神々の宴
神在月の出雲
まずはおさらいを。
神々は年に二度、集団で大移動しなければならない時がある。
一度は神無月の出雲。
出雲の地では旧暦の神無月を神在月と言い換えるほど、昔から神が集うことで有名である。
その時の出雲はそれはそれは賑やかな地となるのだが、多くが集まれば揉め事が起こるのも人間社会と変わるものではない。
さて神々が集まって何をするのかというと、全体会議や地域ごとのミーティング、ロビー活動、テーマごとに分けられた小委員会などで、現在の国連総会と似たり寄ったりな感じである。
違いは集まる方々が各国の要人か、日本中の神々の違いだろうか。
付け加えるとするならば、天津神であろうと、国津神であろうと、地主神であろうと皆平等の権利を有し、拒否権発動の権利を持つ神はいない。
力の差は歴然としていても、臆することなく権利を行使できる神の世界は、我々人間にとって学ぶべき事柄がたくさんあるように思ってしまうのは私だけだろうか。暴挙に出ても拒否権発動で終わらせてしまえる人間界とはずいぶん違うようだ。
有名な場面で言えば、素戔嗚尊と天照大神が誓約 (うけい) をし、占いに勝利した素戔嗚が高天原で大暴れをし、挙げ句捕縛され追放となってしまうシーンがある。
素戔嗚と言えば伊弉諾、伊奘冉の息子、最高神とされる天照大神の弟にあたるのだが、捕縛や追放が行使されるのだからいかに平等な社会であるかが窺えるというものだ。ただし、何が起こっても天照大神を頂点とする神々の序列は変化することがない。だから権力争いも存在しない。この世 (?) で一番平和な世界でもあるのだ。
たしかに遠い過去には土着の神々との諍いも戦もあった。
騙し討ちや暗殺などもあった。
この辺りのことは古事記や日本書紀に記されているから、そちらを参照していただきたい。
ちなみに外国の本はその国の言葉で記された本を読むことを奨められるが、古事記や日本書紀なども少々の実力は必要とされるが、原文で読むことをお勧めしたい。まぁこれは私の主観に過ぎないのだが…………。
神々の目下の最大の懸念事項は年々神社そのものが減っているということだそうだ。
林の中にポツンとあるような、村の鎮守だった小さな祠のような神社は、世話をする人間がいなくなりその役目を終えていたりする。
それでもまだ神が頑張っているところでは時々ご神饌が届けられたりするようだが、神社自体を管理する神主はいくつもの小さな神社を掛け持ちしているために、掃除ひとつをとってもなかなか満足な形にはならない。
「テンテルはん、どないしますのや」
「テンテルと言うな」
「このままやとわてらの世界は崩壊しまっせ」
「長年の懸案事項なのに、すぐに答えが出るわけもあるまい」
これは昨年の一番大きな会場での一幕。
以後、神々の言動を書き記すことになるのだが、神々は郷土色豊かに方言や、古い神様は神語を、付喪神たちはその時代の市井の言葉を話しており、時折人間には及びもつかない発言や事柄があったりするので、若干の修正を加えていることをご了承いただきたい。
また、市井同様真面目な神もいれば、不真面目な神もいる。
朝から飲んだくれる神もいれば、他の神のスピーチを真剣に聞いている神もいることもご承知おきいただきたい。
さて冒頭で神々は年に二度、集団で大移動しなければならないと書いた。
もう一度はどこで、いつなのか。
それはこの物語の終わりにお伝えすることとしよう。
(ここまでは先月にご紹介しています・再掲)
時は2025年11月1日、出雲空港や出雲駅は一日中神様でごった返していた。
怒号が飛び交い、一触即発の様相すら呈している。
だが各種交通機関を自ら生み出し、運用する人間には何ら影響がない。
そこが神と人間の面白いところでもある。
それぞれがそれぞれの定宿に入り、落ち着きを見せたのは逢魔時を迎える頃だった。
だが、足ができてから間がなく、歩行すら覚束ない足の遅い付喪神たちは百鬼夜行よろしく、連れ立って賑やかに練り歩いていく。
しかし、さすがに神在月の出雲。
一度として魔物に遭遇することなく百鬼夜行は宿へと吸い込まれていった。
それぞれが魔物ではないのかとお疑いの方もいらっしゃるだろうが、一応彼らも神の端くれなのだから仕方がない。
「お疲れ様でございました」
「ああ、ありがとう」
「どうでしたかお仕事の方は?」
「眠らないようにするのが精一杯で、話の内容など頭に入ってこなかった」
「それはなんと申し上げればいいのか」
「残念がってくれて構わないよ」
「それは残念でございましたね」
「やっぱりちょっと傷付くなぁ」
「お疲れ様でございました」
「ほんと疲れたよ」
「御御足を洗いましょうか?」
「後で風呂に入るからいいよ」
「それでは宿が汚れてしまいましょ」
「では宙に浮かんで部屋へ行くよ」
「それではお部屋が汚れてしまいましょ」
「ずっと浮かんで居ればいいんだろ?」
「それはそうでございましょうが、やっぱり洗いましょうよ」
「では片方だけお願いしようか」
「そこにどんな意味がおありでございましょうや」
「意味が必要なのか?」
「そこは神の行いですからねぇ」
「わかった、両足洗ってくれ」
「それではしっかりと」
「お疲れ様でございました」
「もう限界」
「お客様そこで寝ないでください」
「あぁ悪い」
「相当お疲れでございますね」
「毎年同じことの繰り返しだからね」
「まったく同じなんですか?」
「一言一句違わずに」
「それにどんな意味がございます?」
「枕草子と同じだよ」
「どういうことでございますか?」
「『春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて』ってことだよ」
