秋が深まり 吹く涼風に 秋が来ずとも 深まる絆
二千二十二年 十月
はじめに
この書を手に取っていただいたあなたは、なんと御奇特な方なのでしょう。
どうもありがとうございます。
なんと、シリーズ十作目ですが、まだまだ続く予定です。
ですが、前作同様、この書には悪者は出てきません。
殺人などの物騒な事件も起こりません。
詐欺などのややこしい事件も起こりません。
そこには日常の神や仏がいらっしゃるだけです。
今回は、素戔嗚尊が大暴れします。
それにも余裕で勝ってしまう多紀理毘売。
その奮闘振りをお楽しみください。
また、この書は、神や仏を中心に書かれています。
神や仏のことには余り詳しくないんだという方々のために、神となった背景や係わった歴史の一場面などが書かれています。
場面は京都ですから観光案内書のような一面も併せ持っています。
また、この本の特徴として情景描写がほとんどありません。
会話が主です。
読まれた方が想像していただければ、それぞれの世界が広がるはずです。
神や仏に決まりきった世界は必要ないと私は考えています。
それでは、真面目だったり、ぶっ飛んでいたり、お転婆だったり、悩みを抱えていたりする神や仏の姿をご覧ください。
そして、それぞれの世界で神や仏と戯れてください。
文句をいわれる筋合いじゃないのだが
ここには私が知る限りの事実や不実が書かれています。
どうか鵜呑みにされませんように。
ようやく長かった残暑も終わりを迎え、秋の気配が濃密さを増してきたこの頃。
怖い顔をした月様が私の前にドカッと座った。
突然の訪問に何事かと思ったが……。
「お前、私に何か隠していないか?」
急にいわれても思いつくことがない。
「私のことで、月様にお話ししていないことなど、ゴマンとあると思いますよ」
「そりゃそうだろう。お前のことをすべて分かっている方が気持ち悪いわ」
「気持ち悪いって何ですか」
「待て、お前と漫才するつもりはないんだよ」
「どういうことですか?」
「多紀理のことだよ」
アッ、そっちか。
「別に隠しているわけではありませんよ。あの七夕の夜、親しくお話しさせていただいて、最近も度々お話しさせていただいているだけです。ここにお越しにはなりますが、本当にお話しだけです」
「そうなのか?」
「嘘ついてどうするんですか」
「それはそうだな」
「いや、ちょっと待ってください。そもそも姫と私をくっ付けようとしたのは月様ですよね?」
「そうだったような気もする」
「それに、姫を怒らせて、宥めるために私を行かせたのも月様、あなたですよね?」
「そうだったか?」
「とぼけないでくださいよ」
「すまん」
「それに、私が何か悪いことしたみたいに責められていますけれど、ちょっとおかしくないですか?」
そうだよ。きっかけは月様、あなたですよ。
「それはそうなんだがな。ちょっと問題になっていてな」
はっ? 問題って何?
「それは姫や私の責任ですか?」
「それも違うんだが、色々と面倒でな」
なんか歯切れ悪いなあ。
もう少しズバッといってもらう方がいいんだけどなあ。
「話の中身がよく見えませんが」
「比丘尼は?」
突然何だ?
何故、ミクさんが出てくる?
「最近見かけませんね」
「最近とはどれくらいだ」
「三ヶ月くらいですかね」
「元妻は?」
「連絡すら取っていません、って何なんですか」
奥歯に物が挟まったような会話は基本的に苦手だ。
「ちゃんと話そう。白状するとだな、姉と弟が心配しているんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ、今まで引き籠もっていた娘が最近度々出掛けるようになった、それもイソイソとだ。どう考えても男だなってことになったんだが、直接聞く勇気がないって姉に泣きつかれたんだよ」
姉といえばあの方だよな。
直接聞けないなんて、それはまた気の弱いことですね。
娘を心配してのことなら、直接聞くのが一番だと思うのですが。
「お前だよな、度々会っているのは」
これは直接すぎるでしょ。もう少し何か挟んでくださいよ。
「だと思います。でも決して疚しいことはしていませんから。それだけは信じてください」
姫のご両親に心配かけているのか。
神様でも、娘の心配するなんて、人と一緒だな。
しかし、それはちょっとマズいよなあ。
「ホントに話だけか? どんな話しているんだ?」
「それはいえません。今までのこと、姫個人の考え、これからのこと、色々と話していますが、姫の許可がないといえません」
月様が考え込んだ。そんなにマズいことなんですか?
