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闇夜に烏、雪に鷺

『闇夜に烏、雪に鷺』。
一般的に見えにくいモノ、判別しにくいモノを例える時に使う言葉である。
確かに黒に黒、白に白では見えにくいに決まっている。
このことわざは前半部分の『闇夜に烏』だけでも使うことができる。

だが、烏は本来昼行性の生き物であり、「カラスと一緒に帰りましょう」の歌詞にもあるように夕方には巣へ戻る。
だから闇夜の烏などよほど運が良くないと見ることは叶わない。

ではなぜことわざになるくらいにこの言葉がメジャーになったのか。
そこには隠された事実があった。


ここから先は…………なんてことは言わない。
真実を詳らかにしよう。


実はこれ、平安末期から鎌倉時代にかけての奇襲戦法の一つである。
敵に気づかれぬように夜陰に乗じ近付き、一気に敵を殲滅し勝利する。
その時の夜陰に乗じるための衣装が黒だったことから、誰が名付けたか「闇夜に烏」が定着して行ったと考えられている。

『闇夜に烏じゃねぇけど、黒に黒じゃ分かり辛えよな。気付いた時はもう横にいるし、そんなの勝てっこねぇぜ』とは敗戦の将の弁。

平家と源氏の争いの場でもそんな情景が見て取れ、「富士川の戦い」と言われる部分がそれに当たる。
源氏討伐に動いた平家であったが、その夜、陣を張った場所を源氏が夜襲しようと試みる。その夜襲に最初に驚いたのは周辺に暮らす水鳥で、一斉に羽ばたいたために平家は敵襲と勘違いし恐れ慄き急遽陣をたたみ撤収したという有名な話がある。
残念ではあるが、その時の源氏の衣装が黒だったかどうかは記録がない。また水鳥の色も記録にはない。

だが、そんな奇襲戦法もいつまでも勝利できるわけではない。
夜陰に乗じさせないように煌々と陣に灯りを灯し、または柵を巡らし、さらに周囲に掘を造るなど容易に近付けないよう守る側も意識が変化していく。
こうやって戦法は廃れていったが、言葉だけが残ったというのが真実である。

翻って現代はどうか。
別の意味の闇はあるものの真の闇夜など街中では存在しない。
むしろスーツ姿の多いエリアではスーツ姿に、作業服姿が多いエリアでは作業服姿に、煌びやかな女性陣が多いエリアでは煌びやかな女性に扮した方が闇夜に烏の効果は得やすいことになる。
試す価値はあるかもしれないが、この平和な国で奇襲戦法に頼る者は皆無であろう。

乙川さま、第三弾書いてみました。
お納めください。

Rush  /  Tom Sawyer


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