古事記百景 その三十四
海幸彦と山幸彦
故火照命者。
為海佐知毘古而。…自佐以下四字以音下效此…
取鰭廣物鰭狭物。
火遠理命者。
為山佐知毘古而。
取毛麤物毛柔物。
爾火遠理命。
謂其兄火照命。
各相易佐知欲用。
三度雖乞。
不許。
然遂纔得相易。
爾火遠理命。
以海佐知。
釣魚。
都不得一魚。
亦其鉤失海。
於是其兄火照命。
乞其鉤曰。
山佐知母。
己之佐知佐知。
海佐知母。
己之佐知佐知。
今各謂返佐知之時。…佐知二字以音…
其弟火遠理命答曰。
汝鉤者。
釣魚。
不得一魚。
遂失海然。
其兄強乞徴。
故其弟。
破御佩之十拳劒。
作五百鉤。
雖償不取。
亦作一千鉤。
雖償。
不受。
云猶欲得其正本鉤。
於是其弟。
泣患居海邊之時。
塩椎神來問曰。
何虚空津日高之。
泣患所由。
答言。
我興兄。
易鉤而。
失其鉤。
是乞其鉤故。
雖償多鉤。
不受。
云猶欲得其本鉤。
故泣患之。
爾塩椎神。
云我為汝命。
作善議。
即造无間勝間之小船。
載其船。
以教曰。
我押流其船者。
差暫往。
将有味御路。
乃乗其道往者。
如魚鱗所造之宮室。
其綿津見神之宮者也。
到其神御門者。
傍之井上。
有湯津香木。
故坐其木上者。
其海神之女。
見相議者也。…訓香木云加都良…
故隨教。
小行。
備如其言。
即登其香木以坐。
爾海神之女。
豊玉毘売之從婢。
持玉器。
将酌水之時。
於井有光。
仰見者。
有麗壯夫。…訓壯夫云遠登古下效此…
以為甚異奇。
爾火遠理命。
見其婢。
乞欲得水。
婢乃酌水。
入玉器貢進。
爾不飲水。
解御頸之璵。
含口。
唾入其玉器。
於是其璵。
著器。
婢不得離璵。
故璵任著。
以進豊玉毘売命。
爾見其璵。
問婢曰。
若人有門外哉。
答曰有人坐我井上香木之上。
甚麗壯夫也。
益我王而。
甚貴。
故其人。
乞水故。
奉水者。
不飲水。
唾入此璵。
是不得離故。
任入将來而獻。
爾豊玉毘売命。
思奇。
出見。
乃見感。
目合而。
白其父曰。
吾門有麗人。
爾海神自出見云。
此人者。
天津日高之御子。
虚空津日高矣。
即於内率入而。
美智皮之畳敷八重。
亦絁畳八重。
敷其上。
坐其上而。
具百取机代物。
為御饗。
即令婚其女豊玉毘売。
故至三年。
住其国。
火照命は海佐知毘古として、鰭の広物・鰭の狭物を獲り、火遠理命は山佐知毘古として、毛の麁物・毛の柔物を獲っていました。
火遠理命が兄の火照命に、
『それぞれの佐知を取り換えて使ってみないか』
と仰いましたが、三度乞われても承知されませんでした。
しかし、遂には佐知を取り換えることを承諾されたのでした。
こうして火遠理命は海の魚を釣るための釣り針を手に入れ、釣りをするのですが一尾も釣ることができませんでした。
そればかりか、その釣り針を海に落としてしまいました。
兄の火照命は釣り針の返却を願い、こう仰いました。
『山の獲物を獲るのも自分の佐知であれば上手く獲れる。海の獲物も自分の佐知であれば上手く獲れる。だから各々の佐知を元に返そう』
弟の火遠理命は答えて、
『兄さんの釣り針は釣りをした時に一尾も釣ることができず、遂に海に落とし、失くしてしまいました』
と仰いました。
しかし兄は強く自分の釣り針の返却を求めました。
そこで弟は腰に佩く十拳の釼を潰して償いのために五百の釣り針を作りましたが、受け取ってもらえませんでした。
また、一千の釣り針を作り、償いとしましたが、やはり兄は受け取らず、こう仰いました。
『やはり元の釣り針を戻せ』
弟は海辺で泣き憂えている時に塩椎神が来られお尋ねになりました。
『どうして虚空津日高は泣き憂えているのか』
火遠理命がお答えになります。
『私は兄と佐知を交換して釣り針を得たのですが、その釣り針を失ってしまいました。その釣り針の返却を兄が求めるので、多くの釣り針を作り償いとしましたが兄は受け取らず、元の釣り針を戻せと言います。もうどうしていいか分からずに泣き憂えているのです』
塩椎神は、
『我はそなたのために善きはかりごとをしましょう』
と仰り、すぐに隙間の詰まった竹籠の小船を作り、その船に火遠理命を乗せ、次のように教えるのです。
『我がこの船を押し流すので、しばらくはそのまま進みなさい。その先には良い潮路があり、その潮路に乗って行けば、魚の鱗のように造られた綿津見神の宮殿があります。その宮殿の門前の傍らにある井戸の上に桂の木があります。その木の上に座っていれば、海神の娘が色々と相談に乗ってくれるでしょう』
教えられたままにしばらく行くと、すべて塩椎神の言われた通りでしたので、すぐに桂の木に昇って座っていると、海神の娘の豊玉毘売の侍女が現れました。
侍女が玉器に水を汲もうとする時、井戸に人影が差し、仰ぎ見ると麗しい男性がいらっしゃるのが分かったが、大層奇異にも感じていると、火遠理命は侍女に、
