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南の島に行きたいご自愛メランコリー

 今日は心の調子が悪いようで、こんなときは知らない南の島に行きたくなる。「冬季鬱には日の光を浴びましょう」?その日の光がね、ないんですわ。

 帰宅後、昼寝をしようと思って布団に潜り込むも不安で眠れず、知らない間に時間は過ぎて外は灰色になっておりました。絶望。雪国の曇り空はただでさえ仄暗くて気分が沈むのに、ここは山に囲まれていないから、この景色がどこまでも続くような、そしてこの土地がどこにも繋がっていないような漠然とした不安に襲われるんですね。街も駅もどこもかしこも少し古くて暗い色調で、それが何故かいつも耐え難い。

 ボードレールは、パリの憂愁を“melancholy”ではなく”spleen”と表現しています。パリという都会の尖がった冷たい憂鬱です。ところで「憂愁」という言葉からは、秋=憂鬱が連想されますが、ボードレールの「秋の歌(Chant d’automne)」を読むと、秋が憂鬱になるのは夏の光が去り厳しい冬がやってくるためだということが分かります。この詩では、木の葉が地面に落ちる音と、薪が崩れ落ちる音が、棺に杭が打ち付けられる音に例えられています。

 そう考えると、長い死の季節にいる心の調子が悪くなるのも自然なことなのではないでしょうか。南の島に行きたいという欲望もなかなか道理にかなっている気がします。ボードレールがモーリシャス島を訪れていたように、早くどこかに行きたいですね。


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