仕事もしなきゃならない。もしかしたら2人いる娘のうち1人を養ってるかもしれない。

ああ、大きい。大きすぎる課題。

宿題はいつまでも終わらない。

今の私の人生は、そんな未来につながっているのです。


やりがいとお金はセットで手にすることが大事。それを求める人に対して贅沢だとかいう人にはなりたくないものだとも思いました。


ずっと頑張って、ずっと報われて生きていこう。ね。


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