親父
今日は親父のことを語ろうと思う。
子供の俺が言うのもおかしな話だが子供みたいな親父だったよ。
親父の仕事は手描き友禅で家が仕事場だったから学校から帰るといつも家にいるんだ。
もちろんお袋もいつもいる。
だから学校から帰った時にどちらかがいないとすごく不安になったものだ。
お袋がいないとすぐに親父に「母ちゃんは?」と聞いたりしてた。
近所に買い物に行ってただけなのにな。
ずっと家にいるのだから家に遊びに来る友を父は全員知っている。
だけじゃなく近所に住む同じ年頃の子も全員知っている。
もちろん子供の側もすべてが俺の親父だと認識している。
当時の俺は野球少年 (少し大袈裟か) で学校から帰るとすぐに家の前の公園へ行き、近所の友たちとキャッチボールやソフトボールに興じていたんだ。
親父は若い頃からスポーツマンだったらしく仕事の手を止めて毎日のようにキャッチボールやソフトボールに付き合ってくれていた。
何なら俺がいなくても近所の友とキャッチボールやソフトボールをしていたくらいだった。
それで何故来なかったと怒られるんだ。
こっちにも都合はあるんだよ親父。
親父は万事この調子で、自分の都合で物事を考え、子供なんかは勝手についてくるもんだと思っている節があった。
何度も拳固が飛んできたしビンタを喰らったこともあった。
最終的には食事中に茶碗が飛んできて顔に当たり、血を流すなんてこともあった。
原因は覚えていないが、親父の逆鱗に触れたのだろう「出て行け」ということになり、10代の最後は実家にいられなくなった。(まあ、謝ったらよかったのかもしれないが、こういうのは売り言葉に買い言葉だ)
言っておくが理不尽なことばかりではない。
俺が悪いこともあったから甘んじて受けなければならない拳固もあったと理解してほしい。(今のご時世なら例え親でも完全にアウトだろうけど当人が納得してるのなら他人が口を挟む余地はないと俺は思う)
それから数年、実家とは音信不通となる。
叔父が亡くなったというニュースが流れたのを機に親元に久々に連絡を入れる。
お袋の取り成しで家に戻ることになったのだが、親父の次の一手は下宿人と見做し俺から家賃を取るということだった。それでも1年近くは実家で過ごした。
次に実家に足を向けたのは俺が結婚した時だったろうか。
親孝行のつもりで一緒に住むことにしたのだが、妻のことを家の嫁としか見ていない両親と、嫁ではなく俺の妻だと主張する妻が上手くいくはずもない。結局1年も保ずに両親とは別居することになる。
お袋を晩年になって失くしてから親父はずっと独り暮らしをしている。
亭主関白よろしく、縦のものを横にもしない親父が家事をしているというのが信じられない。習うより慣れろということか。
一度風呂に入ろうとしてしばらく意識を無くしたらしい。
意識を取り戻して自分で救急車を呼んだというから天晴れというほかない。
この話はずいぶん後になってから聞いた。
すぐに連絡して来いよ親父。
ある時珍しく親父から電話が来た。医者に身内を呼べと言われたらしい。聞けば動脈瘤があるという。要は手術の同意書にサインが欲しいということらしい。
慌てて医者に会いに行くと、立体的なカラー画像を見せられていつ破裂してもおかしくないので早急に手術の必要があると言われた。
映画やドラマでしか見たことのない動脈瘤が現実のものとして迫る。年齢的に血管を含めもろもろ脆くなっているので最悪のこともお考えくださいとも言われた。
即刻入院する日も手術する日も決めた。
これはヤバいと思った。これで最期かとも思った。
親父は平然としている。とにかく家族を集めようと思った。
親父は焼肉が食いたいと言ったから親父の子供と孫たちを焼肉屋に集めた。
皆に事情は伝えてあったからそれぞれに別れを済ませたのかもしれない。
入院してからは親父の弟にあたる叔父や、仲の良い従兄妹にも連絡し最後になるかもしれない面会を済ませてもらった。
手術当日、会社を休んで朝から病院に詰める。そして手術が始まった。
手術の間はすることがない。長丁場だがひたすら待つだけだ。
どうせ暇だからと本を持ってきたがとてもそんな気分にはなれない。
考えてみれば家族や親戚には世話を焼いたが、俺はありがとうもさよならも言っていない。
どうか無事に戻ってくれと初めて親父のことを願った。
手術が終わった。
医者は予断は許さないが手術は成功したと言った。
肩の力が一気に抜けた。
麻酔が醒めた親父は、なんてことはないという顔で手術は終わったから早く帰れという。
もう少しいるよ。
お前がいても役には立たん、帰ればいい。
親父は強い。孤高の人だ。
手術が終わったばかりなんだから少しのんびりすればいい。
言いたいことも、言わなければならないこともまた今度にしよう。
この出来事から10年。
一緒に住むかと言ったこともあるが今更かと断られた。
だからずいぶん足腰が弱ったようだがまだ元気に独り暮らしをしている。
ありがとうはまだ言えてない。
調子に乗ってもう一つ書かせていただきました。
山根あきら/妄想哲学者様 ありがとうございます。