古事記百景 その二十八
天若日子
天照大御神之命以。
豊葦原之。
千秋長五百秋之水穂国者。
我御子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命之所知国。
言因賜而。
天降也。
於是天忍穂耳命。
於天浮橋多多志而。…自多以下三字以音…
詔之。
豊葦原之。
千秋長五百秋之水穂国者。
伊多久佐夜芸弖有那理。…自弖上七字那下二字以音下效此…
告而。
更還上。
請于天照大神。
爾高御産巣日神天照大御神之命以。
於天安河之河原。
神集八百萬神集而。
思金神令思而詔。
此葦原中国者。
我御子之所知国。
言依所賜之国也。
故以為於此国道速振荒振国神等之多在。
是使何神而。
将言趣。
爾思金神及八百萬神。
議白之。
天菩比神。
是可遣。
故遣天菩比神者。
乃媚附大国主神。
至于三年。
不復奏。
是以高御産巣日神天照大御神。
亦問諸神等。
所遣葦原中国之天菩比神。
久不復奏。
亦使何神之吉。
爾思金神答白。
可遣天津国玉神之子天若日子。
故爾以天之麻迦古弓。…自麻下三字以音…
天之波波矢。…自波以下二字以音…
賜天若日子而。
遣。
於是天若日子。
降到其国。
即娶大国主神之女。
下照比売。
亦慮獲其国。
至于八年。
不復奏。
故爾天照大御神高御産巣日神。
亦問諸神等。
天若日子久不復奏。
又遣曷神以。
問天若日子之淹留所由。
於是諸神。
及思金神答白。
可遣雉名鳴女時。
詔之。
汝行。
問天若日子状者。
汝所以使葦原中国者。
言趣和其国之荒振神等之者也。
何至于八年不復奏。
故爾鳴女自天降到。
居天若日子之門湯津楓上而。
言委曲如天神之詔命。
爾天佐具売。…此三字以音…
聞此鳥言而。
語天若日子言。
此鳥者。
其鳴音甚悪。
故。
可射殺云進。
即天若日子。
持天神所賜天之波士弓。
天之加久矢。
射殺其雉。
爾其矢。
自雉胸通而。
逆射上。
逮坐天安河之河原。
天照大御神。
高木神之御所。
是高木神者。
高御産巣日神之別名。
故高木神。
取其矢見者。
血著其矢羽。
於是高木神。
告之此矢者。
所賜天若日子之矢。
即示諸神等。
詔者。
或天若日子。
不誤命。
為射悪神之矢之至者。
不中天若日子。
或有邪心者。
天若日子。
於此矢麻賀禮云而。…自麻以下三字以音…
取其矢。
自其矢穴。
衝返下者。
中天若日子。
寢朝床之高胸坂。
以死。
(此還矢之本也)
亦其雉不還。
故於今諺。
曰雉之頓使是也。
故天若日子之妻下照比売之哭聲。
興風響。
到天。
於是在天天若日子之父。
天津国玉神。
及其妻子聞而。
降來。
哭悲。
乃於其処作喪屋而。
河雁為岐佐理持。…自岐下三字以音…
鷺為掃持。
翠鳥為御食人。
雀為碓女。
雉為哭女。
如此行定而。
日八日夜八夜遊也。
此時阿遲志貴高日子根神到而。…自阿下四字以音…
弔天若日子之喪時。
自天降到。
天若日子之父亦其妻。
皆哭云。
我子者不死有祁理。…此二字以音下效此…
我君者不死坐祁理云。
取懸手足而。
哭悲也。
其過所以者。
此二柱神之容姿。
甚能相似。
故是以過也。
於是阿遲志貴高日子根神大怒曰。
我者愛友故弔來耳。
何吾比穢死人云而。
拔所御佩之十掬劒。
切伏其喪屋。
以足蹶離遣。
此者在美濃国藍見河之河上。
喪山之者也。
其持所切大刀名。
謂大量。
亦名謂神度劒。…度字以音…
故阿治志貴高日子根神者。
忿而飛去之時。
其伊呂妹高比売命。
思顯其御名故。
歌曰。
阿米那流夜 於登多那婆多能
宇那賀世流 多麻能美須麻流
美須麻流邇
阿那陀麻波夜 美多邇
布多和多良須 阿治志貴多迦比古泥能
迦微曽也
此歌者夷振也。
天照大御神は、
『豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(略:葦原中国)は我が御子の正勝吾勝ゝ速日天忍穂耳命(略:天忍穂耳命)が治めるべき国である』
と仰り、天降りさせました。
天忍穂耳命は天の浮橋に立ち、
『豊葦原之千秋長五百秋之水穂国はいたく騒がしい』
と仰り、高天原に還り、天照大御神にお伝えになりました。
爾ヽ高御産巣日神と天照大御神は天の安の河の河原に八百万の神を集め、思金神に考えさせ、このように仰いました。
『この葦原中国は我が御子が治めるべき国である。しかし、この国には荒ぶる国つ神らが多くいると聞く。どの神を遣わして国つ神を従わせるべきだろうか』
思金神と八百万神が協議し、
『天菩比神を遣わせばいいでしょう』
と仰いました。
その通りに天菩比神を遣わしましたが、大国主神に媚びることしきりで、三年を経過しても報告にすら戻ってきませんでした。
そこで高御産巣日神と天照大御神は諸神らにお尋ねになります。
『葦原中国に遣わした天菩比神は久しく復命がない。よって次の神を送ろうと思うが誰が良いか』
思金神は
『天津国玉神の子の天若日子を遣わすのはいかがでしょう』
とお答えになりました。
天照大御神は天之麻迦古弓と天之波ゝ矢を天若日子に賜い葦原中国へ遣わしました。
こうして天若日子は葦原中国に降り立ちますが、大国主神の娘の下照比売と出逢いそして娶り、この国を自分のものにするべく画策します。そして八年の歳月が過ぎました。
天照大御神と高御産巣日神は三度諸神らにお尋ねになります。
『天若日子が久しく戻ってこない。その理由を知りたいのだが、どの神を遣わせばいいだろうか』
諸神と思金神は、
『鳴女を遣わすのはいかがでしょう』
とお答えになりました。
天照大御神は鳴女に、
『お前を遣わしたのは葦原中国の荒ぶる国つ神を従わせるためであるのに、なぜ八年もの間に一度も報告がないのか、と天若日子に問え』
と仰いました。
鳴女は天より降り、天若日子の住まいの門である湯津楓の上に止まり、天照大御神からの詔を正確に伝えるのです。
天佐具売はこの鳴女の言うことを聞き、内容が不穏であることを察知し、天若日子に、
『この鳥の鳴き声ははなはだ悪いので、射殺すべきかと』
と伝えます。
そこで天若日子は、天照大御神より賜った天之波士弓と天之加久矢で、その鳥を射殺してしまいました。
鳴女の胸を射通した矢は、天の安の河の河原の天照大御神と高木神の元へと飛んでいきました。
高木神とは高御産巣日神の別名です。
高木神はその血の付いた矢をご覧になり驚かれます。
高木神は、
『この矢は天若日子に授けた矢だ』
と仰り、諸神らに矢をお示しになり、
『もし、天若日子が指示に従い、荒ぶる神を射った矢が届いたのであれば天若日子には当たるな。もし、邪な心であれば天若日子に当たれ』
と仰り、その矢が通ってきた穴から衝き返すと、天若日子は翌朝、寝床で胸に矢が刺さった状態で見つかりました。
雉である鳴女は結局戻ってきませんでした。
「雉の頓使」という諺はここから生まれています。
天若日子の妻の下照比売の泣く声が、風に乗って響き天にまで到りました。
天にいらっしゃる天若日子の父の天津国玉神とその妻子はその声を聞き、天から降りて来て嘆き悲しみ、そこに喪屋を作り、河雁を岐佐理持とし、鷺を掃持とし、翠鳥を御食人とし、雀を碓女とし、雉を哭女とし、定めた役割に従い、八日八夜に亘って歌舞いが行われました。
また、阿遅志貴高日子根神が天若日子の喪を弔いに訪れた時、天から降ってきた天若日子の父とその妻たちが皆泣きながら、
『我が子は死なずに生きていました』
や、
『我が君は死なずに生きてらっしゃいました』
と口々に言い、阿遅志貴高日子根神の手足に縋り泣き悲しむのです。
阿遅志貴高日子根神と天若日子の二柱の神は容姿が良く似通っており、間違えられました。
