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【日本語訳】RIVER' ロングインタビュー《後編》

前編を未読の方はこちらから ↓

(インタビュー映像はこちら ↓ )


この日本語訳についての注記(前編と同じ)は必要ないという方は、目次より下から読み始めてください。

注記:

  1. この記事は、ざっくりとした日本語訳であり、正確性を保証するものではありません。

  2. 元はツイッター(X)のツリーに訳を書き込んでいったものです(https://x.com/miwa_bbx/status/1813367685532819877)。140字に収まるよう文字数を調整した部分等もあります。今回 note にまとめ直すに当たり、大きく内容を修正はしていません。

  3. 本文中に、適宜動画の分数を付してあります。

  4. 見出しは読みやすさのために付したものであり、インタビューには含まれていません。



ビートボックスを始めた頃のRIVER'

J: (25:00) ビートボックスはいつから始めたの?

R: ん-、12年前だな。

J: ティーンエイジャーだったんだね。何がきっかけだったの?「これだ!」と思ったのはどんな時?

R: 友達が動画を見せてくれたんだ。それでビートボックスを始めたけど、はじめはそんなに熱心でもなかった。(25:41) 普通にやってみたり動画を見たりという感じで。でも、とても魅力を感じていた、当時は合唱をやっていたからね。とてもクラシックなやつ。

J: 教会の聖歌隊?

R: いや、そうじゃなく、歌のクラスを取ったりしていたよ。昔から歌うのも声を使うのも好きだったんだ。(26:18) そんな中で、ビートボクサー達は、人間の声でできるなんて信じられないようなことをやっているって気づいたんだ。それで「ビートボックスはなんてカッコいいんだ! この地球上で一番カッコいいものじゃないか!」って思った。
その頃はまだあまり熱心にやっていなかったんだけど、(26:45) その頃GBBがスイスで開催されていたんだ。僕はフランスとスイスの国境あたりに住んでいて。

J: とても近かったんだね。

R: そう、それでお父さんが車を出してくれて、GBB2日目に参加したんだ。

J: お父さんに感謝だね!

R: 本当だ。お父さんありがとう!
(27:05) この時生でビートボックスを見たよ。生は全然違った。

J: だろうね。直接会えるし、振動を感じるし。

R: そう、ベースもすごかったし、コミュニティも最高だった。YouTubeで見たあの人もこの人もそこにいて、すごくフレンドリーで、温かく迎えてくれたと感じたよ。(27:34) 僕は無名だったけど、そこにいるだけで幸せで、歓迎されていると思えた。それで帰った時には「これが俺の人生だ!」となっていた。

J: ははは、速攻で心が決まったんだね。

R: そう、もうこれをやる! って明確に決まったよ。それで数ヶ月後にはバトルに出ていた。

J: たった数ヶ月で!

R: (28:06) 2016年にはフランスのチャンピオンシップに出場したけど、結果は良くなかった、まだまだ下手だったから。その時の動画もいつかは出そうかな、今見たらおもしろいかもしれない。

J: 僕は好きなんだよ、たとえば「なんて素晴らしいデザイナーなんだ」と思った人が、どういう経緯でこの道に入ったか(28:31) 

R: いや、僕はひどいものだったよ。でも、ある人が何かを始めるとき、初めはすごく下手くそなものだよね。それはある意味刺激になるかもしれない。
完璧を追い求めることって、不可能じゃないんだ。でも、突出してうまくなるためには苦労もしなきゃいけないし、失敗も受け入れないといけない。
(28:57) 僕が初めてバトルに勝ったのは、2018年のフランスチャンピオンシップだった。それまでの2年間沢山のバトルをしたよ。でも負け続けてた。

J: バトルには何人ぐらい出ていたの?

