「自信不足」が現実的な不足を招いていたって気付いた話。(ちょい闇深)
立春が明けたね。
あなたは何を始めた?
私は、昨日のnoteの通り、
意識が先、現実は後
意識はいつだって自分で創れる
常に自分の内側の状態を整える
を、めちゃくちゃ意識しているよ。
無意識レベルに落とせるように、まずは意識する必要がある。
で、さっそくまた新たに気付きというか、改めて実感したことがあった。
それが、
「私にもできた」
「私もできるんだ」
「私はできるんだ」
という達成する瞬間の感覚を追い求めてる。
ということ。
私も引き寄せられた、という達成感。
私も現実創造ができるんだ、という確信。
だから私はできるんだ、という自信。
これらを感じたくて、ずっとやってるの。
何を言いたいのかというと、
私が一番求めているのは《自信》だということ。
今の自分に自信を持つために、
現実創造という目的を持ち、
意識や内側を整えるという行動をしている。
私は自信がないから、自信というエネルギーが不足しているから、不足を感じさせる現実が創られていたわけね。
自信を失うような現実が目の前に現われたよ。
「ああ、私はダメなんだ」
「やっぱり私には無理なんだ」
「私にはやっぱりできないんだ」
というような感じで。
いやね、「自信の無さ」がブロックになっているなんて話、めちゃくちゃあるよ。かなり王道なブロックだと思うよ。
見聞きしていたのに、自分事だと思わないものだね笑
でね。
なんでこんなに自信がないのかなって考えたの。
思い返してみたの。
そしたらね、
「私は両親に褒められてこなかったな~」
って出てきたの。
授業をちゃんと聞いていたらテストで100点取るなんて当たり前、と言われていたから、テストで100点を取っても褒められなかった。「それが普通」みたいな感じだったから、見せもしなくなった。
「お姉ちゃんだから」はこりゃ本当に無限に言われていて、色々なことができて当たり前だった。できないことに怒られることはなかったけど、それは「できることが当たり前」という前提があるから目を向けられてなかっただけ。
好きなことに夢中になっていても、「上手だね」「すごいね」はない。
特に母は、自分も上手かったとか、自分はこうだったとか、すぐに自分の話にすり替えるから、こちらから見せることはしなかったし、なんなら隠していた。
私が何か賞を取ってもそれは「私の実力」ではなくて、「育て方が良いから」とされていた。
私は作文や絵や詩などで賞状を沢山もらっているけど、大喜びできなかったのは、それすらも「当たり前」のように扱われていたからかもしれない。
やだ。
子どもの私って本当に褒められてない。
褒められた記憶が憶い出せない。
褒められたこともあったかもしれないけど、多分、私が褒めて欲しいところは褒めてもらえなかったのだと思う。
【できて当たり前】
これはかな~り強力な呪縛だ。
【できて当たり前】という呪縛によって、私は《自信》が持てない在り方になっていたわけよ。
だから私は、「誰かができない何か」ってあんまり気にならない。
けれど、「誰かのようにできない自分」は気になってたまらなくて、自己嫌悪や自己否定や自己叱責にすぐ繋がる。
みんなが当たり前にできてるのに、どうして私はできないんだろう。
できて当たり前のことだろうに、どうして私はできないんだろう。
これ、今の現実に分かりやすく反映されている。
私の中で「できて当たり前だろう」ということほど上手くできていないし、「人それぞれだろう」と思っていることは上手くいっているから。
じゃあ、どうしていけばいいの?
って話よね。
「できて当たり前」を「人それぞれ」に変えるのは結構大変な事だと思うし、「できて当たり前」をできるようにするのも大変だと思う。
「できて当たり前」呪縛のスタートは褒められ経験の不足から始まっているのだから、これはもう、地道に自分で自分を褒めることと、「日々のできていること」をちゃんと見ることが必要だと考えたわけ。
これの注意点は、
『絶対的自分軸』に在ること。
誰とも比較しない。
友人知人はできてるのに、とか絶対考えない。
SNSに惑わされない。
「この世界に人間は自分しかいない」くらいの絶対的な自分軸でやらないと、すぐにへこたれるよね、きっと。
誰かに褒められることも必要なんだけど、これだと「誰かに褒められること」に価値をおいてしまうから、やっぱり自分で自分を褒めて、認めていかないとダメなんだ。
で、その内容なんだけど、本当に小さな事から。
朝起きられた、から始まり、
苦手だけど頑張れた、とか、
今日もうんこ出てお腹元気、とか、
疲れてるのが分かったから早めに布団に入れた、とか、
いっぱい食べたい気分だったからいっぱい食べた、とか。
なんかもう、いろいろ褒めてあげる。
自分が自分にしてあげられたこと、頑張ったこと、なんでもかんでも。
自分に甘々みたいな。
どんな自分もOKみたいな。
自己肯定感も爆上げしてく。
赤ちゃんからやり直すくらいの気持ちと勢いで。
赤ちゃんも大人も「人間」だからね。
赤ちゃんとか大人ってのは、区別や区切りであって、別物じゃない。
赤ちゃんてさ、うんこ一杯出たら褒められるじゃん。
(私も子どもが赤子のころは良かったねぇ~って言ってたもん)
あ~って声を出しては褒められて、
ニコって笑っては喜ばれて、
何かを持ったら上手だねぇって言われて、
寝返り打てたらすごいって言われるでしょ。
当たり前を、当たり前にしない。
今こうやってキーボード打てる私は、日本語を理解して、PCの使い方と文字列を理解して、指を自在に動かせてるんだよな。
すごい、すごい☺
絶対に誰かと比較しない。
できてることも、できないことも。
自分は結構色々できるじゃん♡
って思えるように、「できることの発見」の蓄積をしていく。
昨日の立春で、
本格的に内側を整えることを決めたら。
こんな初歩的なところからのスタートになった。
けれど、
こんな初歩的なところが埋まってなかったと気付けたわけで。
スカスカな地盤の上に、
家なんて建てられないものね。
さぁ、地盤(内側)強化の始まりだ。
一人でやることだけれども。
大勢でやっても楽しそうよね。
みんなで褒め合って、モチベ維持するの。
「今日もうんこ出た~」
に対して、
「今日もうんこおめでとう!」
って言いたい私が居る笑
なんか探そう。
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