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秘する恋こそ侘しけれ|百人百色
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
壬生忠見(小倉百人一首 41 拾遺集 恋 621)
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とある楼に名を「月華」という花魁がいた。
月の光のように優美で儚く幻想的な雰囲気をもつその姿は、多くの客を虜にしてきたが、決して誰にも心を許すことはなかった。
楼の華としての誇りはあっても、相手が誰であれ恋や愛など考えることさえなくなっていた。
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花魁は楼から自室をあてがわれ、自室の窓から外を見るのを好んだ。そこには家事仕事に精を出す女子衆がいたり、力仕事に汗を流す男衆がいたり、棒手振りや風鈴売り、植木屋など楼の中とは違う別世界が垣間見えるからだった。
そんな花魁の心を揺らす風が吹いたのは、ある春の日のことだった。
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いつものように自室の窓から見下ろす路地に一人の若者がいた。
粗末な着物を纏ってはいるが、キレイな瞳をしており、何よりも凛と立つような力強さが感じられた。
その若者は毎日のように同じ場所に立っていた。
時には近所の子どもたちと笑い合い、時には行き交う人を手助けし、女子衆や男衆とも気軽に話をしているが、その場を離れることはなかった。
『花魁、毎日お外を眺めておもしろいどすか?』
『楼にはござりんせん日々の暮らしが珍しゅうて』
『ほんでも毎日では飽きまへんか?』
『日々少しずつ景色は変わりんす』
『どないなところが?』
『例えんば女子衆の笑い声が聞こえたりすると、どんな楽しい話をしなんすのやらとか』
『へぇ』
『例えんば棒手振りがありんしょ 。今日はどんな 魚が獲れたのかいな? わっちの好きな魚はありんすかとか』
『なるほど』
『例えんば風鈴屋がありんしょ、お前たちにあの風鈴買ってきておくんなんしと頼むことはありんすけど、わっちは籠の鳥でありんすから実際に風鈴屋に会うことはござりんせんとか』
『息が詰まりそうどす』
『そうなりんせんようにするためのわっちの楽しみでありんす。でありんすから奪うたりせんでおくんなんし』
『花魁にそんなんいたしまへんで』
『それじゃあ褒美に饅頭でも馳走しようかぇ。 買ってきておくれ』
『花魁おおきにどす』
花魁はいつしか若者の姿を目で追うようになった。
『不思議な男だねぇ、いったい何をしてるんでありんしょう』
月華は周りに人がいない時に幾度となくそう呟いた。けれど、その問いの裏には自身がその姿を待つようになっていることに気付いていた。
そしてとある日、周りに人がいるにもかかわらず幾度となく呟いた言葉を発してしまった。
『不思議な男だねぇ、いったい何をしてるんでありんしょう』
『どなたのことどすか?』
『それは秘密でありんす』
『考えたらいつも決まった時にお外を眺めてはる』
『それでも季節によって見える景色は違うんでありんすよ』
『まさか愛しい方がその時間に下の道を通られるやら』
『そんなことあろうはずもござりんせん』
『殿方のこと想うのんは花魁であれ自由でございますえ』
『あちきの恋はすべて偽物でありんす』
『本気の恋はされへんのどすか』
『してはいけないこの身でありんす』
『成就させるのんはややこしいかもしれまへんなあ』
『一人で済むんなら許される問題かもござりんせんが、お相手があれば互いに苦しむだけでありんす』
『ほんま籠の鳥やわ』
『この身を恨むばかりでありんす』
『花魁っちゅうたらこの地では並ぶものなき身なれど』
『恋は仮初と思い定めて』
『生き抜くよすがに噓をつく』
『よよと崩れてみせようほどに』
『今宵主様に身をゆだね』
『朝鶏鳴けばおさらばと』
『次の相手に想い馳す』
『気に恐ろしき廓屋の』
『籠の鳥とはやるせない』
その日もいつものように窓の下の若者を目で追い、呟いた。
『主さんはどうして毎日そこに立っておいでにありんす?』
すると、聞こえるはずのない小さな声なのに、若者は驚いたように顔を上げ、そして微笑んだ。
『あなたの想いを知って、あなたに会える日を夢見ていました』
聞えるはずのない声が返ってきた。月華は驚き窓から離れた。
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心に動揺は残っているものの、若者へも想いは募るばかり。次の日も同じように呟いてみると、同様の返事があった。
それから数日後、互いに声に出さずとも意思の疎通ができるようになり、月華は名も知らぬ若者にのめり込んでいくのだった。
『わっちは秘した想いのつもりでありんしたのに、当の本人に気付かれてしまうとは、わっちもまだまだ修行が足りんせん』
『いえ、あなたに会いたいばかりに私の思いが強すぎたのでしょう』
それは不思議な心の共鳴だった。互いに口に出さずとも相手の思いを感じることができた。
それからというもの、月華は名も知らぬ若者と、切ないながらも楽しい心の逢瀬を続けるうちに、作り笑いが顔に張り付いていた月華に本物の笑顔が戻った。
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だがある日を境に若者の姿がなくなった。
その日から、月華の心は虚しさに包まれた。
それに伴って本物の笑顔も過去に顔に張り付いていた偽りの笑顔に戻ってしまった。
窓の下に立つ若者の姿は消え、いくら目を凝らしても、その凛とした面影はどこにもなかった。
『……いずこへ、行かれたのでありんしょう』
胸の奥が締めつけられる。
この感情は何なのか、月華自身にもわからなかった。
夜になると、あの心の対話を夢に見ては目を覚まし、涙が頬を伝う日が続いた。
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数日後、若者の声が聞こえた…………気がした。
急いで月華は窓辺へ寄り、下の道を探した。
いくら探しても若者の姿は見えず、恋しいばかりに乗り出した窓から、あろうことか転落してしまった。地面に叩きつけられるまでのそのほんの刹那の時間に月華は思った。
『わっちは、何をしてるんでありんしょ。名も知らぬ若者が恋しいばっかりに楼の窓から落っこちてしまうなんて、なんと間抜けな最期でありんしょなぁ。でもこれで恋しい想いのまんま一生を終えられるわっちは幸せ者だぇ。お世話になった皆みなさま、おさらばぇ』
籠の鳥は初めて飛び立てる時を知った。
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挿絵は我が親愛なる妹のKeiが描いてくれました。ありがと。
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Trousdale / Want Me Back
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