2022年11月13日(日)STAND UP! CLASSIC FESTIVAL’22 in TOSHIMA「角野隼斗×フランチェスコ・トリスターノ」
STAND UP! CLASSIC FESTIVAL’22 in TOSHIMA「角野隼斗×フランチェスコ・トリスターノ」(以下スタクラフェス)に参加しました!
以下、いつものごとく乏しい自分の記憶から振り絞って振り返ろうと思います。自分語りばかりになり恐縮ですが、よかったらお付き合いいただければうれしいです!
はじまりの前に
いつものごとく会場には早めに行く自分。この日は14時開演のところ、12時20分頃に池袋西口公園(会場の東京芸術劇場と、同じくスタクラフェスの会場であるGLOBAL RING THEATRE(以下、西口公園野外劇場)がある公演)に到着。
グローバルリングではピアニストの大井健さん、久保山菜摘さんのおふたりがブラームスのハンガリー舞曲を連弾で弾かれていて(わたしは3曲聴けた)その民族味と華麗さにうっとり。
すると和太鼓の木村善幸さんが登場し、軽快かつお腹に響く和太鼓のイントロののちに、和太鼓でスネアのリズムを刻みながらラヴェルのボレロがはじまる(ピアニストは2台ピアノ)。不思議なボレロだったけど、すごくしっくりきた。途中からは観客にも手拍子でボレロのリズムを刻むよう促された。フィナーレも迫力があってかっこいい。
メインディッシュの演奏前に気分が浮き立ち楽しかった。
終演後芸術劇場前に移動。
入場する
音楽を聴きに芸術劇場に来たのはいつ以来だったかよく思い出せないのだけど、とても覚えているのが2015年の秋(調べたら11月12日だった)にユジャ・ワンがコンセルトヘボウとチャイコの2番を弾きに来たこと。終演後サイン会に行ったのだけど、なぜかあまり人がいなくて、ちょうど2人ともハロウィンのネイルアートをしていたので、その話題からガールズトークで盛り上がったのを、ホールへ向かうエスカレーターに乗りながら懐かしく思い出していた。今日そこに新たな思い出が加わると思うとわくわくが止まらない。
場内にはポスターや物販やスタンドフラワーは一切ない。プログラムはチラシと共にビニール袋に入れられていた。
この日の席は1階の前から15列目左ブロックの真ん中寄りの席。
当初想像していたよりもステージに近く見やすそう。調律師の方が開演ぎりぎりまで調律を続けている。楽しみが膨らむ。
はじまりからRavel(1875-1937): Boleroへ
公演の開始前に、今回のスタクラフェスの主催者である東京都豊島区の高野之夫区長が挨拶。
話が要点を押さえていてうまいのでだれないのがいつ聞いてもすごいとおもう(筆者は豊島区民です)。そして御年85歳!年齢を感じさせないバイタリティを持っている方なので、これからももろもろ期待してます。
14時5分過ぎ頃にトリスターノさん、角野隼斗さん(以下かてぃんさん)の順でおふたりが入場、それぞれのピアノの前で丁寧にかつすっきりとお辞儀。
かてぃんさんが向かって左(下手側)のスタインウェイのグランドピアノ、トリスターノさんが右(上手側)の蓋が外されたヤマハのグランドピアノに座り・・いえ、トリスターノさんは座ってません。ピアノの内部の弦に手を伸ばし、まん中の「ソ」の音の弦で「タン、タタタ、タン、タタタ、タンタン、タン、タタタ、タン、タタタ、タタタタタタ、(以下繰り返し)」の「ボレロ」のリズムで弦をはじき続け、それにかてぃんさんがメロディーやベース音などを載せて曲がはじまり広がっていく。
実は前日のかてぃんラボで当日のセトリに「ボレロ」があると話が出た時、てっきりフィナーレの曲だと思っていたけれど、冒頭の曲だった。これはもしかしたら昨年のSTAND UP! CLASSIC PIANISMのフィナーレがボレロだったから、それに続くスタクラの曲という意味で、ボレロを冒頭に持ってきたのかもしれないと思った。
個人的にはついさっき西口公園野外劇場でボレロを聴いたばかりで、そこからのつながりも感じた。
曲は緊迫感と闇と、晴れやかに広がる心と爆発的な喜びと。ピアノの音色が世界中の色を持ってきたよう。ピアノってこんな音が出るんだ。2人のからだが曲とともに、曲の音が血液になって体中を巡りながら音を出させているように、肩も腕も手も、いや目も頭も首も足も、体中がすべて音楽に奉仕する喜びにあふれている。時々ふたりの視線が合って「にやっ」と笑みを交わしてるのにぞくぞくっとする。
MC
かてぃんさんがマイクを持って語りはじめる
記憶力に乏しいので、メモレベルの内容だけ残します
・かてぃんさんがトリスターノさんのことを知ったのは3年前
・会ったのは1年前の10月バルセロナで。僕から会いたくて会いに行って、すごく意気投合した
・いつか共演しようと約束した。それが実現したのが今日です!