『水が欲しい』
とお頼みになりました。
侍女は玉器に水を汲み差し出しました。ところが、水を飲まずに首に巻いた玉飾りを解き、その玉を口に含んで唾と一緒に玉器に吐き出しました。
その玉は器にくっついて侍女には離すことができず、仕方なくそのまま豊玉毘売命に差し出しました。
それを見た豊玉毘売は、
『もしかして、門の外に誰かいるのですか?』
とお尋ねになると、侍女は
『井戸の上の桂の木の上に麗しい男性が座っていらっしゃいました。海神と見紛うほどに貴い方だと感じました。その方が水を欲しいと仰ったので差し上げたら、お飲みにならずにこの玉を吐き入れたのです。不思議なことに器から玉を離すことができなくなり、そのままお持ちいたしました』
と答えました。
豊玉毘売命は不思議に思い門まで出て来られました。
そして火遠理命をご覧になり、すぐに一目惚れしてしまいます。
豊玉毘売命は父の海神に、
『門のところに麗わしい方がいらっしゃいます』
と仰ると、海神は自ら門のところまで出向き、
『このお方は天津日高の御子、虚空津日高だ』
と仰いました。
海神はすぐに火遠理命を招き入れ、美知の皮の敷物を幾重にも敷き、またその上に絹の敷物を幾重にも敷き、その上に座らせ、百取の机代の物を供えて饗応して、すぐに娘の豊玉毘売と結婚させました。
火遠理命はそれから三年の間この国にお住まいになりました。
※海佐知毘古は漁師であり、山佐知毘古は猟師です。
※鰭の広物・鰭の狭物とは大小の魚、または海産物のことです。
※毛の麁物・毛の柔物とは毛の荒い物、毛の柔らかい物のことで、様々な獣
のことです。
※佐知とは獲物を獲るための道具のことです。
※虚空津日高とは山佐知毘古のことです。
※玉器とは美しい器のことです。
※美知とはアシカのことです。
※百取の机代の物とは様々な飲食物などを載せた机のことです。
「太安万侶です。火遠理命と豊玉毘売命のご夫妻に来てもらいました。こちらにお住まいになって三年でしたっけ? すっかり落ち着いたようですね」
「妻はもちろんだけど、義理の父が良く面倒を見てくれています」
「奥様は一目惚れだとか」
「父は海神でわたくしも海で育ちましたから、夫のように海の匂いのしない殿方に初めてお会いしたのです。もうときめいてしまいました。容姿も申し分ないほどに麗しいですし、わたくしの自慢の夫なんですよ」
「それはご馳走様でした。海の匂いのしない殿方というのは、海神の娘さんならではの発想なのでしょうね」
「そうなの? だって違う種族と言えばいいのかしら、そんな方に初めて会ったのですもの、ときめくのは仕方のないことですわよ」
「普通拘るのはそこじゃないと思いますよ」
「その辺りは生活環境に影響されるのかもしれないわね」
「それにしてもお父さまはよく火遠理命だと気が付きましたね。元々ご存じだったのでしょうか」
「今まで一度もお目に掛かったことはないって言ってましたよ」
「でも一目見て私だと仰ったよ」
「どうしてなんでしょうね、お父さまには人のことが分かる魔法でもお持ちなのかしら」
「そんなことはないだろう」
「じゃあ、お父さまが誰かに聞いたとか?」
「だって姫がお父さまに言いに行ったんだろ?」
「そうよね。わたくしの話をお聞きになって、わざわざご門まで出て来られたのよね、そしてあなたのことを虚空津日高だと言われたのよね」
「そうだろ、事前に知ってたってことはないと思うけどな」
「それにしても凄い歓待でしたよね」
「これ以上ないほどに、持て成してもらったよ」
「あんなに華やかで立派な食事は私も初めて見ました」
「時代もあるのだろうけれど、家と家を強力に結び付けるには、子供たちを結婚させるっていうのが一番手っ取り早くて確かなんだよね」
「わたくしはそんな思いであなたの妻になった訳ではございませんわ」
「姫のことがそうだとは言ってないけれど、お義父さまにその気がなかったとは思えないな」
「ちょっと話を変えましょうか。この時代にもアシカはよく獲れたのでしょうか」
「多かったのかどうかは知りませんが、昔からアシカの皮の敷物は家にありましたよ」
「そうなんですね。時に火遠理命、塩椎神には最近お会いになりましたか」
「いや、会ってないですね。そう、かれこれ三年ほどにはなりますかね」
「あの時にお話を聞いてもらってよかったですね」
「そのお陰で妻にも巡り合えたし、心穏やかに日々を過ごすことが出来ているよ」
「火遠理命は、どうしてこちらに来ることになったのでしたっけ?」
「うーん、そうだった、大事なことを忘れていたよ」
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