R: バトルにもよるけど、その国のチャンピオンシップなら30~40人ぐらいかな。国にもよるけど。(29:25) フランスの場合は50人ぐらいかな。フランスにはビートボクサーが多すぎるからね。

J: 50人は多いんだね。ピアノのコンクールだと何百人もいたりするけど。

R: そうだね、前にも言った通り、ビートボックスはもっとずっとニッチだ。(29:40) たった50人ではあるけれど、フランス中の最高のビートボクサーが集まっていて、全員すごく上手いんだ。

ビートボックスはピップホップの要素の一つ

R: でもビートボックスは学校があるわけじゃなく、みんな独学か、ビートボクサー同士で学び合うかだ。これはヒップホップのカルチャーを受け継いでいるといえる。
ビートボックスは、ヒップホップの5番目の要素だからね。忘れられがちなことだけど、ビートボックスはヒップホップの要素の一つなんだ。知らない人も多いけど。

J: 5番目なの?他の4つは何?

R: 1つはラップ、そしてブレイクダンス、DJ、それからストリートヒップホップに欠かせないビジュアルアートがグラフィティ。(30:29) そして5番目がビートボックス。これには他の意見もあって、「5番目は知識だ」とか言う人もいるけど、違うよ、5番目はビートボックスだ。みんなちゃんと覚えておいてよ?

J: ビートボックスはラップよりずっと難しいよね

R:(「そんなことはないけれど」という笑顔とジェスチャー)
(30:51) 実はこんな話があるんだ。僕の友達で、ヒップホップフェスのビートボックスバトルで優勝した友達がいた。それで賞金と賞品をもらったんだけど、そのひとつが観客にも配られる小冊子で、そこには「ヒップホップには4つの要素がある」とだけ書かれていて、ビートボックスには触れられていなかった(31:29) 彼はビートボックス部門で優勝したのに。
でもこれはビートボックスあるあるなんだ。まあヒップホップカルチャーから分かれて独自の発展をしたというのもあるかもしれないけど。
ビートボックスはそういう意味でちょっと違う。(31:50) ビートボックスは他のジャンルと比べてきちんと記録がされていない。ラップとかブレイクダンスだったらジャーナリストが本を書いたりポッドキャストで語ったりしているけど、ビートボックスの歴史を僕が知ることができたのはラッキーだったからなんだ。

RIVER' の知るビートボックスの歴史

R: (32:11) 僕は90年代のビートボクサーと話したり、1997年から活躍してるFAYA BRAZとゆっくり話して、ビートボックスがどう進化してきたか聞いたんだ。あとは日本のAfraから、日本のビートボックスがどのように発展したのかも教えてもらった。
でも、それは語り継がれているだけで、書かれていない。(32:41) でも、ビートボックスが他のカルチャーと比べて劣っているわけじゃない。

J: そうだね、ビートボックスの本を出すよう出版社にかけあわないといけないな。

R: そうなんだよ! でも、一体どこから始めたらいいだろうかと悩むんだ、けっこう複雑だからね。多少は資料もあるけれど。
(33:06) Reeps Oneの “We Speak Music” というドキュメンタリーシリーズは素晴らしいし、フランスにもドキュメンタリーがある。でも十分なリソースだとは思えない。
あるカルチャーにとって、それがどこから来たものなのか知ることは重要だ。過去の過ちなども知らないと、前に進むことはできないし。(33:39) 歴史を知るというのはとても重要なことだ。そうだな、だからビートボックスの歴史の本を書くっていうの、やってみたいな。今じゃないけど、この何年かでできたら。

J: 協力者を募らなきゃいけないな。口伝えの歴史って難しいからね、ちゃんと話してくれる人を探さないと。(34:00) 

R: 今はNYにいるから、まず手始めにアメリカでビートボックスがどう進化してきたかだけでもいいと思う。Buffy と The Fat Boys によって有名になったし。

J: なるほど。

R: 彼らはヒップホップグループなんだけどビートボクサーがいて、ものすごいヒット曲を出したんだ。ああ、日付が思い出せない!(34:27) そのあたりからビートボックスが知られるようになってきたんだ。
ビートボックスはNYが発祥だともいえる、Doug E. Freshが最初のビートボクサーだとも言えるし。NYに限っても、語るべきことがたくさんあるよ。The Beatbox Houseの活躍も忘れることはできないし、本当に沢山のことがある。

フランスのビートボクサー事情

J: (34:54) 君自身のことも聞きたいな、君は「ミュージシャンじゃなくビートボクサーだ」と言っていたけど、ビートボクサーとして身を立てるとはどういうこと? どうやって生計を立てているの?

