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難所、のある散歩道

 難所に差し掛かった・・・
 と、思った。そう思ってみて、なんだかまるで雪山でも登っているかのようだなと、少し可笑しくなった。
 それはただの散歩だった。ただの散歩だったのだが、その道はこれまでの散歩道で、最大の難所だった。

 5日間に渡る長い散歩も最終局面を迎えていて、この日は午前10時に小田原駅を出て、湯河原を目指して歩いていた。
 辻堂から小田原までは、きれいに整備された国道に沿って歩いた。海沿いの平野に切り開かれた直線に近い一本道は、散歩にちょうど良かった。

 何気ない思いつきで始めたこの散歩は、辻堂をスタートし、茅ヶ崎、平塚、二ノ宮、小田原と、4日ほど掛けた長い行程になっていた。
 毎回1~2駅分ほどの道のりをのんびり歩いては、着いた駅から電車で帰って来る。そしてまた次の日に、先日電車に乗った駅まで電車で戻り、そこから再び歩き出す。という往復を繰り返して、少しずつ距離を伸ばしていく。なんでそんなことしていたかと言えば、歩きたかったからとしか言いようがない。ただ歩ければそれで良かった。目的も、目的地も特に無く、東海道という道が、歩くのに都合が良かったのだ。

 初日に辻堂を出たときは、小田原でゴールして満足するはずだった。とても意外なことに、というかなんというか、小田原に着いても、道はまだその先へと続いていた。残念ながら、小田原は世界の果てではなかった。
 いや、小田原がゴールというのも違ったかもしれない。そもそもの当初のゴールは茅ヶ崎だったはずだ。辻堂を出て茅ヶ崎まで、東海道線でほんのひと駅分を散歩できれば良かったのだけれども、茅ヶ崎についたところで、もっと先まで行きたくなった。道がその先へと続いていたからだ。道が続いている限り、先に行きたくなるのはなぜだろう。恐らく、かつて何万年も掛けて大陸を横断してきた人類の子孫で、定住を選んだ人類の子孫ではないのだろう・・・ 茅ヶ崎駅北口のびっくりドンキーでパインカレーバーグディッシュを食べながらそんなことをぼんやりと考えたのが、つい4日前のことであった。

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 スマホの地図を頼りに、海沿いの国道を歩けばすぐに湯河原に着くだろう、距離的におそらく2,3時間くらいかな、などと甘く考えていたのだが、早川駅を越えて少し歩いたところで、国道は歩道が途切れて車専用の幹線道路になった。ひとりがぎりぎり歩けるくらいの幅しかない路側帯には車止めも無く、それを良いことに大型車も小型車も我が物顔でびゅんびゅん飛ばしているので、これはさすがに死ぬかそれに近い恐怖を経験することになりそうだった。道はその手前でちょうどふたつに分かれていて、山沿いには車1台が通れるくらいの道が通っていた。おそらく、歩くならこの道一択なのだろう。
 歩いている人は、ほかに誰もいない。時々、山道を決死の形相で登っていくロードバイクのライダーとすれ違う。ロードバイク同士ですれ違うときは、お互いに手を上げて挨拶を交わしていくのが、同じ苦労を共にするライダー仲間同士の暗黙の慣例のようだが、こちらに挨拶してくれるライダーはいなかった。山間を切り開いて伸びていく道は谷に沿って曲がりくねっていて、それが幾重にも続いていた。
 小田原から湯河原まで、まっすぐに突き進めたならば、ごく普通の散歩で終わっていたと思う。だがこの山道は蛇腹状に折りたたまれていて、腹部に何倍もの距離を隠し持っていた。

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 それは精神的な時間だったのかもしれない。ひとつの峠をぐるりと回る時間が、やけに長く感じられた。そこに近道があるはずのルートを、どうしようもなく迂回路を進まねばならないとき、流れる時間は、その心の在り様にあわせて伸びていく。正直に言えば、この迂回路を「めんどくさい回り道」と感じていたということだ。

 テクノロジーが結びつける最短距離に慣れ切っているようだ。最短時間でいける道があるはずだと、どこかで考えている。ただ歩くことについてすらそう思っていることに、ここで気づいた。
 歩くことは、人間にとって一番効率の悪い移動手段で、車や電車の何倍もの時間と労力を浪費する。2~3時間の道のりと最初に想定した時間から外れ、どこまで伸びるかわからない道に入ってしまったこと。この精神的距離の乖離が、迂回路をさらに長く引き伸ばしていくように思えた。

 正午を過ぎて根府川駅に到着し、もうひと駅先の真鶴駅までのルートを確認する。蛇腹はより複雑さを増している。その複雑さは、幼かったころ毎年帰省していた母方の実家への道のりを思い出させた。リアス式の断崖絶壁に守られている、東北地方沿岸部の小さな漁村へ向かう道。黒々とした海沿いの断崖に沿って、何度も何度もカーブを繰り返す遠い道のりをあまり好んでいなかった。父の運転する車に揺られて、その無限とも思われる時間から早く逃れることをいつも願っていた。
 そこは後に直通の高速道路が開発され、4時間の道のりが、わずか1時間で行けるようになった。

 散歩としてはもう十分歩いていたから、根府川駅で引き返しても良かったのだけれども、その日は、少し物足りなく感じていたのかもしれない。5日間歩いて、歩く体力がついてきたのか、5月の爽やかな太陽の日差しが背中を押してくれたのか。
 そこから先は、記憶の最大の難所だった。

 道はまだ続いていた。道があるならば進めるはずだ。今は、その道をただ歩くだけだから。
 歩いていれば、いずれどこかに着くだろう。それにどこにも着かなくても良い。歩いている道のりがあればそれで良い。どれだけ時間が掛かっても、それでも良い。どうせ効率が悪い移動手段ならば、一番効率が悪い道を行くのも、歩くことにしか出来ないことなのだから。

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miuraZen
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