阿遅志貴高日子根神は激怒され、
『私は、故人が愛すべき友であったから弔いに来たのに、なぜ私を穢い死人と間違うことがあるのか』
と仰り、腰に佩く十掬剣を抜き放ち、喪屋を切り伏せ足蹴にしてしまいました。
これが美濃国の藍見河の河上にある喪山です。
また、喪屋を切り伏せた太刀の名は大量、またの名を神度剣と言います。
そして、阿遅志貴高日子根神が怒って飛び去った時、同じ母を持つ妹の高比売命は兄の名を明かそうと思い、歌を詠まれました。
天なるや 弟棚機の 項がせる 玉の御統 御統に
穴玉はや み谷 二渡らす 阿遅志貴高日子根の 神ぞ
この歌は夷振です。
※葦原之千秋長五百秋之水穂国は本文中で略され、葦原中国になっていま
す。
※正勝吾勝ゝ速日天忍穂耳命は本文中で略され、天忍穂耳命になっていま
す。
※天の浮橋とは国生みの時に海水を掻き混ぜた橋です。
※高御産巣日神は別天神の一です。
※天の安の河は高天原にある川です。
※天菩比神は宇気比で天照大御神の勾玉から生まれた神です。宇気比では天
之菩卑能命となっています。
※天之麻迦古弓とは光り輝く弓のことだと言われています。
※天之波ゝ矢とは大きな羽を付けた矢のことだと言われています。
※下照比売は下光比売命とも書かれ、多紀理毘売との間に生まれた神です。
※鳴女とは雉のことです。
※湯津楓とは桂の木であったり、木犀であったりと定まっていません。
※天佐具売とは鳥の鳴き声などで吉凶を判断する巫女のような者で、隠密の
要素も兼ね備えています。
※天之波士弓と天之加久矢は神聖な弓と矢とされていますが、一説には前述
の天之麻迦古弓と天之波ゝ矢と同一の物であるとも言われています。
※雉の頓使とは行ったきり戻らない使者のことを言います。
※喪屋とは葬儀のために設けられた別の家のことです。
※岐佐理持とは食物を入れた器を持つ者と言われています。
※掃持とは箒で穢れを祓う者と言われています。
※御食人とは食事を作る者と言われています。
※碓女とは米を搗く者と言われています。
※八日八夜に亘って歌舞いとは連日連夜歌舞して穢れを祓う風習があったそ
うです。
※阿遅志貴高日子根神は大国主神と多紀理毘売の間に生まれた阿遅鉏高日子
根神と同一の神です。
※美濃国藍見は岐阜県美濃市にその地名があります。
※高比売命は下光比売命のことです。
※歌の意味 天にいる若い機織り女が首に掛けている、いくつもの玉を貫
いた首飾りが光り輝くように、二つの谷を渡っても輝いて見えるのが阿治
志貴多迦比古です
※夷振とは歌の形式の名を言います。
「太安万侶です。今回は思金神に来ていただきました。今回はお困りだったようですが、どうでしたか?」
「僕はイベンターなんですよ」
「知恵の神として名高いと思うのですが」
「そう、皆を驚かしたり、感動させたり、イベント事なら任せてください」
「では天照大御神と高御産巣日神の人選ミスであると仰いますか」
「僕のことを誤解してますよね。知恵の神は賢い → 賢いから何でもできる → 出来るなら今回もやらせようという図式が目に浮かぶようですよ。僕が得意なのはそうじゃないんですけどね。そもそも天忍穂耳命が治める国なら天忍穂耳命が行くべきでしょ。天照大御神が甘いんですよ」
「それはちょっと話が変わってきますけれど、前回が上手くいっただけに期待は大きかったのでは?」
「そうですね。前回はお祭りというイベント事に仕立て上げましたからね。天宇受売命の活躍で大喝采も浴びましたし、天照大御神もしっかり騙されてくれましたから、万々歳の出来でしたよね。オマケに偶然とはいえ三種の神器のうち、二つまでがあの場で出来上がりましたから、これ以上の成果は望めないでしょう」