「姉と弟に会ってみるか?」
「さっきはスルーしちゃったけど、お姉さんと弟さんって、天照大神と素戔嗚尊のことですよね」
「その通りだ」
「ちょっと畏れ多いです」
「そうだろうなあ」
そりゃそうでしょ。
あのお二人にお会いすることになって畏れ多いと思わない日本人なんて多分いませんよ。
あーでも若い人は知らないかもなあ。
年代の格差を感じちゃうなあ。
「次に姫にお会いした時、ご両親が心配されていることを話してみます。その結果、私がご両親にお会いすることになるのか、姫がご自身でご両親に語られるのかを決めさせていただきたいと思います。だから少し時間いただけませんか?」
三貴子の誕生
古事記では、伊弉諾尊が黄泉の国から戻り、穢れを祓うために禊をした際、左眼を洗った時に生まれたのが長女の天照大神、右眼を洗った時に生まれたのが長男の我らが月様、鼻を濯いだ時に生まれたのが次男で末っ子の素戔嗚尊といわれています。三柱は三貴子ともいわれます。
まずは天照大神。高天原主宰神。天津神。太陽神。
神々の最高峰であるとされています。
三重・伊勢神宮内宮に祀られており、内宮別宮には天照大神の荒御魂が祀られています。
弟、素戔嗚尊の暴虐ぶりに恐れを抱き、天岩屋戸に隠れてしまい、世の中を暗闇にしたことでも有名です。
別名……大日孁貴神。
なお「ムチ」とは貴い神という意味であり、大日孁貴神以外は大己貴命(大国主命)、道主貴(宗像大神)の三柱のみ。
基本的にご結婚はされていませんが、素戔嗚尊との誓約により生まれた、五男三女のお子がおられます。
五男三女には、名前は記録されていても、何をしたかわからない神もいます。
ただ単にこの両親から生まれましたということでしょうか。
誓約の結果生まれた神ですから、それだけで話題にはなりますし、知名度も上がりますよね。
なにより、この両親から生まれたというだけで箔は付きますけどね。
まずは男性陣から、
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は、天孫降臨で有名な天津彦彦火瓊瓊杵尊の父です。
天之菩卑能命は、葦原中国平定のため大国主命を説得に出向きますが、逆に心酔してしまい高天原に戻らなかった神です。
天津日子根命は、歴史書に名はあるものの、何をしたか、または何をしでかしたかは不明です。
ただし、祀られている神社はあります。
活津日子根命も、前者と同じです。
熊野久須毘命も、同じです。
そして女性陣、
多紀理毘売命は、宗像三女神長女。
今回の問題の女神です。
私の最愛の女神とだけお伝えしておきましょうか。
多岐都比売命は、宗像三女神の次女です。
市寸島比売命は、宗像三女神の三女です。
そして荒々しいイメージの弟神、素戔嗚尊。牛頭天王ともいわれます。
親への反抗、姉への叛逆により天津神を追放されたため、国津神を創設。
ただし、国津神創設以前に、葦原中国に神がいなかったわけではありません。
海神、嵐神、農耕神。
島根・松江の熊野大社を始め、多くの神社に祀られています。
お名前そのままの素戔嗚尊神社もあります。
記紀では出雲の祖神になりますが、出雲国風土記にはあまり登場せず、八岐大蛇退治は記載がありません。
八岐大蛇退治は出雲国の出来事であり、有名な逸話なのに、記紀には記載があり、風土記には記載がありません。とてもに不思議です。
ひょっとすると、既にこの時代に版権などがあって、こちらで取り扱うから、君のところには載せないでね。
なんて交渉があったのかもしれませんね。
妻は櫛名田比売、神大市比売など数名。
子は天照大神との間の五男三女神の他に八島士奴美神、大年神、宇迦之御魂神、須勢理毘売命など。
父の言を断り、母の国へ行きたいと泣き叫んだり、姉への挨拶に出向いた高天原で暴れまわったり、八岐大蛇退治をしてみたり、性格に一貫性がないとか多彩であるとかと評される彼ですが、誰しも多面性は持っているはずで、それぞれの場面で、こういう一面もあると、殊更に伝える必要はあったのでしょうか。
余談といえばいいのでしょうか、日本書紀では三貴子とも伊弉諾命と伊弉冉命から生まれたとされています。
古事記と日本書紀で生まれ方すら違います。
日本国の重要な神々であるはずなのに、なぜ違うのだろう?
不可解に思いませんか?