「なるほど、常に冒頭から始めるということでございますね」
「そうかれこれ百年もね」
「無駄な時間のように思いますが」
「それがどんどん本格的になってきてんだ」
「本格的?」
「そう、映像や音楽が合わさったりしてね」
「それは面白そうですね」
「そのうち一般にもお披露目されるんじゃないかな」
「早く見てみたいですね」
「年に一度だけだから、あと50年もすれば完成度が高くなると思うよ」
「その程度の年数なら私たちにはどうってことありませんね」
「お疲れさまでございました」
「今日はそうでもないかな」
「そうでございましたか」
「明日が勝負だよ」
「あぁ明日がメインの大会議場ですからね」
「そう、それで…………」
「テンテルはん、どないしますのや」
「お決まりのパターンだよ」
「でも難しい問題なのでしょ?」
「そうだね、我々神だけではどうしようもない事柄でもある」
「だから結論が出ない?」
「一向に話が進まない」
「人間を呼ぶのですか?」
「それも議論になってるよ」
「だって協力がないと上手くいかないのでしょ?」
「多分そうなんだろうなぁ」
「明日は大変ですね」
「ほとんど聴いてるだけだけどね」
「でも今夜はご酒を控えた方が」
「いや、浴びるほど飲んで少し遅刻するくらいでいいんじゃないかな」
「大事な会議じゃ?」
「それくらいでお決まりのパターンが終わるはずさ」
「もう見飽きたと?」
「そうは言わない、あの方たちは真剣だから」
「でも見なくても分かる」
「その通り」
「ハハ、でもご酒は控えめに」
「そうだな」
翌日の大会議場
「それではただ今から大会議場での会合を始めます」
「テンテルはん、どないしますのや」
「テンテルと言うな」
「このままやとわてらの世界は崩壊しまっせ」
「長年の懸案事項なのに、すぐに答えが出るわけもあるまい」
「毎年おんなじやり取りで飽きませんか?」
「それでも一歩でも前進できるなら良い」
「前進してると考えたはりまんのか?」
「そこは怪しい」
「ほんでどないしまんのや」
「我々だけで悩んでも答えは出んだろう」
「結局人間頼みでっか?」
「彼らが祀ってくれない限り、我々には進むべき道がない」
「いっそ人間界から撤退しまへんか」
「そしてどうする?」
「もともとの自然界に戻るのはどうでっしゃろ」
「それでどうする」
「人間が混沌を経験したら、神の必要性が理解できまっしゃろ」
「逆にそれでも理解できなければどうする」
「自然界にいればよろしおす」
「逆に他の宗教に信仰心を持っていかれればどうする」
「自然界にいればよろしおす」
「我々に戻る場所はなくなるのだぞ」
「自然界にいれば生きていけまっしゃろ」
「それでいいのか?」
「これだけ人間がわてらを蔑ろにするんなら、こっちから人間から離れるのも手ぇでっしゃろ」
「結果が危ぶまれるな」
「もう人間に寄り添うのはヤメまへんか」
「それですべての神の了承を得られると思うのか?」
「現に今はほとんどの神がここ出雲にいるやおまへんか」
「それは我らの眷属がしっかり守ってくれているからだろ」
「彼らは頑張ってくれてますなぁ」
「だが彼らは神ではない」
「それで間に合うてますやろ?」
「人間には区別がつかないからな」
「ということは、いてもいてへんでも同じっちゅうこっちゃ」
「同じではないだろ」
「我々にとってはでっしゃろ?」
「かもしれんな」
「わてらだけが喋ってるけど、他に意見のある方はおまへんのか」
「お前さん方の話は面白くて分かりやすい」
「他人事みたいどすなぁ」
「うちの神社は大勢の人が参拝に訪れる」
「だから困ってないと?」
「今まではそうじゃった。じゃが今は全体の問題であると認識しておる」
「それでご意見は?」
「残念じゃが、問題を認識してから日が浅い。さらにうちの神社では問題を確認できない」
「だから情報収集に徹すると?」
「そんなわけでもないが、大手を振って言える意見も持ち合わせておらん」
「今日の我々の話を聞いてどう思いました?」
「自然界に戻るというのは賛成しかねる」
「どうして?」
「うちの神社の繁栄を捨てることになろう」
「自分が良ければそれでいいと?」
「そう取られても仕方ないのぅ」
「テンテルはん、どないしますのや」
「テンテルと言うな」
「また最初から始めるのか?」
「これで神が一丸となってことに取り組むのは難しくなったな」
「もともと我々は勝手気ままですやん」
「そう言われればそうだな」
「で、どないしますのや」
「テンテルと言うな」
「ゆうてまへんがな」
「聞えた気がしたが…………」
「ほんでどないしますのや」
「一致協力できないということは分かった。今後は分裂もありとするのか、情報共有をしつつそれぞれの道を進むこととするのか、はたまた別の道を探るのか」
「難しい問題どすなぁ」
「今年はここまでとするか」
「ほな、大宴会へとなだれ込みましょか」
「イェ~イ!!」
神々の大宴会が始まった。
出雲中の酒が料理酒も含めすべてなくなるまでこの宴会は続く。
果たして神々が抱えるこの問題はいつ解決するのだろうか。
永遠の命があるとはいえ、のんびりしたことだ。
羨ましくもあり、見習いたいとも思う。
冒頭に紹介した神々が集うもう一つの場所。
それは京都・吉田山の中腹にある吉田神社・大元宮。
節分の時、全国から神々が集まれるようになっている。
京都人にとっては古くから馴染みの場所でもある。
ひょっとすると全国にそんな場所があるのかもしれない。
ご存知の方はご一報をいただけるとありがたい。
写真は2024.11.18.に秋を求めてウロウロしていた時のものです。