R: 今は主にライブをすることで暮らしているよ。あとは、公的なプログラムの一員でもある、説明が難しいけど。(35:24) フランスでは、ビートボクサーとして、公的にお金がもらえるんだ。これはフランスに特殊な事情で、僕が間違っていなければ、この制度がある国は他にはないんじゃないかな。ベルギーにも似たものがあるけど。

J: 政府からの補助金が出るの? それとも給与?

R: 給与が支払われるんだよ。 

J: (35:44) すごい、ミュージシャンはみんなフランスに移住しなきゃ。

R: それだって完璧な状況ではないけどね。このために、1年間で最低でも43回ギグをしなきゃいけない。できなくはないけど、かなりの数だと思う。

J: ギグっていうのはパフォーマンスをするってこと?

R: そう、パフォーマンス。(36:06) これを1年間やると、アーティストとしての給与が支払われるんだ。いろんな事務手続きがあるけどね、そのギグにどれぐらい支払われるか等によっても違うし。アーティストとしては、これはなかなか興味深い状況だと思う。夏はライブがたくさんあるけど、1月2月はとても少ないし。

J: 冬眠だ。

R: (36:44) ほんとだね。冬は自分の家に引きこもって、お茶でも飲んでるしかない。1月2月のそういう状況の時でも公から給与が出るっていうのはとてもよいことだと思う。

J: フランスにいなくてもいいの? 外国でのパフォーマンスも含まれる?

R: あー、基準を満たしてればね。

J: そこは複雑なんだね。(37:15) いつもあちこち飛び回ってるようだから、きっとその意味でもサポートが役立ってるんじゃないかと思ったんだ。

R: その通り、助かってるよ。今の僕の状況にとてもマッチしてる。これにSpotifyからの収入もあるし。今度EPを出すんだ、7月7日だから、この動画が出る頃にはもう出ているかな。

EP “Your Eyes”

J: (37:40) そのEPのこともっと話して。

R: あと10日ほどでEPを出すんだ。僕の声だけでできたトラック。すごくうれしいよ。出来にも満足してる。

J: EPの名前は?

R: “Your Eyes”。ZeDeっていう素晴らしいサウンドエンジニアとスイスで録音したんだ。ZeDeは2009年のワールドビートボックスチャンピオン。(38:03) ミックスやマスタリングもすごく上手くて、彼の家でレコーディングしたんだ。映像は、東京でセイヤがカッコいいのを撮ってくれた。セイヤありがとう!
とてもいい作品になったと思うし、また新曲も出したい。新しい作品を出すのが、今の一番大きな目標だ。

RIVER' GBB優勝とその賞金

J: (32:27) ここに至るまで長い道のりだったんだね。何回もバトルをして、たゆまぬ努力を続けて、プレッシャーにも耐えて。それで次第に勝てるようになってきたんだよね?
そんな中で、自分で「やった!」「ここまで来たぞ!」って思えたのはどういう瞬間だったの?

R: (38:52) うーんそうだな、今でも信じられないぐらい素晴らしいと思う。つまり、沢山の犠牲を払ってきたと言ったけど、それは実際には自分の選択で、自分で選んでやったことなんだ。「ビートボックスで世界チャンピオンになる」と決めて、そのためにできることをやろうと思った。

J: (39:14) その目標は頭にあったの? チャンピオンになりたい、って。

R: もちろんそうだよ。

J: すごくハッキリした目標だね!

R: そうだね。はじめはフランスチャンピオンが目標だった。それから少なくとも一つは世界タイトルを獲るぞ、って。辞める前に必ず。自分の力を証明したかったから。
(39:37) 話した通り、それはとても大変なことだった。社会的な生活を送ることは難しかったし、経済的にも厳しかった。バトルだけでは生活していけないからね。

J: バトルに参加するのにお金が必要なの?

