をかし探究隊 お初天神を行く
ずいぶん前になるが私の好きな noter のお一人、カンナさまが『をかし探究隊』を設立され、隊員募集されているのを見つけた。
コメ欄に「隊員は何をするのですか?」と聞くと、特にすることはないらしいのだが、副隊長に任命された。
もちろん隊長はカンナさまだ。
今回は、近松門左衛門作『曽根崎心中』で有名なお初天神を訪れたので、記事として残すこととする。
ただし、隊長の許可を得ていないので、叱られるかもしれないという恐怖を抱きつつ話を進めることになる。(のちに隊長から許可をいただいた)
まずは簡単に近松門左衛門から。
さてお初天神の話をしよう。
大阪は梅田のすぐ横、曽根崎の地にあるこの神社、正式には露天神社という。くれぐれもろてんじんじゃとは読まないように。
ビル群に囲まれポツンと存在する神社は、梅田と難波を結ぶ大阪の大動脈御堂筋のすぐ側にある。
露天神社 (お初天神)
曽根崎心中の話をするには、基礎知識を含めて浄瑠璃の話もしておかなければならないだろう。
さていよいよ『曽根崎心中』の話をしよう。
誰が告ぐるとは 曽根崎の森の下風音に聞え。
取伝へ貴賤群集の回向の種。
未来成仏疑ひなき恋の。 手本となりにけり。
『曽根崎心中』は、世話物浄瑠璃の一段。近松門左衛門作。
元禄十六年 (1703年) 竹本座初演の人形浄瑠璃・文楽。
のちに歌舞伎の演目にもなる。
相愛のお初と徳兵衛が命がけで恋を全うした若い男女の心中の物語である。
『曽根崎心中』は、元禄十六年四月七日 (1703年5月22日) 早朝に大坂堂島新地天満屋の女郎「はつ (本名妙、21歳) 」と内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛 (25歳) 」が西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件を題材にしている。この事件以降、露天神社はお初天神とも呼ばれるようになった。
事件から一月後の同年五月七日 (6月20日) の道頓堀にある竹本座で人形浄瑠璃『曽根崎心中』の初演が行われた。(⇦早!! 一月ですべて準備ってスゲエ)
この作品をキッカケに心中ものが流行した結果、来世で二人の愛が結ばれることを誓った心中事件が多発したため、江戸幕府は享保八年 (1723年) より上演や脚本の執筆や発行を禁止すると共に、心中者の一方が生存した場合は極刑を申し渡し、双方生存の場合は晒し者にしたのち市民権を奪い、心中死した遺体は親族に下げ渡さず一切の葬儀を禁ずるなど心中事件に対して苛烈な処置を行った。
恋仲であったお初と徳兵衛。だが徳兵衛に結婚話が持ち上がる。
お初がいるからと断るのだが、親戚が勝手に話を進めてしまい、さらに結婚相手の親から結納金を親が受け取ってしまい、話が合意できないのであればと相手の親から結納金の返還を求められる。 (当然やな)
徳兵衛はやっとのことで親から結納金を取り返したものの、その金を友人に貸してしまった。 (なにやってんねん)
友人に返済を求めるも借りた覚えはないと公衆の面前で罵倒し面目を失わせる。 (証文があるのにとぼける友人もスゲエな)
進退窮まった徳兵衛はお初に死ぬ覚悟を伝える。
やがて真夜中。お初と徳兵衛は手を取り合い、曽根崎の露天神の森へと歩を進める。
互いを連理の松の木に縛り、覚悟を確かめ合うが、最期に及んで徳兵衛は愛するお初の命をわが手で奪うことに躊躇する。
それをお初は「はやく、はやく」と励まして、遂に短刀でお初の命を奪い、返す刃で自らも命を絶った。
かくして現世で悲恋に満ちた最期をとげた二人の死を、「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と来世でのかたい契りとして結末と成る。
お初と徳兵衛が命がけで恋を全うした美しい人間として描かれています。
悲恋ではありますが、添い遂げた人生に感じるものがあるのか、お若いお嬢様方が大勢参拝されておりました。
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どうしても期日内にあげたかった記事。結果的にやっつけ仕事みたいになってしまった。隊長に怒られる~。