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古事記百景 その三十八
五瀬命
故從其国上行之時。
経浪速之渡而。
泊青雲之白肩津。
此時登美能那賀須泥毘古。…自登下九字以音…
興軍待向以戦。
爾取所入御船之楯而。
下立。
故号其地謂楯津。
於今者云日下之蓼津也。
於是興登美毘古戦之時。
五瀬命。
於御手負登美毘古之痛矢串。
故爾詔。
吾者為日神之御子。
向日而戦不良。
故負賤奴之痛手。
自今者。
行廻而。
背負日以撃。
期而。
自南方。
廻幸之時。
到血沼海。
洗其御手之血。
故謂血沼海也。
從其地廻幸。
到紀国男之水門而詔。
負賤奴之手乎死。
為男建而崩。
故号其水門。
謂男水門也。
陵即在紀国之竈山也。
その国からお上りになる時に、浪速之渡を経て青雲の白肩津に御船をお泊めになりました。
この時に登美の那賀須泥毘古が、軍を興して待ち構えて戦いましたから、御船にあった楯を取り、船を降りて戦いました。それでこの地を楯津と言い、今でも日下の蓼津と言います。
登美の那賀須泥毘古と戦われた時、五瀬命は御手に登美の那賀須泥毘古の矢傷を負われました。
そこで五瀬命は、
『私は日の神の御子であるのに、日に向かっって戦かったのが良くなかったのだ。そのために賤しい奴に手傷を追わせられた。今から廻って行って日を背にして討とう』
と仰せられて、軍を南の方から廻された時に、和泉の国の血沼の海でその御手をお洗いになりました。
それ故に血沼の海というようになりました。
そこからさらに廻り込み、紀伊の国の男之水門にお着きになり、五瀬命は、
『賤しき奴に手傷を負わされて死ぬのは残念である』
と叫ばれ、亡くなられてしまいました。
それ故にその水門を男之水門と呼ぶようになりました。
御陵は紀伊の国の竃山にあります。
浪速之渡とは難波の渡のことであり、大阪湾の沿岸部に当たります。
白肩津とは現在の東大阪市で生駒山の西麓当たりと言われています。また、シラカタと似ていることから大阪府枚方 (ひらかた) 市の地名の由来ともなっているようです。
登美とは奈良県生駒市の生駒山の東側のことです。
那賀須泥毘古とは長髄彦 (ナガスネヒコ) とも書かれ、登美にいた豪族の長のことです。
楯津、または日下の蓼津は大阪府東大阪市日下町付近とされています。
血沼海とは大阪湾のことであり、茅渟とも書きます。ここからたくさんのクロダイが水揚げされることから、クロダイのことをチヌと呼ぶようになったそうです。
紀伊の国の男之水門とは少々複雑で、紀伊の国は和歌山県と三重県南部を指しますが、男之水門とは大阪府泉南市辺りと言われており、この地は昔、紀伊の国に属していたとされています。
御陵とは天皇・皇后など、皇族の墓所を言います。
紀伊の国の竃山とは和歌山県和歌山市に竈山 (かまやま) 神社があり、五瀬命が祀られています。
「太安万侶です。また、大事な方がお亡くなりになりましたが、敵を賤しいと表現するのは如何なものでしょうか。確かによくできた弟と一緒に、全国制覇に乗り出したわけですから、驕りがあっても仕方ないのかもしれませんが、敵であってももう少しリスペクトすべきではないでしょうか」
「いや、ちょっと待て」
「今回のゲストは前回に引き続き神倭伊波礼毘古命です。どうしましたか?」
「その表現は、実際に兄がしたものかどうかは分からないだろ? 安万侶などの筆者が創ったものかもしれないだろ?」
「それは否定できません。実際に兄君が生きておられた時に、私が生きていた訳ではありませんからね」
「だろ? そうだとすれば、兄を悪くいうのは止めてもらえないかな」
「これは勇み足でしたね。前言を撤回しましょう」
「そうしてもらおう」
「一つご質問があるのですが」
「答えられるものであれば答えよう」
「答えられないこともお有りなのですか」
「人にはそれぞれ触れてほしくないこともあるだろ? 安万侶もあるんじゃないの?」
「そうですね、秘密にしておきたい事柄はあると思います」
「それと同じだと思ってもらえればいい」
「分かりました。ではご質問ですが、五瀬命は『日の神の御子であるのに、日に向かっって戦かったのが良くなかった』と仰っていますが、日は東から昇り南を通って西に沈みます。とすると日に向かわないのは北しかないと思うのですが、つまり北向きが良いということになりませんか?」
「文面通り受け取ると確かにそうなるな。しかしそれでは民の生活が成り立たなくなるだろうし、土地柄からそうできない場合もあるだろうし、あくまで日の神の御子に限ることであるわけだし、それすらも真正面から日の光を浴びたいと思う日の神の御子がいたとすればその限りにはならない」
「すごくこじつけに聞こえますが」
「言い難いが、私自身も日に向かうことでパワーを貰ったりしているから、兄が戦いに負けた言い訳に言ったことではないかと思っている。下手に動かずにその場で大人しくしていれば、生き延びることもできたかもしれないのに、下手な言い訳をしたものだから死んでしまう羽目になるなんて、我が兄ながら馬鹿げているよ」
「そこまで仰らなくても」
「そういって自分に納得させないとツラいからね」
「そうですよね、兄君が亡くなられたのですからね。ご愁傷さまですと言うしかありませんが、今後に支障はないのでしょうか?」
「支障が出ないようにするしかないけれど、反対勢力はまだまだいるだろうから、覚悟して臨むしかないよね」
「今後のご活躍を楽しみにしています。ではまた次回」
ヨルシカ / へび