見出し画像

【梅好きのあなたへ】 梅おやつ日記#3,水戸編。元祖乃し梅にライバル視されている?『水戸銘菓のし梅』

私が生まれ育った茨城県は、都道府県の魅力度ランキングでここ数年最下位が続いています。どれだけ思い返しても魅力的な県と言われた記憶はなく、東京に遊びにいくようになると、出会う人から「へえ、茨城なんだ…」と、微妙な反応をもらった記憶しかありません。

映画にもなった、漫画『翔んで埼玉』(作者:魔夜 峰央)では、茨城のあまりのディスられっぷりに笑い続け、清々しいきもちになりました。

茨城!?茨城というと埼玉のさらに奥地にあると言われるあの日本の僻地!? 茨城!!!
気の弱い女性はその地名を聞いただけで卒倒してしまうというあの茨城

魔夜峰央「翔んで埼玉」より引用

静岡に移住して思うのは、こういった扱いを受けることが一切ないこと。
富士山や豊かな地域資源、江戸からの距離の影響なのでしょうか…。


今回の梅おやつは、そんなふるさと茨城県の水戸銘菓、のし梅です!
梅おやつ日記#1にも書きましたが、元祖乃し梅佐藤屋(山形)のブログには、「乃し梅は、山形発祥の元祖山形銘菓です。水戸に非ず!」 と記載があり、ずっと気になっていました。

結論:個人的な感想ですが、味は山形の佐藤屋さんの元祖乃し梅がやはり1番。梅の歴史は、水戸に郷愁を覚えてしまい茨城が圧勝でした。


亀じるし

創業1852年、江戸時代から水戸藩御用達として銘菓を作り続けて来た亀印製菓ののし梅です。姉が、出先の守谷サービスエリア(茨城県守谷市の常磐自動車道守谷にあるSA)で買ってきてくれました。梅おやつ探しを公言しておくといいことあるものですね。

青梅を連想させるきれいな色合いのパッケージ。洗練されたイメージ。


食べやすいサイズで個包装になっています。包装は山形の方が簡素でサステナブル。
むっちり、ねっとり食感でおいしいです。酸味よりも甘味がつよい感じでした。


あさ川

創業1872年、県内のスーパーならどこでも売ってる茨城銘菓『吉原殿中』もつくっているお店。こちらも姉からの贈り物。

こちらもシンプルでおしゃれなパッケージ
むっちりではなく、寒天ゼリーのような感じでした。ほのかな甘さで最後にふわっと酸味が感じられます。


のし梅から、梅の魅力、偕楽園の魅力を再発見

水戸に梅をもちこんだのは、水戸藩の九代目藩主であり、江戸幕府最後の将軍・慶喜の父、徳川斉昭。梅に魅了された斉昭公は、梅の少なかった水戸に江戸のウメの実を自ら集めて送り、日本3大庭園の1つとなる偕楽園をつくりました。

本来、お殿様の庭はお殿様しか入ってはいけない場所でしたが、偕楽園は、水戸の藩士達、一般庶民にも開放されました。斉昭公は領民を大事にしていたそうです。

水戸藩第九代藩主、水戸斉昭によって1842年に造園された、日本三名園として知られる水戸の偕楽園。「余(斉昭)が衆と楽しみを同じくするの意なり」と、「孟子」の一節「民と偕(とも)に楽しむ」から名付けられた。筑波山、千波湖、城南の景色を一望できるこの場所を庶民も楽しめる場となるようにと、春の訪れを告げ前向きな気持ちにさせてくれる梅の木を数千本も植えたとされる。また、斉昭は、酸味があり喉の渇きと疲れを癒す梅の実を兵糧とし、有事の備えとした。偕楽園は明治維新後に日本初の指定公園の1つとなり、梅の名所として全国に名が知られるようになった。約100品種、3,000本もの梅が咲き誇る2月中旬からは120回以上もの歴史を誇る「水戸の梅まつり」が開催されている。

農林水産省website: https://traditional-foods.maff.go.jp/menu/mitonoume


また、梅には“文を好む木=好文木(こうぶんぼく)”という別称があり、学問の象徴だったそうです。偕楽園内の建物である”好文亭(こうぶんてい)”も好文木が名前の由来なのだとか。学問に力を入れていた斉昭公は梅を領内に植えることで、学問・教育が普及するように思いを込めていたとも言われています(以下のwebsite参照)。


偕楽園は、子どもの頃に親に連れられて何度か訪ねましたが、正直なんの感想ももっていませんでした。のし梅を通じて、茨城と梅の歴史を知り、図らずも茨城の魅力の再発見につながりました。梅の季節に、水戸を訪れたいと思います。
梅よ、今回もありがとう!

いいなと思ったら応援しよう!