R: いや。

J: お金は要らないんだ。

R: そうだ、そのことも話さなきゃね。
(39:55) 参加費は払わなくていいんだ。でも、また変わるかもしれないけど、僕が参加した年のGBBはたまたま2万ドルっていう大きな賞金が出たんだ。

J: すごい! それは大金だ。

R: でも、その賞金はトップ4の4人で分けたんだ。僕が1万ドル取って、2位の人に5千、3位に3千、4位に2千、という風に、(40:39) NaPoM、WingとIceで賞金を分け合ったんだ。

J: それは素晴らしい。君はすごく優しいんだね!

R: いや、これは4人で合意していたことなんだ。賞金はこの4人で分けようって。

J: それは興味深いね。君はその話に乗ったんだ。

R: いや、誰が勝っても同じようにしたはずだよ。(41:02) 

J: でもそれって普通はオーガナイザーがやることだ。自主的にそうしたんだね。

R: そうだな、ビートボックスシーンは今大きくなってきていて、より大きなお金が動くようになってきている。それはいろんな意味でいいことだ。いつの日かビートボクサーがバトルをやめることもできるかもしれない。
(41:23) 少なくとも大きなタイトルを獲ったら、その賞金を新しい機材を買うとか、スタジオの設備を充実させたり、スタジオセッションをしたり、いい動画を作ったり、そういうことにお金をかけられるようになるかも。生活費以外にそういうお金があればいいよね。仕事量に対して妥当なことだと思う。
(41:54) でも、お金が絡むということは、新たな力学が働くということでもある。ビートボックスでお金を稼げるとなると、他のアートの分野でもそうであるようにね、これは、僕もそうだけど、ビートボクサーの当初の目的ではない。はじめは、ただ自分の情熱でやっている。純粋な情熱で。(42:19) ワールドチャンピオンシップや色々なバトルに出ても、賞金が目当てなわけじゃない。だから2万ドル出るってすごいけど、これはボーナスのようなもの。カルチャーや、自分の情熱のためにやることだ。
だからこういう賞金を手にしたら、他の世代の人たちにメッセージを発信するべきだと思う。(42:54) こういう賞金に慣れてしまわないように。僕たちが初めてこういう大きな賞金が出たときに、それを分け合ったことには意味があると思う。みんなにビートボックスシーンとはこういうものだ、分け合い、お互いを想うことが大切なんだ、って知ってもらいたいんだ。

J: 素晴らしいね。これぞ友愛の精神。(43:19) お互いに戦う相手ではあるけれど、もちろん勝つ気ではある、でも誰が勝ったとしても、分かち合う。

ビートボックスコミュニティの変化

R: そうだね、これが僕がビートボックスを始めた理由でもある、コミュニティが一体で、誰でも受け入れてくれるものだから。これを守っていかなきゃいけないと思うんだ。
でも、(43:44) でも、最近これが少しずつ、失われているようにも感じるんだ。もちろん今でもみんな仲が良いけれど、シーンが大きくなるにつれて、変わってきている。僕が始めた頃は、ビートボクサーとファンの間には全く距離がなかった。イベントに行けば、プレイヤーも観客に混じって見てるものだった。(44:14) 

J: 観客の中にビートボクサーが大勢いたんだね。

R: そうなんだ。仮にただファンとして行っただけだったとしても、ビートボクサー達と一緒になっているものだった、たとえ大きな大会でも。でも、シーンが大きくなると、「ビートボクサー」と「それを見る観客」という概念が生まれてきている。(44:38) シーンが大きくなっているということではあるんだけど、そういうコミュニティのあり方が変わってきていると、少なくとも僕は感じ始めている。すごく悪いことというわけでもないけどね。変わらず楽しんでいるし。でも変わってきてはいる。僕は大丈夫だし、これは進化だとも言えるけどね。(45:04) 

J: なるほどね。。
僕は今、そこいらの子供みんなに自転車の乗り方、泳ぎ方、そしてビートボックスを学んでほしいと思っているよ。

R: イェス! うれしいよ、ありがとう。

ビートボックスの魅力

J: エンゾ、今回君と話せてうれしいよ。たくさんのことを学ぶことができた。君の思うアートについて。(45:27) こういう話を聞くためにこのポッドキャストをやっているんだ。たぶんこれはまだ表面でしかなくて、もっと奥深いのだろうけど。でも、ビートボクサーはアスリートのようなものなんだと知ったよ。オリンピックに出るならこういうトレーニングをしなくちゃね!

