【感想】『フリーバッグ』(ナショナル・シアター・ライブ)
※ネタバレ含みます。
池袋シネ・リーブルで、アンコール上映を観てきました。
毎度嘆いているとおり、ナショナル・シアター・ライブの映画は、ほぼほぼ一週間しか上映しない! 日程をやりくりして観に行くようにしてはいるものの、残念ながら観られなかった作品がある。『フリーバッグ』もそういう作品のうちの一つ。だから、アンコール上映してもらえると、とても助かる。
今回は内容などをチェックしないまま観た。
タイトルは『フリーバッグ』で、一体全体「自由の袋」とは何のことなのだろうか…と思いながら観てしまった。
とんでもなくお馬鹿さんな女性の振る舞いに、思いっきり笑い転げてから、衝撃のラストに愕然とした。一体、これはどういうことかと考え込みながら映画館を出た。
そもそもタイトルは、FreeBagじゃなくて、Fleabagだった。「蚤袋→薄汚いみじめな人」といったところだろう。ものすごく性的に奔放で見境の無い30代のヒロインのことを指している。
彼女は、男性が自分の身体に欲情する様子を見て自己承認欲求を満たす、といったこじらせ方をしている。
ヒロインが椅子に座ってブラックな本音を語るばかりのシンプルな舞台なのに、いろんな風景が見えた。圧巻の演技力だ。
でもね、この作品に出てくるような「性的に奔放な女性」は、男性が真実だと思いたいフィクションの中にしか存在しないと私は思っていたのね。
例えば痴漢に遭うと、喜んで催促するような女性。
まさかそんな女性がこの世にいるとは思っていなかった。
いたとしたも男性の夢想の中だけだと思っていた。
公平を期していうならば、世間のほとんどの男性は痴漢したことがないはずなのに、世間のほとんどの女性が痴漢された嫌な経験を持っている、といった非対称性に似ているのかもしれない。
こういう女性も、いないわけじゃないけど、ごく少数で、でもそれが社会の何かを体現していると考えるべきなのだろう。
話を戻して、ヒロインは痴漢すら大歓迎するタイプだ。
私はヒロインの性的志向には全然共感できないタイプだ。
どうしてそんなにいつもエロいことで頭が一杯なんだろう? と不気味に思う。
でも、最後まで観たら、ヒロインの悲しさには共感できた。
認められたくて認められないつらい気持ちは、女性ならみんな思い当たることがあるから。それに、なりふり構わず誰かと寝ようとするヒロインへ、「もっと自分に自信を持て」と言ってやるのは簡単だけれど、そういう視点は突然持てるものじゃない。
ましてや小さい時から誰かと比べられて育ってきたら、難しいよね。
義兄からのセクハラがトラウマになって、彼女を性的に奔放な女性にしたのかもしれない。それにもかかわらず、現在の彼女の様子から眺めれば、義兄からのセクハラは「ありえない」と判断される。「いつも通り」彼女の方から誘ったのだろうと見做される。そしてまた一つ逃げ道がふさがれる。そんな風に私はこの物語を解釈した。
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