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「時々、離島保健師」通信Vol.1



発症から6年後「離島保健師」に

子どもがいたから出来た決断

「離島生活」は親の元気なうちに・

次は親の介護生活に備えて、島を出た

終わりの見えない介護生活と農的暮らしを両立させたいと始めた有機農業とTikTokを通してできた介護つながり・・
あっという間に介護生活は終わりとなり・・・

「保健師0人になり、悲劇です」とのLINE

子育て・介護が終わり、待ちに待った時間が来たのに・・・ただ茫然と。
そんな中で・・・以前、住んでいた離島で、常勤保健師0人となったと報告が・・(なんとなく気づいてはいたけれど。知りたくなかった。正直な所)
2024年度から、「時々、保健師」という働き方を採用すると聞いてはいましたが・・・「誰か、行ってくれるといいな」と情報はあちこちに。しかし
「楽しそうだけど・・月に1回1週間で何ができるのか?」との声が。
私がそれを一番思っていました。島の元保健師。4年経てば浦島太郎、さらに体力は落ちているし・・「お荷物だわね・・・」と自分に言い聞かせつつ、胸が「ぎゅっ」となる思いがあって・・・
本当は、未練たらたら・・で退職をしたから。2年はひきづって・・(笑)
子どもたちは20歳を過ぎて、両親も他界し、実はまだフリーな状態

「今、行かんかったら後悔するわ。」

言葉がふって来て・・・・船に乗っていた私。



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