・トリスターノさんが日本語で「ありがとうございます」とご挨拶。きれいなイントネーション!
(違ってるところがあったら教えてください<(_ _)>)
J.S.Bach(1685-1750): Pastorale in F Major BWV590
この日の演奏の中でいちばん好きになった曲。
この時どういう演出(照明とか)がされていたのか全く覚えていないのだけれど、かてぃんさんの鐘のような低音、アップライトのようなまろやかな中音域、天から降り下りるコラールのような高音、演奏とピアノの設定でこんな風に音の世界が作られて行くのだと感嘆した。トリスターノさんのピアノはかてぃんさんのピアノに寄り添い共にあるようで、しかし両者のピアノはかなり音が違うと感じた。違う音が溶け合ってひとつの世界を作る、これは音楽の世界のことだけではないように感じた。
ところでこのPastrale、前日のかてぃんラボ(かてぃんさんのYouTubeでの有料コミュニティ)でこの日のセトリに入っていると言われ聴いてみたところ、3曲目のAria(Adagio)に聴き覚えがあった。たしか映画「ルパン三世カリオストロの城」でクラリスが結婚式に向かうシーンだった。ググって見たらその通りだった。自分の音の記憶は案外当てになる笑。
Ravel(1875-1937): Jeux d’eau(水の戯れ)
かてぃんさんのソロ。
唐突にはじまったように感じた。
これは反則だ。
美しいだけでなく押し寄せる水、うねる水、はねる水、はじける水、突破する水。豊かな水。
形も質も色味も重さも速さも違う水の表現。
この世の中にある、暴力的でないすべての水を、かてぃんさんが操り目の前に見せてくれている。
世界は美しい。
神さまみたいだった。よき神さまのようだった。
この日この場所で、この水の戯れが聴けるとは。
世界中に聴いて欲しかった。
そして音は続く(Gibbons(1583-1625): Pavan、Tristano(1981-): Ritornello)
ソロの曲(水の戯れから後)からは、お互いがお互いの場所でピアノを奏でている間、自分のピアノの椅子に座って聴き、時折ピアノで音を足しているように見えた。曲が、音楽が、途切れることなく続いていく。音楽のキャッチボール。あるいは音楽が古今東西を行きかい、人の歴史と共にあり、豊かさと希望を紡いでいくように。
ミニマル・ミュージックがなんたるかをわかっていないけれど、トリスターノさんのRitornelloはそうだろうなと思った。
祈りが、Pavan以来の400年前からの祈りが、時空をただよっていまに届いているような、時折かてぃんさんが音を載せていくと、新しい化学反応が起きて、ハッとする。
バタフライエフェクトみたいな世界の変化を感じる。
そしてかてぃんさんの自由なイントロからラプソディー・イン・ブルーへ。
Gershwin(1898-1937): Rhapsody in Blue
いままで聴いたことがなかったラプソ。
音の弾みが自由で。弾く者も聴く者も自由で。
自由ってむやみに動き回ってる意味じゃなく、穏やかに満ち足りてる意味で。
あ、それでも跳ね回ってた。ふたりとも。
とくにトリスターノさんが。
激しく強く、床を打ち鳴らすように足を踏み、まるで床が楽器だった。
豊かさと激しさと美しさのの心地よい海にいた。
これまでのラプソの5倍くらいの厚みを感じた。
音楽っていいな、素晴らしいな、幸せだなと感じながら。
終盤のコーダ(っていうのかな?ウイニングランみたいなところ)では、かてぃんさんが手拍子を促して、みなで合わせて拍子をとったのもうれしかった。そこにいるみんなが一体になれたみたいで。自分は会場の外の、世界にいる誰かのことも思いながら手拍子したよ。
おわりに
終わって肩組み合ってるふたりが、やりきったがあふれてて素敵だった。
ご時世だけどBravo!アンコール!も飛んでた。
ほんとすごかった。火花も、炎も、花も、光も、人々の営みも、見えた。(もちろん水も)
1時間があっという間。あと3倍は聴きたかった。
せめてアンコールはできたらよかったな。(「時間の都合でアンコールはなしです」とかてぃんさんからアナウンスがあり)
ブルーノートが待ってるね。楽しみにしてるよ!