19. 自分があまり賛成できない常識
ざっくりいうと「家族のかたち」です。
「夫婦に子ども2人くらいが正常」みたいな「常識」がまだあるんじゃないかなと思います。
だいぶ変わってきたけれど。
たとえばうちは夫婦だけで子どもがいません。
「子どもがいないのは何か理由があるの?」
と聞かれたり、聞きたそうにされることがあります。
欲しいけどできない人
特に理由はなく欲しくない人
いたけど死別などで喪った人
事情は色々だし、年月を重ねるうちに考えが変わっていったり、変えざるを得なくなったりしていくものだと思うので「なんでって聞かれてもなあ」と思います。
また、突然ですがわたしは養子で、生みの親と育ての親がいます。
私を生んだ母親や兄姉とは、今も連絡を取っていますし会うこともありますが、生みの父親は早く亡くなったので写真でしか顔を知りません。
普段「父」「母」と話すときは育ての父母のことを指します。
ご兄弟は?と聞かれたら一人っ子ですと答えます。
生まれた時の家族とも育ての家族とも仲良しですが、分かり合えないことや意見の違いはあります。
血がつながってるかどうかよりも、世代によるものが大きいのかなぁと感じています。
小4のとき「わたしの10年」みたいな課題を作らなくてはいけないことがありました。
赤ちゃんの時の写真を持っておらず「ないはずはない」と担任の先生に言われたときに「うーん」となってしまいました。
何かワケアリなのかとクラスメイトにも聞かれましたが、説明が面倒なので答えませんでした。
というわたしにも「いろんな家族のかたち」に頭が追いつかなかった経験があります。
20年以上前、顔見知りの60代のかたが、アフリカ系の小さな女の子を連れて歩いていたときに、すごく混乱してしまいました。
その方のお子さんが国際結婚されていて、お孫さんを連れていただけなのですが、事情を知らなかったわたしには咄嗟に考えが及びませんでした。
自分の常識や想像の範囲を外れるようなケースを前にして、ビックリしてしまうのは多分これからもあると思います。
例えば同性のカップルなどについて、知識としては知っているし当事者の方の本を読んだこととかはあるけど、多分理解しているとは言い難いと思います。
家族のかたち
「常識にとらわれたくないなあ」と思いつつ、多分昔も今も、世間の常識に当てはめて考えてしまいます。
自分の常識とは違うかたちの人が現れたら、もしかしたら反感を感じてしまうこともあるかもしれません。
せめて「おかしい」と決めつけたり、勝手な判断をしないように、自分の不見識を反省できるように「常識を疑う感性」は、忘れないようにしたいと思います。