R: そうなんだよ。

J: そして、一度できるようになったらその音はずっと出せるんだろうね。

R: そうだね、忘れられるとは思えない。

J: 一度自転車に乗れるようになったら忘れないのといっしょだ。

R: そう。そして、これもビートボックスのいい所だと思うんだけど、そして僕がビートボックスが好きな理由なんだけど、(46:09) ビートボックスは1人にマイクが一本、それだけ。それ以上のものは何もない。そのことが、とても美しいと思うんだ。だから僕は夢中になったんだ、人工的なものは何もない。一人の人間が、エフェクトや道具を使わずに音と向き合う。それだけで観衆を引き込んで、感情を動かすことができる。

J: (46:38) たった1本のマイクだけ持って、何百人何千人という観客の前に立つんだね。

R: とてもクレイジーだよね。そんなことが自分にできているかどうかはわからないけど、それがよくできているビートボクサーもいる。フランスのBerywamは、大きなスタジアムで成功を収めてる。(47:06) Reeps や Rahzel なんかも大きいステージが得意だ。

Rahzel と Kenny Muhammad

R: Rahzel は歴史に残るビートボクサーで、Rahzel と Kenny Muhammad が、近代的なビートボックスを築いた2人だ。この2人の前にも素晴らしいビートボクサーはいたけれど、その後に出てくるものを定義付けたのがこの2人なんだ。
(47:38) 歌いながらビートボックスをすることを始めたのも Rahzel だし。いわゆるハミングをしながらビートボックスをするんだ。あれ? Rahzel はそれを広めた人かな? たぶん彼が最初にやったんだと思うけど。えーと、ハミングのしかたはわかる?

J: ちょっとやって見せてよ。

R: (48:09) 基本的には、ビートを打ちながら鼻でメロディを鳴らすんだ、鼻から出る音で。たとえばこんな風にビートを打つ<ビートボックス>けど、これは肺からの呼気を使わずに、口の中の圧力だけで出す。<ビートボックス>それで、こんな風に音を2層にすることができるんだ。

J: すごい! これはヤバいね。

R: ありがとう。

J: これは習得するのに何年もかかっただろうね。

R: そうなんだ。そしてこの技や他の色々なテクニックを開発したのが Rahzel という人。そしてKenny Muhammad が作ったのがKスネア<BB>。

J: 息を吸い込むからビートを打ち続けられるやつだ。

R: そう、それ。他にも素晴らしいリズムを生み出してる。(49:09) この2人が、この後のビートボックスの流れを決定づけたと言っていい。今のビートボクサー誰もがやることは、この2人が創り出したものだ。2人にシャウトアウトを贈りたい。

J: 本の第1章ができたね!

R: 本当にそうだ! すごいな。こんなに簡単に。(49:34) 

"Your Eyes" について

J: エンゾ、ここまでおもしろい話をありがとう! 君の EP はもうリリースされているのかな? タイトルは “Yout Eyes” だね?

R: はい。

J: 探さなくっちゃ。

R: どこでも見つかります、全てのストリーミングプラットフォームに入ってるし、YouTubeからオフィシャルビデオも見られるし。
(49:50) 3曲入っていて、8分か9分ぐらいの1つのトラックとして聴くこともできるように作ったんだ。自分のスタイルと、持てる最高の技術を見せられたらと思う。
とてもダウンテンポでメロディックな作品。たぶんビートボックスの主流の感じではないと、聴いた人は思うんじゃないかな。(50:30) 僕は、ダウンテンポな音楽やソウルフルなもの、メロディックなものがビートボックスでもできるんだということを見せたかった。
だからみんなチェックしてね!

J: みなさんここまで聞いてくれてありがとう。エンゾ、NYで我々を訪ねてきてくれてうれしいよ。(50:55) このポッドキャストはこういうことのためにやっているんだ。時差を超えて、来てくれた人とおしゃべりして、お互いから多くを学ぶことができる。次の回もぜひ聞いてください。

R: ありがとう!


(了)


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