「期待値は鰻のぼりですよね」
「ですが、誰を送ればいいかの問いですから、イベント事にはちょっと出来ませんものねえ」
「いっそイベント事にしてしまった方が良かったのでは?」
「いやいや、そんな訳にはいかないでしょ。幸か不幸か頭が良いことになってますから、あの場で茶化したりは出来ませんよ」
「なるほど、しかし見事に失敗続きでしたね」
「だから専門外なんですってば」
「天菩比神はどうして大国主に媚びを売り続けたのでしょう」
「作戦を授けた訳ではないですから、よく分かりませんが、単に気に入られたかったのか、気に入ってもらってから一気に形勢逆転へ持っていこうとしていたのか、そんなところじゃないですか」
「天若日子は大国主の娘と結婚しましたよね」
「彼には野心があったようですね。だから手っ取り早く娘を手に入れたんじゃないですか」
「元から野心家でしたか?」
「実はよく知らないんですよ。ご存じのように数名の神がいる中での問いでしたから、誰かが推したと思うんですけど、僕は代表して答えただけですから」
「では野心家の評はどこから」
「またしてもなかなか帰ってこないから、あの時集まった神たちに聞いてみたんですよ。そしたら、高天原で大勢の神の一柱でいるよりは、葦原中国を手に入れて君臨したかったんではないかと聞いたんですよね」
「それが事実ならかなりの野心家ですね。鳴女はどうしました」
「鳥は頭が小さいですから、ちょっと知恵が足りなかったんじゃないでしょうかね。天石屋戸の時の長鳴鳥は鳴くだけでしたし、今回の雉も鳴く場所と相手を考えられれば、死なずに済んだかもしれないと思うとちょっとやるせない思いです。まあ、結局天若日子も死んじゃって振り出しに戻ったんですけどね」
「それにしても三年も復命せずに放置されるなど、神は気が長いのでしょうか?」
「その傾向はあるでしょうね。何せほとんどの神は永遠に近い寿命ですから、急ぐとか、焦るなどは辞書にないんじゃないでしょうか」
「それから気になっていたのですが、神の世界、つまり高天原から下界、つまり葦原中国は見えないのでしょうか? 見えていれば三年も放置せずに済むと思うのですが」
「残念ながら神とはいえ、すべてが見通せるわけではありませんからね。今の感覚で言えば、衛星写真が動画になっていると思っていただければ、分かり易いのじゃないでしょうか」
「細部は分からないと?」
「大まかな情報としてこんな動きがあるなということは分かりますが、誰それがこういう動きをしているとか、こういう考え方だとか、こんな話をしているなどは分かりませんから」
「なるほど」
「結局は、高天原の誰かがあの案件どうなったっけ、と発言しなければ、放置は続くものと思いますよ」
「神の世界と言えども、盤石ではないということですね。近くの大国の情報力の方が優れているかもしれないなあ」
前の古事記百景をお読みになりたい方はこちらからどうぞ。
古事記百景 その一 古事記百景 その二
古事記百景 その三 古事記百景 その四
古事記百景 その五 古事記百景 その六
古事記百景 その七 古事記百景 その八
古事記百景 その九 古事記百景 その十
古事記百景 その十一 古事記百景 その十二
古事記百景 その十三 古事記百景 その十四
古事記百景 その十五 古事記百景 その十六
古事記百景 その十七 古事記百景 その十八
古事記百景 その十九 古事記百景 その二十
古事記百景 その二十一 古事記百景 その二十二
古事記百景 その二十三 古事記百景 その二十四
古事記百景 その二十五 古事記百景 その二十六
古事記百景 その二十七
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