調べてみると、軻遇突智の生まれ順が問題のようです。
少し記紀を比較してみましょう。
軻遇突智が生まれた時の火傷が原因で、伊弉冉尊が亡くなってしまうのは同じです。
伊弉諾尊が軻遇突智を切り捨ててしまうのも同じです。
伊弉諾尊が亡き伊弉冉尊を訪ねて、黄泉の国へ行くのも同じです。
ですが、日本書紀には有名な禊のシーンがありません。
古事記では軻遇突智が先で三貴子が後、一方日本書紀では三貴子が先で軻遇突智が後に生まれています。
だから三貴子が誕生する時に、伊弉冉尊が生きている場合と、亡くなっている場合が生まれることになるんですね。
つまり、
古事記→軻遇突智生まれる→伊弉冉尊死亡→父から三貴子生まれる
日本書紀→両親から三貴子生まれる→軻遇突智生まれる→伊弉冉尊死亡
となるわけです。
今更修正できないのだから、その程度のことは調整してほしかったなあ。
まあ、同じような時期に作成された記紀ですから、双方に意思の疎通がなかったのかもしれません。
後世の私たちが大いに悩むことになるわけですから、何とかしてほしかったですけれど、今さらいっても仕方ないですね。
誓約
天照大神と素戔嗚尊が夫婦となる物語は、父である伊弉諾尊から、海原を治めろと素戔嗚がいわれたことから始まります。
しかし、母・伊弉冉尊を亡くしたばかりの素戔嗚は、父の命令に従わず、泣いてばかりいました。
やはり末っ子は可愛いのでしょうか、父は泣いてばかりの素戔嗚に話しかけます。
「お前はずっと泣きっぱなしではないか、何がそんなに悲しいのだ?」
「俺はよー、おっ母の思い出はほとんどねえんだけどよー。死んでしまったことが悲しくて仕方ねえんだよー」
「そうなのか? 不憫じゃのお」
「せめてもう少しおっ母の思い出があればよー、こんなに泣かなかったよー」
「そうかそうか、では母の話をしてやろうか?」
「そんなことよりー、俺はよー、おっ母のいる根の国に行きたいんだよー」
「私は根の国でお前の母に会ってきたが、とてもじゃないが、会うことを薦められる姿ではなかったぞ」
「じゃあよー、根の国によー、住むことはできるのかー? おっ母の近くにいればよー、気持ちも落ち着くと思うんだよー」
「それはちょっと認められんな。それに父が指示した海原を治める件はどうするのだ?」
「そんな気分じゃねー。他のヤツにやらせればいいじゃんかー」
「お前はこの父の子だぞ、我が儘は許されん」
「俺は海原には行かねー、おっ母のとこへ行くんだー」
我が儘坊主には困ったものです。
でも父は優しいのです。
「分かった、ではこうしよう。お前を葦原中国から追放してやる。これでお前の居場所は高天原か海原か根の国しかないぞ、どうする?」
「タマカガハラには姉ちゃんがいるぞー、海原には行かねー、じゃあ根の国に、行ってもいいんだなー?」
「父はお前を追放するだけじゃ、これからのことは自分で考えれば良い」
「おっ父はスゴいなー、俺のやりたいことをやらしてくれるんだもんなー」
「それで良いのだな?」
「おー、おっ父のいう通りにするよー、でも一つ聞いていいかー?」
「何だ?」
「追放ってどういうことだー?」
「それも分からずに父のいうことに賛成するのか?」
「教えてくれよー」
「よく聞けよ、葦原中国から追放するということは、この国に住んじゃダメだっていうことだ」
「じゃあー、俺はどこに住むんだー?」
「根の国に住むんじゃないのか?」
「そうだった、おっ母の側にいられるってことだなー」
「そういうことになる、でもなあ母に会うことは薦めないぞ」
「ここに住めないってことはー、みんなにも会えないってことだよなー? 俺はー、また悲しくなってきたぞー」
素戔嗚は大声を上げ、また泣き出してしまいます。
「追放したとはいえ、お前は父の子だ。困ったことあがったらいつでも相談しろよ」
聞いているのかいないのか、泣き続ける素戔嗚でした。
数日後、
「おっ父ー、近いうちにー、根の国へ行こうと思ってんだけどー、その前にー、姉ちゃんにサヨナラして来ようと思うんだー」
「それは良い考えだ、姉さんも快くお前を迎えてくれることだろう、行っておいで」
こうして姉である天照大神に別れの挨拶をするために高天原へ向かいます。
しかし、素戔嗚が動くとトラブルが起こるようです。
方法は定かではありませんが、素戔嗚が天に登ろうとした時、大海は轟き渡り、山岳のみならず、大地も鳴動しました。
驚いたのは姉の天照です。
元々暴れん坊で評判の弟が、別れの挨拶のためだけに来たのではないと思い、軍備を整え、自らも戦闘服を身に纏い、素戔嗚を迎え討つつもりでいます。
物々しい雰囲気に驚きながらも、勝負事には負けるつもりのない素戔嗚は、
「よー姉ちゃん、なんだあー、その格好はー?」
「あなたこそどうしたの? 何をしにここへ来たの? あなたには父上から与えられた仕事があるでしょ」
「姉ちゃんにー、サヨナラしに来たんだー」
「サヨナラですって? 私を葬り去るために来たというの? 私の国を奪うつもりなの? それなら容赦はしないわよ」
完全に気持ちが上擦っている天照、素戔嗚の方が落ち着いているようです。
「姉ちゃんー、それは誤解だあー、俺はこれからー、おっ母のいる根の国に行くんだー、だからサヨナラだー」
「あなたが嘘をついていないということをどうやって証明するの?」
「じゃあ姉ちゃん、俺とー誓約するかー?」
「あなたと私が?」
「そうだー、それでー、子を産むんだー」
「あなたと私が?」
元々、誓約は占いのことだとある書物に書かれています。
あらかじめ結果を決めて、その通りになるかならないかで、吉凶を判断するのだとか。
そして結果を左右するのが子供の性別だったようです。
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