推しの声(と出来ればアレンジ)で聴いてみたい曲たち #0 ~発端~
推し(=光吉さん)のカバーアルバムと、先日のMIQTAKE以来、私の脳内でこんな現象が起こり始めました。
「自分が聴いている曲が、推しの声に脳内変換されて再生されてしまう」
特に、推しに合いそうな曲に関しては、脳内変換された瞬間に「これを推しの声で聴いてみたい」と尊さが増して止まらなくなってしまいます。これはもはや病気。病名はズバリ、
「この曲、推しの声で聴いてみたい病」。
この病気にかかってしまった以上、抑えきれない思いと尊さと妄想をアウトプットしないと、せっかく今落ち着いてきている私自身のメンタルがまた病んでしまう。
そんなわけで、新シリーズ『推しの声(と出来ればアレンジ)で聴いてみたい曲』たちを始動します。今回は、導入回(#0)として、このシリーズを始動させるきっかけになったツイッターを交えながら、このシリーズを立ち上げるにいたった経緯とそれを巡るおはなし、このシリーズにおける基本姿勢を記していきたいと思います。
発端のツイ達
キッカケは、日ごろからお世話になっている関西の推し仲間氏のこちらのツイでございました。(本人より掲載許可済み。ありがとうございます。)
脳内変換、余裕。このツイに便乗するような形で、今まで溜まっていた妄想をすこーしだけ吐き出してみようと考えたのが、↓のツイ。
最初はMIQさんと推しの二人できいてみたい(むしろMIQさんメイン、推しは賑やかし寄り)曲を出してみたのですが、
「推しの声で『木蘭の涙』を聴いてみたい」ところからスターダストレビューがつらつらと思い付き、
洋楽まで出てきた。当初はこの「洋楽だとこのあたり(と言ってBTSも出した)」ツイで一通りのネタ祭りは終わる…ハズでした。
祭り状態な脳内をタイムラインに吐き出してから一夜明け。
通勤で都内に降り立った時の冬の空気を吸った瞬間、頭の中で推しの声に変換されて再生されたのが、これ。
我ながらどうかしていると思いつつも、そこからさらに脳内妄想が止まらなくなってしまいました。
「この曲、推しの声で聴いてみたい病」をほったらかした結果。
前項の通り、この病気を、MIQTAKEから1週間ほったらかした結果、出るわ出るわ、「推しの声で聴いてみたい曲」!そして、思いました。「これnoteのネタに出来るんちゃうか」と。
しかし、ここでひとつ問題が。いくら弊noteで人気コンテンツ(年間アクセス数的に)である「推しを感じる」シリーズ系統の記事になるであろうとはいえ、果たして需要はあるのだろうか。むしろご本尊に迷惑かけないだろうか。
私はTLの海に問いを投げました。
(需要)あるかしら(チラッ)
しばらくして、「あるよ…!」と一言返信をくれたのは、冒頭に登場した関西の推し仲間でした。
やるか…!
本企画のルールと決意表明
というわけで、関西の推し仲間さん(弊noteもいつも読んでくださりありがとうございます)の後押しもあり、ここにシリーズ化します。さしあたってのルールは以下の通り。
推しのイメージを崩さず、副業枠でできるのではないかと考えられるもの。
正直、MIQTAKEの運営さんの幅広く、深く、「ファンのツボをくすぐる」選曲センスには足元にも及びません。むしろ尊敬のレベルです。あとはとあるコミュニティで同様のネタを展開されている先人の皆様にも敬礼(一時期はお世話になりました)。
何番煎じだと言われかねない後続の立場ではございますが、私なりの推しへのリスペクト、原曲へのリスペクトに、これまでの「推しを感じる」試みでこじらせて培ってきた想像力と妄想で語っていけたらと思います。
更新頻度は月1回目標。初回は推しの誕生日である12/25公開予定です。
奇特な一部需要の皆様、どうか温かい目でお付き合いのほどを。
※追伸:エゴサ上等!
※2021/12/21追記※なぜ、「推しの声(と出来ればアレンジ)で」なのか?
本編を書いてみて、内容が「推しの声で聴きたい」点に終始していたのでは、と感じたので、追記。
今回のシリーズでは推しの声で聴いてみたい曲だけじゃなくて、
「推しの声+推しのアレンジ」で聴いてみたい曲についても取り上げていきたいと思っています。
「推しの声+推しのアレンジ」、そう思ったキッカケは、例のカバーアルバムこと『WITH MY RESPECT #1』に収録された『LA・LA・LA LOVE SONG』。
原曲がアップテンポ寄りだった印象があって、その印象のままで来るのかと思っていたら、まさかのメロウでスロウなアレンジ。キラキラしていながらもほんの少しゆらぎがある水面のような世界。
そこに推しの繊細でキュッと胸をしめつけるような切ない歌声が重なる。その歌声に誘われて、気付いたら推しの作り上げた世界観という水底に落ちて沈んでいる絵が浮かびました。しかも、曲が進むにつれてアレンジの音が増えていく様子が、深度が深くなっていく様子にも思えて。
誰もが知っている原曲に対して、推し自身の解釈でアプローチしていく。その真骨頂がこの1曲にあると感じました。
推しならではのアプローチや世界観をもっと知りたい、
もっと聴いてみたい。
その思いを、追伸通りの「エゴサ上等」スタンスで綴っていきます。